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談 no.115
新虚実皮膜論 アウラの消滅と再生
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2019年7月1日
- 書店発売日
- 2019年7月1日
- 登録日
- 2019年5月31日
- 最終更新日
- 2019年7月17日
紹介
人形浄瑠璃・歌舞伎の脚本作者である近松門左衛門の芸術論「虚実皮膜論」はすでに検証し尽くされたと思われている。しかし、そうだろうか。この虚の意味するものは、いまだ大いなる謎としてわれわれの眼前に横たわっているのだ。われわれはそこにもう一つの補助線を引いてみる。ベンヤミンの重要な概念であるアウラの導入だ。「いま・ここ」にしかない特有の一回性。複製技術の時代においてアウラは雲散霧消したかに見えた。しかし、アウラは生きていたのだ。どこに? 皮と肉の間に。フィクションという新たな顔をもって。虚と実、その境界で戯れることの愉快。
目次
〈虚実皮膜と現代思想〉
・虚/実の交錯……相対主義への内在
千葉雅也(立命館大学大学院先端総合学術研究科准教授。専門は哲学、表象文化論)
現代のネット社会が、接続過剰で息苦しさを増し、圧迫的なコミュニケーションに陥っていくならば、それに対抗する別のコミュニケーションが必要だ。そこで「接続〈と〉切断」を両義的にもつコミュニケーション、つまり適度に切断しながらもつながり続ける具体的な方法として千葉氏が挙げるのが「儀礼的社交」である。接続過剰の状況に風穴を開ける儀礼的社交的空間。「虚」と「実」が反転する空間で、儀礼的社交空間をいかにして組織するか。
〈虚実皮膜とミメーシス〉
・フィクション、現実を宙づりにする
久保昭博(関西学院大学文学部文学言語学科教授。文学博士。専門は、文学理論、フランス文学)
なぜ人は、フィクション的な活動に好んで身を委ねるのか、あるいは逆に、なぜその行為を忌避する伝統があるのか。それまでのフィクションをめぐる議論を一新したのが、ジャン=マリー・シェフェールの『なぜフィクションか?』だ。一言で言えは、フィクションとは人類に普遍的に備わる「心的能力」である。本書の訳者であり紹介者である久保氏によれば、この心的能力、すなわちフィクション能力は、端的にミメーシス(模倣・再現)をある特定の仕方で用いる能力であり、フィクションとは、「共有された遊戯的偽装」であると提起する。このきわめて「人間的」な営みであるフィクションについて、人間学的観点から考察する。
〈虚実皮膜とデジタルメディア〉
・亡霊としてのメディア……模倣と感染
石田英敬 (2019年3月末まで、東京大学大学院総合文化研究科教授および同大学院情報学環教授。専門は記号論、メディア論)
「見えない」テクノロジーの文字は、今では人間の「見えた」という意識が成立するための条件になっている。この状況を石田氏はメディアの「技術的無意識」という。フランスの哲学者デリダは、この技術的無意識を「亡霊」の問題に引きつけて、アナログメディア革命以降の世界を、おびただしい亡霊が闊歩する時代と論じた。亡霊というイメージが喚起する現代のメディア環境とはいかなるものか。記号論を新たな視点から再生させた石田氏が開陳する最新メディア論
上記内容は本書刊行時のものです。