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昭和恐慌の隠された歴史 佐高 信(著) - 七つ森書館
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昭和恐慌の隠された歴史 (ショウワキョウコウニカクサレタレキシ) 蔵相発言で破綻した東京渡辺銀行 (ゾウショウハツゲンデハタンシタトウキョウワタナベギンコウ)

社会科学
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発行:七つ森書館
四六判
288ページ
並製
定価 2,000円+税
ISBN
978-4-8228-7008-9   COPY
ISBN 13
9784822870089   COPY
ISBN 10h
4-8228-7008-1   COPY
ISBN 10
4822870081   COPY
出版者記号
8228   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2012年8月
書店発売日
登録日
2012年7月24日
最終更新日
2013年2月22日
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紹介

潰れてもいない銀行を、「破綻した」と蔵相が失言したことで始まった昭和2年の金融恐慌。大蔵官僚は様々な証言を残し、同行はその失言がなくても潰れるはずだったという定説を作った。
政治、官僚の無責任体制を暴くドキュメント。

目次

プロローグ

第1章 昭和二年三月十四日
     「到頭破綻を致しました……」
     喜色満面という顔

第2章 絵筆を握る経営者
     続出した銀行倒産
     専務、渡辺六郎
     「なかよし会雑誌」
     倒産後、名を改める

第3章 先祖の墓前で死にたい
     潔く責任を負った父
     天はたえず試練した
     「あの時」の銀行の位置
     沈黙したまま逝った死者

第4章 いくつかのイフ
     創業は明治十年十月
     あまりにも客観的な日銀レポート
     追及する政友会議員

第5章 蔵相答弁の?末
     〝失言〟の後の妥協
     開き直った片岡蔵相
     「銀行を殺したのは大蔵大臣である」
     「或は言わなかった方が……」

第6章 「賢兄愚弟」か「愚兄賢弟」か
     県警部長から財界へ
     大阪財界を牛耳った片岡兄弟
     田中角栄に似た党人派
     渡辺家の「変り種」勝三郎

第7章 片岡直温の覇心
     羽左衛門と梅幸を混ぜたような美男子
     三日後に制定された新銀行法
     練られていた四行合併案
     片岡と田中義一の極秘会談

第8章 政友会と憲政会
     「ぼんやりとした不安」の中で
     台湾銀行と鈴木商店
     福沢桃介の金子直吉評
     田中義一の違約

第9章 渡辺一門、栄華の夢
     武藤山治の「政商」批判
     「辛辣険峻」な吉植庄一郎
     「身から出たさび」か
     三月十五日は「財界命日」

第10章 銀行家の責任
     乱立する小銀行
     銀行家の条件とは
     十ヵ条の戒めを満たさず
     休業を知らなかった大蔵省
     〝宮内省御用〟銀行の倒産

第11章 狂乱の春
     左右田銀行の場合
     パニック再燃
     緊急勅令案否決さる
     日銀の非常貸出し
     発行された裏白紙幣

第12章 その後の東京渡辺銀行
     翌年六月の破産宣告
     渡辺六郎、ついに逮捕さる
     最後の銀行整理

第13章 預金者たちの無念の声
     大船まで押しかけた預金者
     自殺した人や発狂した人も
     安田銀行の対応

第14章 かつて「渡辺町」があった
     芸術家村をつくる
     先祖は塩物問屋、明石屋治右衛門
     九代目治右衛門と串田孫三郎
     「焼け太り」の中興の祖
     大正の目白御殿

第15章 金融恐慌と現在
     サラ金の簇生を生んだもの
     山一証券救済との比較
     責任の腑分けを

エピローグ


資料「恐慌日誌」(抄)
改訂版 あとがき
現代教養文庫へのあとがき
角川文庫へのあとがき
本シリーズにあたってのあとがき

前書きなど

本シリーズにあたってのあとがき

 私が監修・解説を担当しているこのシリーズに私自身の本を入れるのは、ある種のルール違反かもしれない。
 そんなに出来がいいと自惚れているのか、と呆れているような声も聞こえてくる。しかし、あえてこの本をラインナップにのせるのは、〝官僚国家〟の日本を撃つ数少ない本だという評が絶えないからである。ある大学の経済学部のゼミで、テキストとして使われていると聞いたこともある。
 二〇〇四年に『失言恐慌』と題して角川文庫に入った時の解説は渡辺保さんにお願いした。演劇評論家として著名な渡辺さんは、倒産した東京渡辺銀行の頭取、渡辺治右衛門の嫡孫である。
 渡辺さんは一時、自分でこの悲劇を書こうと思った。そして、何冊か本を出してくれていた駸々堂出版の編集者に話した。当時の動機を解説で渡辺さんはこう書いている。
 「その頃は、なにしろ今日と違って銀行はつぶれないものと誰もが思っていた時代である。しかも私は、生れる前の渡辺家の事件の悲惨さを、ことあるごとに周囲から聞かされて身にしみていたから、銀行だってつぶれることもあるし、今に銀行がつぶれる時代が来ると思っていた。今日の、これほどひどいことになろうとは思っていなかったが、もしそういう時代がくれば、その時人は何十年も前の渡辺家の事件を思い出すに違いない。事件の?末はひょっとすると人々の参考になるのかも知れない。そう思った」
 しかし、渡辺さんは経済学部を出ながらも経済オンチだったのと、父親の反対で、自ら書くのは諦める。後者はその死によって解消したが、自分の経済オンチはどうにもならなかった、と渡辺さんは振り返っている。
 それで私にお鉢がまわってきたのだが、一切の条件をつけずに渡辺さんは(というより実際には渡辺さんの母親が)資料を提供し、取材の便宜をはかってくれた。
 「父は死んでも一族には根強い反対も残っていた」などという事実は、この解説を読んで、はじめて知ったほどである。
 渡辺さんによれば、もうほとんどの人が鬼籍に入ってしまったが、電話で、
 「お前は知らないだろうが、あれは渡辺家の恥であり、今さら寝た子を起こして、損害賠償でも請求されたらば、どうするつもりだ」
 と激怒した人もいるという。
 もう時効だと思っていたが、渡辺さんは、
 「その時はその時です」
 と返したとか。
 こうした「隠された歴史」を書く時に最大の障害となるのは一族の反対である。私はその点で幸せだった。渡辺さんが一切の防波堤となってくれたからである。
 渡辺さんは実際に損害賠償を請求されたこともあった。酒の席の冗談だが、渡辺さんを教育の場に引っ張り出した慶應義塾大学の檜谷昭彦先生が、ある時、
 「うちのおふくろが、お前のうちの銀行に預金していたんだよ」
 と打ち明けたのである。
 おそるおそる渡辺さんが、
 「いくらですか」
 と尋ねると、
 「三百六十円」
 という答が返ってきて、渡辺さんは、
 「先生、それじゃあ、私がお返ししましょう。三百六十円ですね」
 と応じて大笑いになった。
 「しかし、その時、私は檜谷家はともかくも、うちの不始末のために、どれほど苦しんだ人がいたか、その社会的責任と、その罪を思わないわけにはいかなかった」
 渡辺さんはこう書いている。
 そんな渡辺さんの思いに応えられたかどうかはわからないが、渡辺さんは私に書いてもらってよかったとし、その意義を次のように強調している。引用するのも恥ずかしい過褒だが、このシリーズにあえて加えたことを弁明する意味で引かせてもらいたい。
 「この本が一点すぐれていて、私にはとても書けないと思ったのは、渡辺銀行の倒産が渡辺家の経営の問題であると同時に、実は政府の官僚による意図的な操作に原因があるという視点である。
 片岡蔵相の失言は、一見偶然の出来事のように見える。
 しかしその背景には、台湾銀行にはじまる一連の出来事に、どこかでけじめをつけなければならないという官僚の意図がかくされていた。この意図、この政策、この謀略。佐高さんは、それを実に綿密に立証している。
 むろん渡辺家の、ことに祖父の罪はのがれるべくもないが、しかしその一半は、政府の経済政策にあるという、この視点は、私ばかりか、祖父をも救うものであった。あの世で祖父は佐高さんに深く感謝しているに違いない。
 決して表面に立たずに甘んじて全財産をほうり出した祖父が、半世紀をへだててようやく、自分の真意を知る人、知己にめぐり合った。それは、自分の息子でも孫でもなく、佐高信その人だった。
 この一事は、一渡辺家の、まして十代目治右衛門その人の人生にかかわるだけではない。今日なおつづく官僚支配の日本社会への痛烈な批判でもある。そこがこの本の今日にも意味を持つ現代性であろう。今日の銀行の惨状、金融界の混乱が一体どこから来ているのかを示しているからである」
 渡辺さんは「佐高信という批評家の真面目はここにある」と続けているが、最初、率直に批判してもらって結構だから、と言ってくれた。
 しかし、『日本官僚白書』(講談社文庫)を書く過程で、官僚支配の無責任さを厭と言うほど知らされた私は、この東京渡辺銀行の破綻が「官が民に責任を転嫁した」結果、起こったものであることを確信したのである。
 残念ながら、現在も流布している「定説」は私の見解とは違っている。その多くが官側の史料に拠っているからである。倒産した銀行の側は沈黙せざるをえなかった。だから、官側の史料だけが残っているのであり、それに基いて書くから、放漫経営の結果という形で民を断罪し、官の責任を見逃してしまう。
 そのことに怒りの炎を燃やしながら、私はこの本を書いた。官僚支配の横暴と無責任さは現在の日本社会を見れば、すぐにわかるはずなのに、なぜ、昭和初期の恐慌の時は違うと思ってしまうのか。
……
 このドキュメントが一九九二年に『銀行倒産』と題して講談社文庫に入った時、解説を書いてくれた龍谷大学教授(当時、のちに中央大学教授)の奥村宏さんは、「現代への教訓として、まことに有益」なこの本は「生きた歴史として、よい勉強になる。経済学者や歴史学者が書いた金融恐慌に関する本や論文は多いが、血の通っていない、ひからびた経済史の本を読む前に、この『銀行倒産』を読むことを、サラリーマン、とりわけ銀行員にすすめる」と解説を結んでいるが、私は歴史を書いたのではなく、現代もしくは現在を書いたのだと思っていただけに奥村さんのこの結語は本当に嬉しかった。「すべての歴史は現代史である」というクローチェの言葉を待つまでもなく、現代への熾烈な問題意識を持って書くのでなければ歴史は歴史たりえない。私はこの本を、とりわけ若い人に読んでほしい。

  二〇一二年七月七日   佐高 信 

著者プロフィール

佐高 信  (サタカ マコト)  (

1945年山形県生まれ。慶應義塾大学法学部卒業。高校教師、経済誌編集長を経て、現在、評論家、「週刊金曜日」編集委員。おもな近刊に『電力と国家』(集英社新書)『池波正太郎「自前」の思想』(田中優子との共著、同)、『新師弟物語』(岩波現代文庫)、『タレント文化人200人斬り』『日本の社長はなぜ責任を取らないか』(ともに毎日新聞社)、『現代日本を読み解く200冊』(金曜日)、『西郷隆盛伝説』(角川文庫)『余白は語る』『民主党の背信と小選挙区制の罪』『竹中平蔵こそ証人喚問を』(いずれも七つ森書館)など。

上記内容は本書刊行時のものです。