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a:9:{s:12:"shoshi_title";s:59:"ソング・オブ・サマー 真実のディーリアス ";s:11:"shoshi_isbn";s:17:"978-4-86559-171-2";s:16:"shoshi_publisher";N;s:11:"description";s:3980:"英国音楽史に屹立する孤高の作曲家フレデリック・ディーリアス。 病に苦しむ作曲家に寄り添い、その最晩年の名作をともに紡ぎ出した青年音楽家が、 みずみずしい筆致で綴った回想録の傑作、待望の完訳! 音楽と人生との関係について書かれた、 もっとも美しい書物。 ──林田直樹(音楽ジャーナリスト・評論家) 病に苦しむ作曲家ディーリアスを助け、その最晩年の傑作群をともに紡ぎ出した6年間。 自然に抱かれたフランスの小村での奇跡的なコラボレーションを、みずみずしい感性で綴る。 「もう二度とあのような人に出逢うことはないだろう」 青年音楽家フェンビーは、大作曲家ディーリアスが不治の病に苦しんでいることを知り、作曲の手伝いをしたいと手紙を送る。 仏グレー・シュル・ロワンへ旅立ったフェンビーが直面したのは、盲目と全身麻痺に冒された偏屈な老人との奇妙な共同生活であった──  彼はニワトコの樹の下で車椅子に座り、  私がまったく新しい開始部を書き留めるのを待ちかまえていた。(略)  「エリック、君かい?」  私が庭の小道をやってくるのを聞きつけて、彼はそう呼びかけた。  「新作の新たな開始部を書き留めてほしい。  君の五線譜を持ってきて、私の隣に座っておくれ……」 本書は、英国音楽史に独特の存在感をもって屹立する作曲家フレデリック・ディーリアス(1862-1934)の最晩年を描いた回想録。 病に苦しむ老作曲家を助け、その「白鳥の歌」ともいうべき珠玉の作品群をともに紡ぎ出した音楽家エリック・フェンビー(1906-1997)が、作曲家没後の1936年に出版した回想録Delius as I Knew Himの全訳である。 あらゆる点で正反対な二人の音楽家の想像を絶する共同生活、奇跡的なコラボレーション、創造の歓び、そして宗教的な葛藤が、清新な感性で綴られ、一篇の文学作品といっていい回想録の傑作を生み出した。 1968年にはイギリスを代表する伝記映画の巨匠ケン・ラッセル(『恋人たちの曲/悲愴』『マーラー』)が、Song of Summerと題して映像化し、BBCが放送。日本でも1970年にNHKが放送し、わが国にも多数のディーリアン(ディーリアス愛好家)を生んだ。イギリスのシンガーソングライター、ケイト・ブッシュが、ラッセル監督の映画をもとに〈ディーリアス〉(1980)を発表したことによっても知られている。 今回、英国に在住し、「ディーリアスとゴーギャン」を研究テーマとして、英国音楽の普及に尽力する若きヴァイオリニスト小町碧が全訳を敢行。 イギリス音楽を専攻する音楽学者・向井大策が監修し、イギリス音楽を愛する音楽ライター・オヤマダアツシが解説を執筆するという万全の布陣により、待望の日本語版出版が実現した。 なお、本書の出版と小町碧による出版記念リサイタルを対象としたクラウドファンディングでは、160人もの賛同を得、100万円を超える出資が集まった。 英国の作曲家ディーリアスの晩年を描いた伝記の日本初の翻訳出版&ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を成功させたい!|MotionGallery 「真実のディーリアス ~小町碧 出版記念リサイタル~」|高嶋音楽事務所 出版、リサイタル、CDリリースなどに次々に広がるこの「ディーリアス・プロジェクト」を発案し、プロデュースしたのは音楽評論家の林田直樹である。";s:6:"author";s:49:"エリック・フェンビー(著/文)…他2名";s:10:"publishers";s:33:"アルテスパブリッシング";s:9:"publisher";N;s:9:"productor";s:33:"アルテスパブリッシング";s:12:"release_date";i:1510671600;}

ソング・オブ・サマー 真実のディーリアス
Delius as I Knew Him

芸術 ラノベ

エリック・フェンビー(著), 小町 碧(訳), 向井大策(監修)
発行:アルテスパブリッシング

四六判   336頁  並製
価格 2,400円+税

ISBN 978-4-86559-171-2   C1073

奥付の初版発行年月 2017年11月
書店発売日 2017年11月15日
登録日 2017年10月5日

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紹介

英国音楽史に屹立する孤高の作曲家フレデリック・ディーリアス。
病に苦しむ作曲家に寄り添い、その最晩年の名作をともに紡ぎ出した青年音楽家が、
みずみずしい筆致で綴った回想録の傑作、待望の完訳!

音楽と人生との関係について書かれた、
もっとも美しい書物。
──林田直樹(音楽ジャーナリスト・評論家)

病に苦しむ作曲家ディーリアスを助け、その最晩年の傑作群をともに紡ぎ出した6年間。
自然に抱かれたフランスの小村での奇跡的なコラボレーションを、みずみずしい感性で綴る。

「もう二度とあのような人に出逢うことはないだろう」

青年音楽家フェンビーは、大作曲家ディーリアスが不治の病に苦しんでいることを知り、作曲の手伝いをしたいと手紙を送る。
仏グレー・シュル・ロワンへ旅立ったフェンビーが直面したのは、盲目と全身麻痺に冒された偏屈な老人との奇妙な共同生活であった──

 彼はニワトコの樹の下で車椅子に座り、
 私がまったく新しい開始部を書き留めるのを待ちかまえていた。(略)
 「エリック、君かい?」
 私が庭の小道をやってくるのを聞きつけて、彼はそう呼びかけた。
 「新作の新たな開始部を書き留めてほしい。
 君の五線譜を持ってきて、私の隣に座っておくれ……」

本書は、英国音楽史に独特の存在感をもって屹立する作曲家フレデリック・ディーリアス(1862-1934)の最晩年を描いた回想録。
病に苦しむ老作曲家を助け、その「白鳥の歌」ともいうべき珠玉の作品群をともに紡ぎ出した音楽家エリック・フェンビー(1906-1997)が、作曲家没後の1936年に出版した回想録Delius as I Knew Himの全訳である。

あらゆる点で正反対な二人の音楽家の想像を絶する共同生活、奇跡的なコラボレーション、創造の歓び、そして宗教的な葛藤が、清新な感性で綴られ、一篇の文学作品といっていい回想録の傑作を生み出した。

1968年にはイギリスを代表する伝記映画の巨匠ケン・ラッセル(『恋人たちの曲/悲愴』『マーラー』)が、Song of Summerと題して映像化し、BBCが放送。日本でも1970年にNHKが放送し、わが国にも多数のディーリアン(ディーリアス愛好家)を生んだ。イギリスのシンガーソングライター、ケイト・ブッシュが、ラッセル監督の映画をもとに〈ディーリアス〉(1980)を発表したことによっても知られている。

今回、英国に在住し、「ディーリアスとゴーギャン」を研究テーマとして、英国音楽の普及に尽力する若きヴァイオリニスト小町碧が全訳を敢行。
イギリス音楽を専攻する音楽学者・向井大策が監修し、イギリス音楽を愛する音楽ライター・オヤマダアツシが解説を執筆するという万全の布陣により、待望の日本語版出版が実現した。

なお、本書の出版と小町碧による出版記念リサイタルを対象としたクラウドファンディングでは、160人もの賛同を得、100万円を超える出資が集まった。

英国の作曲家ディーリアスの晩年を描いた伝記の日本初の翻訳出版&ヴァイオリン・ソナタ全曲演奏会を成功させたい!|MotionGallery
「真実のディーリアス ~小町碧 出版記念リサイタル~」|高嶋音楽事務所

出版、リサイタル、CDリリースなどに次々に広がるこの「ディーリアス・プロジェクト」を発案し、プロデュースしたのは音楽評論家の林田直樹である。

目次

エリック・フェンビー略伝(クリストファー・パーマー)

ソング・オブ・サマー 真実のディーリアス
 Ⅰ フレデリック・ディーリアスの人生における間奏曲
 Ⅱ 私たちはどのように作業したか
 Ⅲ 私が知ったディーリアスの人となり、作曲家としてのいくつかの側面
 Ⅳ 日 没

Appendix
 ディーリアスの作曲法
 一九八一年版へのあとがき
 ディーリアスとフェンビーの遺産



訳者あとがき ディーリアスとフェンビーが私に教えてくれたこと(小町碧)
解 説(オヤマダアツシ)
ディーリアス略年譜(沼辺信一)
索 引

前書きなど

訳者あとがき ディーリアスとフェンビーが私に教えてくれたこと
小町碧

 「ディーリアスの伝記本を翻訳しませんか」
 二〇一五年九月、音楽評論家の林田直樹さんのラジオ番組「カフェ・フィガロ」に出演したさい、林田さんからこう問いかけられて、私は驚いた。「いつか」ディーリアスの資料を翻訳したいという願いが心の隅にあったものの、私にとっては雲の上の話だと思っていたのだ。
 「伝記本が出版されるとなったら、私もパートナーになります」と林田さんが続いておっしゃった。そのお言葉に感激し、「はい、お願いします!」と答えた。
 収録後、私はエリック・フェンビーのDelius as I Knew Himについて考えていた。まず最初に翻訳するべき資料は、この本である。収録では自信満々に翻訳を引き受けてしまったが、はたして、演奏家である私にできる仕事なのだろうか?
 半信半疑の気持ちのなか、ロンドンに戻り、とりあえずDelius as I Knew Himを再度読むことにした。フェンビーがディーリアスとともに過ごした日々、まるで映画の物語のような美しい情景に惹きこまれ、あまりにも正直で人間性がむき出しになったフェンビーの語りに、胸が熱くなった。そして、この本で言及されているディーリアスの音楽をもういちど聴いた。フェンビーが二二歳の若さで「ディーリアスのために自分は何ができるのか」と考え、その思いを行動に移した結果、これらの音楽が世に残ったのだ。そう考えると、その美しい旋律はいっそう心に訴えかけてきた。とにかく、ひとりでも多くの人にこの感動を伝えたい。そのためには一刻も早く翻訳に取りかかるべきだという気持ちがこみあげた。
 それから約一年かけて、演奏活動の合間に少しでも時間があれば、翻訳に取り組んだ。フェンビーの詩的な文章をどうしたら日本語で適切に表現できるのか、ずいぶん悩んだ。イギリス人にとってもそう簡単に読める文章ではない。あるとき、英国ディーリアス協会の会議の席上、この本を翻訳していると話したら、予想以上に驚きのリアクションを受け、そこからフェンビーの文章の芸術性についての討論が始まった。ディーリアス基金の顧問であるスティーヴン・ロイド氏は、後日、ディーリアスとフェンビーにかんする貴重な資料や自身の著書Fenby on Deliusを送ってくださり、その後もディーリアス協会からさまざまな励ましをいただき、なんとか翻訳を終えることができた。
 それまで、私は演奏家としてひたすらディーリアスの音と向き合うことしかしてこなかったが、フェンビーの文章と向き合い翻訳する過程をつうじて、「演奏家の役割」をあらためて考えるようになった。演奏も翻訳もコミュニケーションのツールであり、国境を越えて人々と感動を共有できる。翻訳を終えてつくづく思ったのは、音と言葉には根本的な共通点があり、人の心を動かす力があるということだ。若き敬虔なカトリック信者であるフェンビーに対し、老人で無神論者のディーリアス。どう考えても正反対な二人が、さまざまな葛藤をかかえながらも、二人三脚でかずかずの作品を完成させたのだ。このことは、二人をたがいに引き寄せ、「不可能」を「可能」にしたディーリアスの音楽の偉大な力を物語っている。

 出版にあたり、エリック・フェンビーの子息のロジャー・フェンビー氏に会うことができた。あるとき、彼はこのように話していた。
 「父は、ディーリアスが亡くなったあとも、ディーリアスとともに歩みつづけていました。わが家にはディーリアスの大きなリトグラフが飾られ、まるで神様のように私たちを見下ろしていたのです」
 振り返ってみれば、ディーリアスの音楽に出会っていらい、私もまたディーリアスの魔法にかけられ、強力な磁石に引きつけられていくようにその音楽に没頭した。そして、そこからさまざまな出来事が起こり、さまざまな運命的な出会いにめぐまれたのだ。

 本書の出版が実現できたのは、多くの方々の多大なお力添えのおかげだ。この場で、お世話になったすべての方に御礼を申し上げたい。林田直樹さんに背中を押していただかなければ、この本の翻訳は、私にとって永遠に見果てぬ夢であったことだろう。林田さんは出版をご提案くださるだけでなく、みずから「ディーリアス・プロジェクト」のプロデューサーとしてクラウドファンディングを立ち上げてくださった。林田さんの呼びかけに多くの方が賛同し、プロジェクトはさまざまな方向へと広がった。株式会社アルテスパブリッシング代表の木村元さんには企画段階から出版まで多大なサポートをいただいた。熱烈なディーリアス愛好家、沼辺信一さんからは翻訳について多くの助言をいただき、また巻末の略年譜も作っていただいた。心から感謝申し上げたい。イギリス音楽を専攻する音楽学者、向井大策さんには、豊富な知識、細部への心配りの行き届いた監修により、原稿を完成していただいた。さらに、音楽ライターのオヤマダアツシさんからは、ディーリアスがいかなる作曲家だったのかについての「解説」をご提供いただいた。こうした方々のお力添えにより、日本のみなさんにディーリアスを広く知っていただくための、万全の書籍が仕上がったと思う。
 出版にあたって英国ディーリアス基金からいただいた助成金は、プロジェクトの大きな支えとなった。また、原書に掲載された写真は多くのものが行方不明となっていたが、ディーリアス基金会長のライオネル・カーリーさん、そしてロジャー・フェンビーさんのご協力により、大半の写真を見つけることができた。

 ディーリアスとフェンビーが私に教えてくれたこと─音楽をつうじた純粋な心の通い合いによって引き寄せられる人々のつながりは、どんな困難をも乗り越えていく。そして、彼らの魂は音楽の中に生きつづけている。この本が読者のみなさんにとっても、さまざまな勇気と希望への鍵となることを願っている。

著者プロフィール

エリック・フェンビー(エリック フェンビー)

作曲家。英国の作曲家フレデリック・ディーリアス(1862–1934)の筆記者として知られる。ディーリアスと同じヨークシャー州に生まれ、幼少期から絶対音感をはじめ音楽の才能をあらわす。12歳から18歳まで生地スカーバラの教会でオルガニストを務めるかたわら、作曲を独学。1928年、22歳のときにディーリアスの《春はじめてのカッコウを聞いて》を聴き、感銘を受ける。ディーリアスが盲目と全身麻痺に苦しみ、作曲ができないことを知り、手紙で手伝いを申し出る。仏グレー=シュル=ロワンのディーリアス邸での共同作業は6年間におよび、フェンビーはディーリアスの口述により、ヴァイオリン・ソナタ第3番をはじめ、管弦楽曲《夏の歌》、合唱と管弦楽のための《告別の歌》、独唱と管弦楽のための《牧歌》など、大規模な作品も含め、10曲ほどを完成させた。ディーリアス没後に出版した回想録『Delius as I Knew Him』(1936)は、作曲家の最晩年の姿を生き生きと描き出し、ケン・ラッセル監督によって映像化(BBCテレビ映画『Song of Summer』)され、またシンガー・ソングライター、ケイト・ブッシュもラッセル監督の映画をもとに〈Delius〉(1980)を発表するなど、世界中の多くの人々を魅了した。
1939年にはアルフレッド・ヒッチコック監督の映画『巌窟の野獣』の音楽を担当、その後も作曲家として活動を続けたが、ディーリアスの存在を乗り越えることはできず、作品のほとんどを破棄。その後は音楽教育者として活動した。ノース・ライディング教員養成校の音楽科を創立し、1962年にはディーリアス生誕100周年記念音楽祭での功績によりOBE(大英帝国勲章)を受勲。1964年から77年にかけて英国王立音楽院作曲科の教授を務めた。
1968年にBBCで放送された映画『Song of Summer』の収録にあたっては、グレー=シュル=ロワンに戻り、ケン・ラッセル監督の顧問として制作を支えた。
晩年は妻ロウィーナと故郷のスカーバラに定住して穏やかな生活を送った。1997年死去(享年90)。

小町 碧(コマチ ミドリ)

ロンドン在住のヴァイオリニスト。12歳でチューリヒ室内管弦楽団と共演してデビュー。以来、国際的な活動をおこなっている。英国王立音楽院の音楽学士・修士課程を首席で卒業。英国と日本を拠点に、両国の音楽を国際的に紹介していく活動は、NHK、BBC Radio 3など、さまざまなメディアに紹介されている。長年の研究テーマである「ディーリアスとゴーギャン」については、日本経済新聞に特集記事が掲載され、2013年には英国ディーリアス協会に表彰された。
https://www.midorikomachi.com/

向井大策(ムカイ ダイサク)

沖縄県立芸術大学准教授。 愛媛県松山市出身。東京芸術大学音楽学部楽理科卒業(アカンサス音楽賞)、同大学大学院音楽研究科修士課程を経て、博士後期課程修了。博士号(音楽学)。ベンジャミン・ブリテンを中心とした20世紀のオペラにかんする研究をおこなう。

上記内容は本書刊行時のものです。