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反骨のジャーナリスト市長 鈴木東民の闘争
- 初版年月日
- 2012年4月
- 書店発売日
- 2012年4月1日
- 登録日
- 2012年4月2日
- 最終更新日
- 2013年2月22日
紹介
公害阻止のため釜鉄とたたかい、ぼくは市長選に敗れて釜石を追われたが、ぼくの代わりに釜石市の大渡川にサケがやって来た――。
戦前、ドイツと日本でファシズムを批判して新聞記者を追放され、戦後は読売争議を率い、後に釜石市長となって権力、そして公害と闘った先見の明と不屈の精神。新田次郎賞受賞、渾身のドキュメント。その抵抗の生涯は読者に限りない勇気を与える。
目次
第1章 岩手県唐丹村
死亡記事で知らされた生存
唐丹村と鈴木一族
家族の肖像
「五葉の怪傑」柴琢治
反骨の系譜
「三閉伊通百姓一揆」の血脈
鈴木家破産す
反骨の萌芽
第2章 大正デモクラシーの洗礼
意気軒昂の苦学生
出席点制度撤廃運動
恩人・吉野作造
『帝国大学新聞』の創刊
宮沢賢治の好意
子連れ逃避行
妹・セイの結婚
関東大震災と朝鮮人
第3章 「ナチスの国を見る」
渡独の発端
ベルリンの日本人たち
ゲルトルートとの出会い
ヒトラー批判を日本に送稿
ユダヤ人ボイコットの現実
「ナチスは日本に好意を有つか」
ヒトラーの髭
反ファシズム統一戦線
追放命令
八年ぶりの帰国
日本発、徹底ナチス批判
『ナチスの国を見る』発刊への報復
第4章 流謫の日々
“反ナチス”外報部長
日本人民戦線の胎動
マリオンの受難
軍部の言論弾圧に屈せず
ついに言論封殺
流刑囚のごとく
日本軍国主義者が戦慄するとき
第5章 読売新聞大争議
新聞民主化へ決起
否決された自由懇話会の趣意書草案
復職交渉──正力松太郎との対決
大争議突入
史上最初の生産管理闘争
GHQ、正力逮捕を発令
つかのまの勝利──対日占領政策の転換
労組幹部六人解雇される
極東裁判での陳述
第6章 抵抗の釜石市長
経済闘争か政治闘争か
土地解放運動の最前線にたつ
共産党離党の辞
マリオンのレッドパージ
革新市長誕生
われ故郷に骨を埋めんとす
「自主再建」を目指す
「橋上市場」をつくる
反権力福祉重点の市政
市長選挙に落選
第7章 石をもて追わるるごとく
敗れてなお──市議選にたつ
孤立無援の闘い
惨敗
水海の同志諸君へ
「国崎定洞」を発見
独立不羈の家族たち
釜石市民への遺言
臨終
あとがき
本シリーズにあたってのあとがき
鈴木東民年譜
人名索引
解説◎佐高 信
前書きなど
本シリーズにあたってのあとがき
一八九六年(明治二十九年)の「大海嘯」(大津波)の被害は、三陸沿岸で二万二千人と伝えられている。今回よりも多かった。そのときの東民の叔父・柴琢治の活躍は、歴史に残されてある。
大震災後の五月、わたしは釜石から大槌町までの海岸線をまわってあるいた。その後、福島、宮城の被災地を訪問した。東民、柴琢など、わたしの主人公の時代と今回の津波の被災は、陸続きだったのだ。ときどき、自著にサインをもとめられたりすると、わたしは、
「勿軽直折剣」(直き折剣を軽んずなかれ)
と書いたりする。これは東民の支持者が額縁の裏側に秘蔵していた色紙に書きつけられていた文言である。東民は市長選に敗れたとき、その隠れ支持者に認めて与えた、唐代の詩人・白居易の五言絶句である。
「猶勝曲全鉤」(なお曲がりたる全鉤に勝る)と対句をなしているのだが、折れた剣に喩えた、挫折者の心意気である。
三陸海岸の中心的な町である釜石市は、歴史的な大海嘯、農民一揆、戦時下の艦砲射撃、製鉄所の撤退など、たびたびの激浪にもまれてきた。鈴木東民の反骨の一生は、その歴史と風土を抜きにしては考えられない。
東民の市長としての独創的な施策のひとつが、貧しい商人たちを収容した「橋上市場」だった。土地をもたない商人たちのために、鉄橋に並べて木製の橋を架け、その両側に商店を配置させた。それは若いときにいったイタリアのフィレンツェの記憶がヒントだった。
そのこともあって、たまたまフィレンツェにいったとき、かのヴェキオ橋の佇まいを遠望し、釜石の橋上市場とそっくりなのを確認できた。そのあと、宝石商などが並んでいると聞いていた橋の中を通り抜けることにし、まずは腹ごしらえ、とばかりはいったテラス式のレストランで、鞄を丸ごと置き引きされた。それで急遽ローマにでて、領事館でパスポートを更新する羽目になった。だから、橋を眼の前にしながら、ついに渡ることができなかったのだ。
わたしの東民伝は、彼のジャーナリスト時代に重量がかけられている。が、地方分権、地方自治が問い直されてきたいま、先駆的に地方自治体の自主性を強調していた東民に、いまこそ蘇ってほしい、との想いが強い。
二○一二年三月 東日本大震災3・11を前にして
上記内容は本書刊行時のものです。