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日吉御田神社・宮番の記 須藤 護(著) - サンライズ出版
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日吉御田神社・宮番の記 (ヒヨシミタジンジャ・ミヤバンノキ)

社会一般
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B6判
264ページ
並製
価格 2,100円+税
ISBN
978-4-88325-753-9   COPY
ISBN 13
9784883257539   COPY
ISBN 10h
4-88325-753-3   COPY
ISBN 10
4883257533   COPY
出版者記号
88325   COPY
Cコード
C0039  
0:一般 0:単行本 39:民族・風習
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2022年5月15日
書店発売日
登録日
2022年3月28日
最終更新日
2022年5月19日
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紹介

滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉大社は、全国3800を数える日吉(日枝)神社の総本宮であり、毎年春に行われる山王祭で有名だ。本書は、この日吉大社の境外社の一つ「日吉御田(みた)神社」の当家(とうや)を仰せつかった筆者が、宮番としての一年の経験を通して、どのような形で神社の管理と祭事の運営が行われたのかを記録したもの。最大の目的は、こうしたしきたりを次世代へ継承すること。そのための基礎的な読本となることを目指した。理解を増すためにイラストや写真を豊富に用いている。
一地方の神社の記録のみならず、時代の変遷に対応しつつも神社管理の仕組みを残してきた知識と知恵をまとめた手引書となっている。

目次

はじめに
第1章 日吉御田神社を取り巻く環境
1 日吉社の境外一〇八社
2 井神社と御田植
3 日吉御田神社の祭神
4 日吉御田神社の氏子の組

第2章 日吉御田神社の祭事-宮番の引継ぎから正月まで
1 日吉御田神社の古記録から
2 宮番の引継ぎ
3 土用祭
4 御田植神事のこと
5 新嘗祭
6 日吉御田神社の正月準備

第3章 日吉御田神社の祭事―正月行事から例祭まで
1 正月行事
2 節分会と祈年祭
3 例祭
4 季節の移り変わりと日吉御田神社の祭事

第4章 日吉御田神社の管理 
1 神社と境内の概要
2 サカキ(榊)の管理
3 境内の清掃
4 神社の境内で考えてみたこと

第5章 神社と祭事を支える力
1 神社を支える仕組み
2 賢い伝統の継承と無謀な祭日の変更

第6章 日吉大社の神々とその構成
1 山王上七社と西本宮・東本宮の共存
2 境外社の五つの系統
3 「神々の氾濫」が意味すること

おわりに

前書きなど

はじめに
 令和二(二〇二〇)年度、文化庁の宗教統計調査によれば、日本各地に鎮座する神社は八万社余を数えるという。適切な事例ではないかもしれないが、同じ令和二年度の全国のコンビニエンスストアの店舗数は五万六千店であるというから(注1)、それよりもはるかに多いのである。しかも明治四十(一九〇七)年前後から推進された「神社整理(神社合祀)」政策以前の神社数は二十万社をかぞえたというから、神社は地域社会や人々の暮らしの中で、より身近かな存在であったことがうかがえる。
私は旅行をすると必ずその地域の神社にお参りすることにしているが、必ずしも大きな町や集落でなくても立派な神社に出会い驚くことが多くあった。しかもそのような地域は寺院も立派なのである。寺社の境内や建物の管理、祭事・年中行事等の運営は、地域住民が主体的に行なうことになっており、建物の維持経費や労力を含めて氏子(神社の信仰圏を形成する世帯)や檀家(葬祭を媒介にして寺院を支える基礎単位としての世帯)に負うところが大きい。
同じく令和二年度の文化庁統計によれば、日本には約七万七千の寺院が登録されているという。かつての二十万社にも及んだ神社と合わせて、数多くの寺社を支えてきた日本の地域社会にたいして、とてつもない底力を感じざるを得ない。どこにそのような力が潜んでいるのか、興味深い問題であった。
しかも地域の鎮守のほかに、総本宮、神宮、大社などとよばれ、全国的にも著名な神社も少なくない。自らが氏子である神社の祭事や管理を行なった上で、大きな神社の祭日になると大勢の人びとが祭りに参加し、支えている。受験シーズンや人生儀礼の節目が近づいてくると、本人もその家族も神頼みに出かけていく。とりわけ初詣に出かける人は多く、現在もなお神社と寺院は人びとの人生や地域の暮らしの主要な場面にしっかりと定着しているのである。
この度、「日吉御田神社-宮番の記」というテーマで筆をおこしてみたいと思ったのは、地域社会が内包している底力がどこから出てくるのか確認してみたかったからである。この問題を掘り下げていく上で大きな力を与えてくれたのは、滋賀県大津市坂本に鎮座する日吉御田(みた)神社であった。
この神社には、神社と祭事を支えてきた人びとが記してきた貴重な記録が残されている。その記録をじっくり拝読する機会を得たことで、どのような形で神社や祭事が維持・継承されてきたのか、具体的に探ることができると思うようになった。またそのことにより、蓄積されてきた人びとの知識や知恵を、次の世代につないでいく作業が可能になるのではではないか、という思いがあった。
私ごとであるが、令和三(二〇二一)年度五月三日から令和四年五月三日まで、日吉御田神社の当家(とうや)(頭家・頭屋)を仰せつかることになった。大津市坂本は歴史の古い町であり、平成十(一九九八)年にこの地に移住してきた私のような新参者にとって氏子に加入できる例はさほど多くはない。幸いなことに日吉御田神社の氏子組織は開放的な面があって、坂本に居を構えてから数年後に氏子入りが認められた。
氏子入りの儀式を御田神社では玄孫(やしゃご)入りともいう。玄孫は「曾孫の子、孫の孫」という意味であるから、この地域で誕生した子供たちは赤ちゃんのうちに氏子入りして、神の加護を受けていたのであろう。伝承として「七歳までは神の子」といわれた時代があり、子供が無事に成長することが容易でなかった時代の名残なのかもしれない。
玄孫入りは正月に行なわれた。この一年の間に子供が生まれた家、養子縁組やお嫁さんを迎えた家では氏子の組(神社を支える氏子のグループで御田神社には五つの組がある)の総代に届け出をする。そして玄孫入りする者があると、小正月の頃に開かれる直会(寄合い)の席において披露されるのである。長男の場合は酒一升、女児、もしくは次男以下の男児は酒五合、養子に入った者は二升、嫁に来た者は一升の酒を奉納することになっていた。昭和四十年前後のことであった(肥後一九七三)。
日吉御田神社の背後には集会場が建っており、その座敷の奥の正面に長老が着座し氏子衆も年齢の順に着座する。そして神前からおろしてきた酒で三献の杯(大・中・小の杯で一杯ずつ、計九杯の酒をすすめる礼法)が交わされるが、玄孫入りの報告はこの座で行なわれる。古くは玄孫入りが終わると恒例の綱打ち神事(後述)が執行された。
かつてのように格式の高い儀式ではないであろうが、玄孫入りは現在でも行なわれている。子供が誕生した年に所属している氏子の組に申し出て、清酒もしくは初穂料を奉納する。すると正月の直会の席において、玄孫入りする子供たちが報告される。そして一番奥の座に座っている長老が首を縦に振れば玄孫入りが成立する。私の場合は、現在の住まいの前の持ち主が氏子に入っていたため、すんなりと了承されたのだと思う。
その後十数年が経過しこの度当家がまわってきた。当家は年間を通して神社の管理と祭事の準備を行う役であり、重大な責任を担っている。難しい問題や面倒なこともあるが、責任のある役をあずかることにより地域共同体の一員になれたような気がしている。それまでは垣根の外側から眺めていた景色であったが、その垣根の内側に入ることができ、しかも直接の担当者として祭事に携わることができるようになった。一般にはこの役を無事果たすことで、一人前の存在として地域社会の中で認められることになる。
なお「とうや」は、一般的に「頭家」「頭屋」という文字が使われている。それぞれ意味をもった言葉であるが、御田神社においては伝統的に「当家」の文字を使っているのでそれに従うことにする。
当家を支えるのは宮番の組である。宮番の組は当家に協力して、神社や祭事の管理を行なう組である。御田神社の組は五組あるので五年に一度宮番がまわってくる。そしてその組の中で順番に当家がまわっていく。たとえば七人で構成された組であれば、三五年に一度まわってくることになる。当主になって一度は当家を経験することになる計算であるが、長寿社会である近年では二回経験する人も出ているようである。
本書では当家と宮番の組の一年を通して、どのような形で神社の管理と祭事の運営が行われていくのか、綴ってみたいと考えている。祭事の歴史や意義、神饌(しんせん)(神への供物として用いられる飲食物)に関連することがらについてはできるだけ幅広く、具体的にみていきたいと思う。そして当家の日々の作業や祭事に携わることにより、日本人の神への思いとその接し方について、そして地域社会がもっているとてつもない底力に、多少でも近づけることができたらと考えている。
なお、本文中には内輪話に近いような些細な内容や、重複したことがらも含まれている。しかし些細なことがらの積み重ねが大きな力となって、地域社会の底力につながっていることを感じているので、あえて削除していない。
また本書のもう一つの重要な目的は、日吉御田神社の祭事と神社の管理・運営の仕組みが次の世代へ、さらにその次の時代へと継承されることが大事なことであり、そのための基礎的な読本として活用できればと考えている。したがって、祭事の段取りや神饌の準備、その変遷については可能な限り記述している。
次世代への継承という目的に近づくために、先人が残された貴重な記録を活用させていただいている。その記録からは時代の変化に敏感に対応し、しかし大事なものは残していくという考え方が伝わってくる。神社管理の仕組みを時代に適合させることにより、祭事を継承してきた知識と知恵を見い出すことができる。そしてその中には、将来につなげていくための知恵が潜んでいると思うのである。

著者プロフィール

須藤 護  (スドウ マモル)  (

1945年千葉県生まれ。武蔵野美術大学造形学部建築学科卒業。
近畿日本ツーリスト、日本観光文化研究所々員、大学共同利用機関 放送教育開発センター助教授、龍谷大学教授を経て現在民俗文化財保護事業と地域研究に従事。民俗学専攻。

上記内容は本書刊行時のものです。