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NGOの源流をたずねて
難民救援から政策提言まで
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2011年1月
- 書店発売日
- 2011年2月18日
- 登録日
- 2011年2月16日
- 最終更新日
- 2011年2月17日
紹介
日本のNGOの草分けJVC(日本国際ボランティアセンター)の創設期、発展期、現在の3人のリーダーへのインタビューをもとに、NGOの本質に迫ります。
目次
第1章 時代が生んだNGO
そもそもNGOとは何か
NGOとして、国として
日本の国際協力NGOとしての台頭
第2章 組織を立ち上げた人びとの原理と行動――星野昌子さんに聞く
国際協力の時代がやってきた
最初は誰だってド素人
星野さんの話を聞いて…
第3章 イデオロギーを乗り越えた現場主義――熊岡路矢さんに聞く
NGOによる人道支援と開発
現場から学ぶこと
熊岡さんの話を聞いて…
第4章 NGO脱政治のポリティクスを乗り越えて――谷山博史さんに聞く
戦争と平和に向き合うNGO
新しい価値とスタイルの組織へ
谷山さんの話を聞いて…
前書きなど
「なぜ、あなたはNGOに関わるのですか?」
私はしばしばこのような質問を受けることがある。
ここで言うNGOとは研究対象としてのNGOでもあり、活動としてのNGOでもある。どちらにしても日本でNGOが広く認知され始めてからそれほど長い歳月が経っておらず、またNGOが与える肯定的な印象によって、私は「NGO」という言葉でいろいろと得することもある気がする。研究の面に限って言えば、私はNGOを国際関係論(国際政治学)の視点から「研究」する職業人間である。これについての異論はまったくない。
しかし、正直に言えば、私はNGOを研究することに少なからずの「後ろめたさ」や「戸惑い」を抱くことがある。それは、NGOの第一線に立つ人にしてみれば、研究の世界はどこか「生ぬるく」、そしてリアリティとかけ離れた「机上の空論」であるというような印象があることをよく知っているからである。今まで、学術論文や学術書という形でNGOに関するものをいくつか手がけてきたが、学術という名前がつくものは、どれも堅苦しく一般の人びとにはなかなか伝わらないという反省点が残った。もっと、一般の人びとに浸透しやすい形で伝えるべきであると強く思う。そのためには、もっと読みやすく、平易な言葉で語る必要があると思う。
「なぜ、あなたはNGOに関わるのですか?」という質問は、とてもシンプルでありながらも答えに窮する問いでもある。したがって、本書はこのような問いを明らかにすることを大きな狙いとしたい。この問いに答えることで研究者としての「後ろめたさ」や「反省点」を乗り越えるきっかけがつかめるかも知れない。
いつから私はNGOに関心を持ったのだろうか。そこには私がNGOと出会うきっかけとなる「原体験」があったのかもしれない。
NGOと関連して「ボランティア」という言葉がある。ボランティア活動は、厳密に言えば必ずしもNGOと同一の意味合いの言葉ではない。しかし、NGOとボランティアはどこかで密接に関わっていることが多い。そして、私がNGOに興味を抱くようになった原点にも、大学一年生時の社会的な情勢やボランティア体験が大なり小なり影響しているように思える。これが本当に私にとっての直接的な「原体験」であるのかどうかは、正直私にもわからない。しかし、今から振り返ってみると、NGOに本格的に関わろうとしたきっかけのスタートラインには、この時の体験が思い浮かんでしまうのである。
私は一九九一年に大学に入学した。世界史的には湾岸戦争が勃発した年であり、ソ連の崩壊が始まる年でもあった。私は韓国で学部生活を送ったが、その時の韓国は、軍事政権から民主政権へと移行する過渡期であり、いまだ、全国の大学各地では、激しい学生運動が繰り広げられていた。特に一九九一年には、新学期早々、ソウル市内の大学で起きたデモを機動隊が鎮圧する過程で学生一人の命が犠牲となってしまったのである。そして、私の記憶が正しければ、一九九一年の一年間に一三人の大学生が民主化を叫びながら焼身し、自らを犠牲にした。民主主義のための自己犠牲は高校を卒業したばかりの私にとっては、まさに衝撃そのものであった。
日本で言えば一九六〇年六月一五日、安保条約反対を叫ぶ激しいデモの最中に樺美智子さん(当時二二歳)が警官隊との衝突の中で犠牲になった歴史がある。日本の社会運動と韓国の民主化運動を単純に比較することはできないが、その激しさは日本以上であったのかもしれない。
韓国は三月に新学期を迎える。その当時は毎年四月になると、李承晩政権の不正選挙に反対する学生デモが起きた一九六〇年の「四・一九革命」を記念する学生デモ隊と警察機動隊との間で、激しい衝突が頻発していた。また、五月になると、日本では「光州事件」として知られる民主化運動を記念するための学生運動、労働運動、在野団体のデモやイベントが催され、それを封じ込めようとする警察機動隊との間で、またもや激しい衝突が大学周辺や街のいたる所で繰り広げられていた。韓国の激しい「受験戦争」から解放され、自由とロマンス溢れるキャンパス・ライフに憧れていた私の大学生活は、そのような憧れに裏切られつつ始まっていった。
そんな中、一九九一年四月ごろ、学科の先輩に誘われて「ロタラクト」というサークルに加入した。そのサークルは一般的に言えば、国際的に有名な「ロータリー・クラブ・インターナショナル」の青年組織にあたる位置づけなので、「ハイカラ」な印象が漂っても不思議ではない。けれども、私が通っていた大学は事情が少し違っていた。(今の状況はまったく知らないが、)当時は大学のサークル室が足りないという理由から、狭いサークル室を二団体以上が共有する場合が多々あった。「ロタラクト」の場合、「常緑樹」という名のサークルとの相部屋であった。「常緑樹」は、韓国で一般に「夜学」と呼ばれる活動を行なうサークルであった。つまり、貧困層や労働者層に夜間、大学生が勉強を教えるボランティア活動を行なうグループだった。当然、社会運動に高い関心を表明していたし、政治・経済・社会のさまざまなイシューに関しての「問題意識」の溢れる人びとが構成員であった。人びとの服装も質素であったと記憶している。そして、そのようなサークルとの相部屋を受け入れた「ロタラクト」の先輩が、社会問題に関する問題意識を抱く人であったことは、疑う余地もない。私の「原点」は、ここでも社会運動の雰囲気をまとわされていたことになる。
「ロタラクト」は五月ごろから、毎月第一・三土曜日にソウル市郊外にある、「児童保護施設」で〇歳から三歳児位までの「ワケあり」の子どもが預けられた施設でのボランティア活動を行なった。仕事は子どもの汚れた下着や衣服の洗濯、掃除、そして食事の世話と遊ぶことであった。大変と言えば大変な作業だが、汚物に汚れた下着の洗濯以外に嫌だった活動はなかったと思う。先輩や同期たちと共に行なうボランティア活動が楽しかったし、言葉にできない「やりがい」を感じていた。
しかし、私は、ここで、私が体験した「楽しさ」や「やりがい」を伝えたいのではない。そうではなくて、私がその施設で感じた「矛盾」や「偽善」について述べたいのである。その施設には二~三人の専従スタッフがいた。施設長(院長と呼ばれていたと思う)をはじめ、数人のスタッフがいた。施設で預かる乳幼児は、主として、迷子になったか、養育を放棄されたパターンが多かった。二〇人程度が常時いたと記憶している。限られたスタッフで、二〇人前後の子どもたちを二四時間世話することが、どれだけストレスのたまることなのかは、想像するに難くない。
しかし、ボランティアとして出かけていった私たちは、何度も納得できない疑問を感じた。それは、「施設長は本当にこの子どもたちの親代わりだと思っているのだろうか? 仕事としていやいや務めているのではないだろうか?」というものであった。たとえば、彼の食事は常に、どう見ても子どもたちが口にする食事よりもごちそうであったことを覚えている。また、彼は、施設で働く若いスタッフや私たちのようなボランティアに、威圧的と言うか権威的と言うか、そのような態度をとりつつ、上から「命令」していた。子どもたちを叱る態度も、「しつけ」という言葉を使うにはふさわしくないことが多々あった。それは優しい社会福祉士の姿ではなく、口先だけで命令する威圧的なボスであり、望ましいリーダーの像はどこにもなかった。彼がこの仕事に満足しているとは思えなかった。
なぜ、このような人物が施設の長を務めているのだろうか。子どもたちにとっても本人にとっても悲劇であると思った。しかし、私たちボランティアは月に二度程度、しかも一度に半日程度しか滞在しない。真相がわからないままナイーブな正義感や感傷に浸ることはできない、というのが当時の私たちの結論であった。つまり、問題を座視したくもないけれど、かといって積極的に問題解決に取り組むまでの意思もなかった。
この問題を解決するためには、「本気」になる必要があった。そうでない限り、何一つ変わらない。結局、そこまで「本気」になれなかった私や私の仲間は徐々にその活動から離れてしまった。自らを犠牲にしたり、「本気」になったりすることはできないけれど、ボランティア活動をしながら「楽しさ」や「やりがい」は感じたい、そんな程度だったのである。
しかし、NGOやNPOと呼ばれる組織で働く人たちは、何に突き動かされて仕事に打ち込むのか。そこにある満足とは何なのか。そんな疑問が私の原体験の後も尾を引いていたことは間違いない。
何か良いことはしたいけれど、何をどうすればいいかわからない。そのような思いは数年後、日本の大学院でNGOを研究テーマにした時に蘇った。NGOを研究テーマに選んだのは、テーマとしての「斬新さ」であり、学部一年生の時の「原体験」を意識していたわけではない。しかし、偶然、日本国際ボランティアセンター(JVC)と出会い、そこに関わりながら、そして現場に出かけるという貴重な体験を通じて、過去に抱いた当時の問題意識が蘇ってきた。それらを言葉にしてみると次のようなものであろう。
余暇や趣味を超えて、仕事として人道支援や開発、そして平和活動に関わる人びとがいる。しかも、遠く離れた国や地域の問題を自分自身の問題のように捉えている。どのような原理が人びとを行動させ続けるのだろうか。カネ? 権力? 名誉? それとも信仰?
でも日本のNGOは、必ずしも欧米NGOのようにキリスト教や欧米の人権、人道規範に基づくものであるとは言えない。かといって、仏教や神道、日本やアジアの伝統的な文化体系によるものとも言い切れない。まして、NGOの人びとには、金銭的な保障も権力や名誉も他の職業と比べてないに等しい。にもかかわらず、NGOに関わろうとする人びとは増加の一途をたどっている。
なぜ、人は「他人」の問題に関わろうとするのだろうか。自己満足なのだろうか、それとも私が説明できない何らかの価値や使命に基づく行動なのだろうか。確かに、私自身、特別な使命を抱いているわけではないが、にもかかわらず、それを「あなたの行為は自己満足に過ぎない」と言われてしまったら悔しい。利他的な行動と言われる人間の行動原理を明らかにしてみることは大切なことであると思う。そこをNGOという地球規模の課題に取り組む人びとに焦点を当てて、もう少し明らかにしてみたいと思った。
上記内容は本書刊行時のものです。