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オリヴィエ・メシアンの教室
作曲家は何を教え、弟子たちは何を学んだのか
原書: La classe de Messiaen
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2020年11月20日
- 書店発売日
- 2020年11月16日
- 登録日
- 2020年10月18日
- 最終更新日
- 2020年11月13日
紹介
この部屋から、20世紀音楽が生まれた──
古色蒼然たる音楽院の一室で、彼は何を語ったのか。
証言と回想から「伝説のクラス」の全貌が蘇る!
「選ばれし師は開眼させてくれるのです。
ただ彼がそこにいるということ、
あるいはその振る舞い、その存在によって、
あるいは彼個人の厳格さを垣間みせる指摘を通して」
──ピエール・ブーレーズ
ブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキス、
アンリ、ミュライユ、グリゼー、ベロフ……
綺羅星のごとき教え子たちを前に、
古色蒼然たる音楽院の一室で、
彼は何を語ったのか──
証言と回想から「伝説のクラス」の全貌が蘇る!
20世紀最大の作曲家のひとりであるオリヴィエ・メシアン(1908–1992)は、類い稀なる教育者でもあり、その教室からはブーレーズ、シュトックハウゼン、クセナキスなど、その後師とともに20世紀音楽を担う綺羅星のごとき大作曲家たちが巣立っていった。
本書は、メシアンが戦時下の1941年──あの《時の終わりのための四重奏曲》を作曲した収容所から解放されたのち──、パリ国立高等音楽院に着任してから、およそ半世紀にわたって力を注いだ音楽教育の全貌を、弟子たちの証言にもとづいて初めて明らかにするとともに、彼らが師にいかに傾倒し、その教えを継承し、あるいは反撥しながら20世紀音楽を切り拓いていったかを跡づける音楽ドキュメンタリーの傑作である。
メシアン自身の音楽観だけでなく、中世・ルネサンス期の音楽からバッハ、ベートーヴェン、ワーグナー、ショパン、ドビュッシー、そしてストラヴィンスキーにいたる過去の音楽を、彼がいかに評価し論じたかを知ることのできる貴重なドキュメントともなっている。
「1940年代の末からその音楽が世界各地で演奏されてきた作曲家が、
モーツァルトの音楽や鳥の歌ひとつに文字どおりひれ伏している、
その姿を一目見るだけで、どれほど悲観的な人であっても、
芸術に対する揺るぎない信頼と芸術のもつ力を確信せざるをえない」
──本書「終章」より
目次
日本語版によせて(ジャン・ボワヴァン)
『オリヴィエ・メシアンの教室』序文(小鍛冶邦隆)
序章
1 複数でありながらも唯一の教室
2 堅く守られた秘密
3 ヒズ・マスターズ・ヴォイス
4 「どうぞお話しください」
5 謝辞
第1部 教室の歴史
第1章 和声クラスと私的なレッスン
Ⅰ 名声の源
1 前衛
2 戦争とドイツによる占領
Ⅱ 和声クラス(一九四一―四六)
1 傑出した最初の生徒たち
2 「本物の」和声
3 知へと至る道│分析
Ⅲ もうひとつの教室──私的なレッスン
1 ドイツ占領下のパリにおける音楽
2 初期の私的レッスン
3 ドラピエール邸での集まり
4 ドラピエール邸で扱われたレパートリー
Ⅳ ライヴァル、ルネ・レイボヴィッツ
1 新ウィーン楽派とフランス
2 メシアンとウィーンの聖三位一体
3 ルネ・レイボヴィッツの登場
4 教育に対する二つのアプローチ
Ⅴ 「メシアン事件」
1 新たな力関係
2 予期せぬキャンペーン──ラジオのストラヴィンスキー・シリーズ
3 《神の臨在の三つの小典礼曲》の初演──メシアンと批評
Ⅵ パリ音楽院
1 クロード・デルヴァンクール──「ある種の爆発」
2 「私たちが生きていたのはどんなにか寂しい場所だったでしょう……」
3 敗北あるいは勝利? 分析クラスの創設
Ⅶ 分析クラスへの移行
1 福音の時の終わり
2 クラス間の争い……
3 異なるものとの接触
第2章 分析クラス
Ⅰ 第一期(一九四七―五四)
1 水と火の試練│入門の方法
2 卒業試験
3 分析クラスのメニューに載った数々のレパートリー
4 分析のクラス、あるいは作曲のクラス?
5 師にふさわしい生徒たち
Ⅱ 入門・卒業・さまざまな動き、その行方を探る
1 国を越えた威光の波及
2 ダルムシュタットにおけるメシアンの初期の滞在
3 《四つのリズム・エチュード》の作曲
4 シュトックハウゼンと「天体の音楽」
5 「異国人」ヤニス・クセナキス
6 別の惑星、ミュジック・コンクレート
7 ふたたびダルムシュタットを通って
Ⅲ 第二期(一九五四―六一)
1 同志の喪失
2 新しい世代の学生
3 「音楽哲学」のクラス
Ⅳ 第三期(一九六一―六六)
1 「そして船は行く……」
2 リズムにささげられた一年間
3 セリー帝国の凋落
4 議論が戦わされる部屋
5 音楽研究グループ(GRM)の躍進
第3章 作曲クラス
1 公的な認知と内部の状況
2 ヴァルハラへの入城
3 五月革命
4 心の糧
5 メシアンは彼らのうちに
6 作曲を教えることはできない、だがそれでも教えることはできる
7 ひとつの時代の終わり
8 最後の生徒、最後の公開レッスン
第2部 メシアンによる分析とそのインパクト
第4章 メシアンの分析スタイル
Ⅰ ある教育の痕跡
Ⅱ メシアンの分析
1 分析に対する一般的な考え方
2 形式
3 和声
4 リズム
5 旋律
Ⅲ 映像に記録された分析──《ペレアス》第一幕
1 汲めども尽きせぬ泉
2 分析の記録
第5章 記憶のなかの分析
Ⅰ 遠い過去
1 トルバドゥール、アダン・ド・ラ・アル、ギヨーム・ド・マショー
2 クロード・ル・ジューヌ《春》
3 ヨハン・ゼバスティアン・バッハ
4 ジャン=フィリップ・ラモー
Ⅱ ウィーン古典派
1 ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト
2 ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン
Ⅲ オペラ
1 演劇、音楽、分析
2 クラウディオ・モンテヴェルディ《オルフェオ》
3 リヒャルト・ヴァーグナー
4 モデスト・ムソルグスキー
Ⅳ ピアノ音楽
1 特別な楽器、ピアノ
2 フレデリック・ショパン
3 イサーク・アルベニス、再評価に値する作曲家
Ⅴ クロード・ドビュッシー
Ⅵ イーゴル・ストラヴィンスキー
1 ほとんどひとつしか作品を残さなかった作曲家
2 「もうひとりの」ストラヴィンスキー
Ⅶ その他の歯車
1 モーリス・ラヴェル
2 ベーラ・バルトーク
3 オネゲルとミヨー
4 アンドレ・ジョリヴェ
5 エドガー・ヴァレーズ
Ⅷ 新ウィーン楽派
1 メシアンと新ウィーン楽派──意表をつく組み合わせ
2 分析家、植字工、十二音主義者
3 アルバン・ベルク《ヴォツェック》
Ⅸ メシアンの作品
1 彼自身へと姿を変えるメシアン
2 分析される分析家
3 テープに収められた分析──《鳥のカタログ》より〈コシジロイソヒヨドリ〉
Ⅹ 同時代の音楽家
Ⅺ 「時間を超えた」心のつぶやき──非西洋の音楽
第6章 メシアンの授業が作曲家に与えたインパクト
Ⅰ 開かれた作品
Ⅱ 和声クラスとドラピエール邸での授業
Ⅲ 分析クラス
1 初期の分析クラス、セリアリズムの波及
2 ドメーヌ・ミュジカルの世代
3 一九五〇年代から一九六〇年代にかけて
4 作曲クラス
終章
1 よき人、よき場所、よき時間
2 革新の波のただなかで
3 唯一無二の分析家
4 人間、音楽家
[付録]付録1:メシアンのクラスに登録した生徒の一覧
付録2:メシアンの教室で扱われたレパートリー
訳註
訳者あとがき
[索引]
1 人名
2 音楽作品
3 事項
[参考資料一覧]
1 文献資料
2 音源資料
3 視聴覚資料
4 原書刊行後に発表された主要な関連文献(著者による追加)
5 訳者による補遺
[本書に登場する「メシアンの弟子」のリスト]
前書きなど
『オリヴィエ・メシアンの教室』 序文
小鍛冶邦隆(作曲家・東京藝術大学音楽学部作曲科教授)
私がパリ国立高等音楽院作曲科の「オリヴィエ・メシアンの教室」で学んだのは、1977年秋から翌78年6月のメシアン退任までの1年間に過ぎない。この年度の外国人学生は私の他、英国の作曲家・指揮者ジョージ・ベンジャミンがいた。
平野貴俊さんの秀逸な訳文を原文と照合する作業は、メシアンの教育活動を詳細に追ったジャン・ボワヴァンの記述の背後に、音楽教育と文化行政、あるいは国家による文化の統治ともいえるものの在り方を再認識することでもあった。
19世紀以来のパリ音楽院の作曲専門教育は、ソルフェージュと演奏技能を中心とした教育体制を基本としながら、和声、対位法、フーガという「エクリチュール」(音楽書法)学習を通じて、オペラ作曲家の登竜門である「ローマ大賞」として知られる卒業コンクールの課題であるオペラ的管弦楽法と作曲法を前提としたカンタータの作曲をゴールとするものであった。
ベルリオーズからメシアンに至るまで、こうした学習システムが不変のものであったことは周知の通りであり、しばしばその「保守性」が同時代からも、歴史的評価という点でも批判の対象となってきた。その一方で、エクリチュールの重視にひきかえ(メシアンも最初は和声クラスの教授に就任している)、具体的な作曲技法の習得についてはこれまであまり知られてこなかった。
19世紀前半のパリ音楽院作曲クラスにおいて重要人物であったアントニーン・レイハ(アントン・ライヒャ)の『高等作曲法講座』等の著作にあるように、「音楽分析(アナリーゼ)」が実際の作曲技法の指導における重要な教育であったことは確かだ(音楽院の教育のためではなくとも、ダンディの『作曲法講義』も同様である)。メシアンが「作曲クラス」を担当するのが、1968年のパリ五月革命に関連した、フランス文化教育の変革まで待たなければならなかったことについても、音楽院行政の保守性のみを問題にしてはならないだろう。
「音楽分析」が歴史的な作曲教育の要であるという認識に立てば、メシアンが「音楽分析クラス」を20年にわたり担当したという事実も、パリ音楽院における「作曲専門教育」が伝統的にどのようなものであったかということと関連している。
メシアンの作曲家としての(あるいはその作曲技法上の)特徴も、ある意味、パリ音楽院の歴史的教育──「芸術音楽」の文化としての自由を担保するものであると同時に統制するものとしても機能する教育の方法と理念の在り方の一例として、『オリヴィエ・メシアンの教室』を通じて見えてくるのである。日本の明治以来のヨーロッパ音楽受容史と教育の観点からも、本書邦訳の意味と価値は大きい。
上記内容は本書刊行時のものです。