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映画は千の目をもつ
私の幻想シネマ館
- 初版年月日
- 2018年12月
- 書店発売日
- 2018年12月12日
- 登録日
- 2018年10月17日
- 最終更新日
- 2018年12月13日
紹介
博覧強記の文筆家・海野弘の映画評論・映画エッセイを集成
パリ、ミラノ、ベルリン、ニューヨーク、激動の中国やロシア、ヴィスコンティ、ベルトルッチ、ハリウッドの黄金期を彩ったスタアたち、サイレント映画から『カフェ・ソサエティ』『ラ・ラ・ランド』まで
時空を超えた映画都市への旅へ、いざ――
目次
第1章 バビロン幻影Ⅰ──都市の相貌
映画のエコール・ド・パリ
ヘンリーとジューンとパリと
目覚めよパリ!──『ポンヌフの恋人』
ヴィスコンティとミラノ
暗箱のなかの都市 ドイツ映画・一九二〇年代
ベルリン・キノ・モンタージュ
ジェラシーの街──『ジェラシー』
ヨーロッパのフレームを壊す──『アメリカの友人』
アメリカの都市とカウボーイ神話
映画都市ニューヨーク
アール・デコ・ニューヨークへの挽歌──『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・アメリカ』
『イヤー・オブ・ザ・ドラゴン』とチャイニーズ・マフィア
未来はオリエンタル SF都市〈東京〉
ハリウッド・バビロン
LA二十一世紀バビロン──『ナイトクローラー』
第2章 バビロン幻影Ⅱ~失われた時を求めて
コクトー・二〇年代・映画
たそがれの見知らぬ街を求めて
ブルジョワジーの優雅な頽廃──『暗殺の森』
現代史のグランド・オペラ──『1900年』
中国のオイディプス──『ラストエンペラー』
女スパイ、上海に消ゆ
友への手紙 『灰とダイヤモンド』のテーマを聞いて
鏡の国を抜けて
20世紀の失われた声を求めて──『耳に残るは君の歌声』
ルーヴル美術館のさまよい──『フランコフォニア ルーヴルの記憶』
天国の門は開くか 八〇年代の空しさ
聖なる狩りの終末──『ディア・ハンター』
カリフォルニアからベトナムへ──『地獄の黙示録』
時の長い影を追って──『聖杯たちの騎士』
第3章 バビロン幻影Ⅲ~儚き夢の記憶
『赤い靴』のミラージ
映画の中のオペラ──『トスカの接吻』
フォリーの時代の歌姫──『偉大なるマルグリッド』
アル・カポネと暗黒街とハリウッド
犯罪映画黄金時代へのオマージュ──『パブリック・エネミーズ』
しかも、まだ、チャンピオンである──『レイジング・ブル』
アメリカのイノセントな時代──『ダーティ・ダンシング』
もうひとつのアメリカン・ドリーム──『ラ・ラ・ランド』
パリ 一九〇〇年のグランド・レヴュー
華やかで、はかない世界の恋物語
第4章 映画のデザイン
ハリウッド・ファッション
ハリウッド・スタイル
ハードボイルド・デコ フィリップ・マーロウのロサンゼルス
ニューヨークのアパートで──『アニー・ホール』
インテリア映画の流行
さまざまな部屋、さまざまな本──『読書する女』
ハリウッド・ポスター史話
第5章 スタアの肖像
シークへの喪章
イット・ガール盛衰記
モダン・ガールの誕生
ガルボ、たったひとりの戦い
ベルリンのルル
マレーネ・ディートリッヒの三〇年代
イングリッド・バーグマンの四〇年代
忘れじの面影 ジョーン・フォンテーンをしのぶ
タフでクールな貴婦人──ローレン・バコール
五〇年代の女優エヴァ・ガードナー
マイ・フェア・レディの光と影
女優たちの決闘 ハリウッド映画に見る女優映画の系譜
九十一歳のリリアン・ギュシュ
ボンドとフレミングのきわどい関係
ジョン・ウェイン、荒野に消ゆ
若き反抗者たち
ポール・ニューマン、長い旅の果てに
レーシング・スーツの陰に マックィーンの映画と現実
あとがきにかえて──二十一世紀のアリス 映画宇宙の長い旅
前書きなど
あとがきにかえて──二十一世紀のアリス 映画宇宙の長い旅
私は鏡を抜けて二十一世紀に入ってゆく。満天の星がかがやいている。映画もそれらの無数の星のかがやきではないだろうか。私はそのシネ・プラネタリウムを旅している。
私にとって、映画とは世界を見る目を与えてくれるものだ。一つの映画は、それまで知らなかった新しい見方を教えてくれる。別な映画は、またその映画独自の見方を教えてくれる。たくさんの映画はそれぞれに多様な世界を見せてくれるのだ。
映画論をまとめて読み返してみた時、私はふと〈映画は千の目を持つ〉ということばが浮かんだ。コーネル・ウールリッチ(アイリッシュ)のミステリー『夜は千の目を持つ』からの連想である。私が見てきたたくさんの映画が、それぞれ目のように私を見ているように思ったのである。
それぞれの映画は一つの目であり、それによって、それまで見えなかった新しい世界を開いてくれるのだ。映画という体験によって私は世界がこんなふうに見えることを教えられる。
これはそんなふうに、映画によって導びかれた世界を旅してきた記録である。あらためてふりかえると、映画によって見えてきた世界をやたらにあちこち歩きまわるというのが私の映画論であるようだ。論とはいってないものまでがごった煮のように入っている。
私が映画について書きはじめたのは一九七〇年代ぐらいからだ。それまでは無差別的にひたすら映画を見ていた。小学生の終りから東京の大田区馬込に住んでいたので、大森、大井町そして自由ヶ丘にいたる大井町線沿線の映画館はすべて私にとって、ムービー・パレスであった。
大学の時は新宿の映画館が中心であった。出版社に勤めるようになって、銀座の映画館にも行くようになった。
文章を書きはじめた時も、映画について書くなどとは思いもしなかった。芸術と文学について書き、映画は遊びであった。
しかし思いがけず、新しい映画を見て書いてみないかという誘いがあった。おそらく、ヴィスコンティやベルトルッチなど、歴史的知識が必要な映画が出てきて、〈世紀末〉を調べていた私のテーマに近かったからだろうか。
それまでアール・ヌーヴォー、アール・デコなどの古ぼけて、忘れられた美術に閉じこもっていた私は、映画の編集者に引っ張られて、試写室で映画を見て、批評を書くようになった。
ファッションにおいても映画と同じことが起った。それまで今年のファッションなどにまったく縁がなかったのであるが、レトロ・スタイルがあらわれて、〈世紀末〉の知識が必要となり、私は『花椿』や『ハイ・ファッション』などに書くようになった。
映画においてもファッションにおいても、一九七〇年代ごろに変化があらわれているようであった。考えてみると、映画とファッションは十九世紀末から二十世紀初頭の時代に、ほぼ同時代的に出発しているのである。そして二十世紀に発展していくが、一九六〇年代ごろどちらもピークに達し、壁にぶつかる。映画でいえば、ハリウッド・スタイルが行きづまる。ファッションにおいてもパリのオート・クチュールの体制が揺らぐ。新しい方向が見えなくなる。
私が映画とファッションについて書き出したのはそんな時代であった。つまり、それまでの批評の枠組が壊れたので、空白ができたのである。しかし当時はそんなことはわからなかった。
この映画論集をまとめながら、〈一九七〇年代〉がどのような変換期であったかが見えてきた。おそらく〈七〇年代〉は、映画が一つの〈歴史〉を持つようになった時代なのだ。それまでひたすら前へと進んできた映画芸術は一つのサークルを閉じ、その歴史をふりかえる。映画の記憶が整理され、まとめられ、記録され、アーカイヴがつくられる。ビデオ化によって、簡単に古い映画を再生でき、だれでも昔の映画を見ることができるようになる。
そのような歴史化によって、古い映画が解放され、そのイメージをいつでも取り出せるようになる。シネマテーク(映画図書館)ができることで、それまで職人的に受け継がれてきた映画製作が、一般に開かれ、シネマテークで勉強した学生たちが映画をつくるようになる。
そのような、いわば、だれでも映画がつくれる時代への変換がはじまったのが七〇年代なのだ。プロとアマの壁が壊され、さらには映画と他のアートとの壁もとり払われてゆくのが七〇年代である。古いものと新しいものの境界もなくなり、過去の歴史が異文化からの自由な引用の重ね合せが試みられる。なんでも使えるものを手あたりしだいかき集めて、継ぎはぎしていく。
映画は一つの歴史を持ち、過去の無数の映画の記憶を重ねながら新しい映画がつくられていく。七〇年代はその一つの出発点であった。それははじめは単なるレトロ趣味としてしか見られなかった。過去を重ねる方法は〈パンク〉と呼ばれ、一時的な、過渡的な現象と見られた。しかしパンクが一時的なものではなく、一つの本質的な転換であったことは、二十世紀に入り、特に二〇一〇年代において意識されるようになった。私たちは、〈七〇年代〉の意味を評価できる時点に達したのである。
この映画論集も七〇年代から現在にいたるような意味を語るものでありたいと思っている。私はかつて『映画、20世紀のアリス』という映画論集を出して、さらに、『エデンという名の映画館』『映画都市』などを出したが、その後しばらく映画について書かなかった。しかし二〇一〇年代に入って、私はまた映画について書くようになった。そして、七〇年代から現在にいたる一つのまとめとして新しい映画論集を編むことになった。これは私がたどってきたシネ・プラネタリウムの軌跡である。
もう、映画の本を出すこともないだろうと思っていた私にとって、これまでの映画論の集約を編むことはうれしい企画であった。佐野亨さんが、散り散りになり、私も忘れているような文章までを熱心に集めてくれた。そしてそれを見事に構成し、映画の中をさまよいつづける私の旅路を魅力的にまとめてくれた。こんなに映画について書いてきたものか、と自分でもびっくりするぐらいだ。
なぜこんなに、映画のさまざまな面について書いたのだろう。私が書いたというより書かせてもらったのである。この映画について書けといって、その映画を見せてくれた人がいるからこそ、私はその映画に出会い、その映画によって、世界を見る目を与えられたのである。私にとって映画は、映画だけではなく、その映画を見せてくれた人との思い出を伴ったものなのだ。映画が星であるとすれば私はその星を自分で見つけたわけではなく、だれかによって教えられて、その星を見つけてきたのである。
こんなすばらしい星がある。とだれかが教えてくれる。私は感謝をこめて、その星について書く。この本を私にすばらしい映画をみせてくれた人たちに贈りたい。そして私が見せてもらった映画を、さらにだれかに伝えたい。
あらためて、この新しい映画論集を編んでくれた佐野亨さんに深く感謝する。そしてこの本を世に送ってくれる七つ森書館の中里英章さん、ありがとう。
二〇一八年十一月 海野弘
上記内容は本書刊行時のものです。