書店員向け情報 HELP
出版者情報
在庫ステータス
取引情報
葬られた驚愕の古代史
越智国に“九州王朝の首都”紫宸殿ありや
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2018年5月
- 書店発売日
- 2018年5月28日
- 登録日
- 2018年5月24日
- 最終更新日
- 2018年5月24日
紹介
伊予国内の一角の越智国は、我が国の主権国家であった九州王朝・倭国から近畿天皇家に政権移行するその渦中の真っ只中に存在した--。越智国を足がかりとして、闇に葬られてしまった日本の古代の姿を明らかにする。
目次
1.刊行にあたって
2.第一編 伊予に在った古代王国「越智国」
2-1.越智国の曙
2-2.越智国の残映
2-3.越智国の領域とその都
2-4.越智国と出雲王朝
2-5.越智氏の出自―「オチ」元は「コチ」だった
2-6.結語
3.第二編「日出ずる処の天子・多利思北孤」の伊予行幸
3-1.聖徳太子は虚像だった
3-2.『隋書』「?国伝」が物語る九州王朝
3-3.『伊予国風土記』を読み解く―五度の行幸の真実
3-4.「温湯碑」が語る真実
3-5.結語
4.第三編 万葉集を彩る九州王朝の天子・中皇命とは
4-1.中皇命の人物像に迫る
4-2.「中皇命」は法名であった
4-3.中皇命の天子名は舒明・皇后は斉明
4-4.伊予における舒明の足跡―「温湯宮」
4-5.結語
5.第四編 九州王朝の天子・斉明と熟田津
5-1.斉明は九州王朝の天子であり皇極と斉明は同一人物ではない
5-2.天子・斉明の越智国における足跡
5-3.「熟田津石湯行宮」の比定地
5-4.「万葉八番歌」の熟田津
5-5.袁智天皇とは
5-6.娜大津の長津宮考―斉明紀・天智紀の長津宮は宇摩国長津に在った
5-7.越智国・宇摩国に遺る「九州年号」
5-8.斉明天子崩御の地
5-9.結語
6.第五編 永納山古代山城築造の背景
6-1.神籠石城・朝鮮式古代山城・水城
6-2.永納山古代山城
6-3.結語
7.第六編 九州王朝存在の証―「評」による証言
7-1.郡評問題 7-2.筑紫都督府
7-3.評が示す伊予国
7-4.結語
8.第七編 越智国に「紫宸殿」あり 九州王朝の幻の首都だった
8-1.越智国の「紫宸殿」と「天皇」地名
8-2.「紫宸殿」名称がわが国へもたらされたのはいつか
8-3.越智国「紫宸殿」の造営時期と主人公
8-4.その後の「紫宸殿」
8-5.結語
9.第八編 天武天皇の謎―「万世一系」系図作成の真相
9-1.天武天皇通説の人物像
9-2.『日本書紀』は天武天皇のために編纂された
9-3.天武天皇の后たち―天智の娘四人が天武の妻となった
9-4.天武天皇は天智天皇の実弟ではない
9-5.天武天皇の前称号「大皇弟」の真実
9-6.天武天皇の諱「真人」とは
9-7.斉明天皇と天武天皇は親子ではない
9-8.「壬申の乱」の真実
9-9.天智天皇の死は病死か暗殺か―陵墓の不思議
9-10.天武天皇は「近畿天皇家」を簒奪した―それは「易姓革命」の序章だった
9-11.天武天皇及びその後継者は何故「九州王朝」を抹殺したのか
9-12.天武系の天皇が皇室の仏式・神式の祭祀から除外されたのは何を物語るか
9-13.結語
10.第九編「九州王朝」の終焉と新生「日本国」の成立
10-1.「多元史観」による「九州王朝説」の根拠
10-2.中国史書に見る「九州王朝説」の概要
10-3.「九州王朝」の終焉と新生「日本国」の成立―王朝交代は禅譲か放伐か
10-4.結語
11.追編「古代史の万華鏡」
11-1.「九州王朝」にあった二つの「正倉院」の謎
11-2.「伊予」と「愛媛」の語源―「言素論」が解き明かす
11-3.伊予国府の比定地―国分・古国分の地名考察
11-4.風早に南海道の発見と伊予の「前・中・後」
11-5.〈エッセイ〉「髙御産巣日神」対馬漂着伝承の一考察
12.付録
12-1.「伊予国内大型古墳分布一覧と国々の推定領域」
12-2.「九州王朝・倭国の略系図」
13.あとがき
前書きなど
私の研究対象は越智国という伊予国内の一角の単なる郷土史ではなかった。その中の幾つかの出来事は、実は通説の古代史を揺るがすものであった。つまり、越智国は我が国の主権国家であった九州王朝・倭国から近畿天皇家に政権移行するその渦中の真っ只中に在ったのである。それ故、現代に至るまで通説とされているものとは全く違うものになっていた。
そこで、越智国を足がかりとして、闇に葬られてしまった日本の古代の姿をも明らかにしたいという思いからこの書をまとめ、読者諸氏に捧げたい。
「“時のうつろい”に亡びぬ真実こそが万世最大のロマンである」(古田武彦)と願いつつ。 本書「刊行にあたって」より
上記内容は本書刊行時のものです。