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自己責任社会の歩き方 雨宮 処凛(著) - 七つ森書館
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自己責任社会の歩き方 生きるに値する世界のために

発行:七つ森書館
四六判
224ページ
並製
定価 1,500円+税
ISBN
978-4-8228-1771-8
Cコード
C0036
一般 単行本 社会

出版社在庫情報
在庫あり
初版年月
2017年4月
書店発売日
登録日
2017年2月13日
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書評掲載情報

2017-05-07 読売新聞  朝刊
評者: 長島有里枝(写真家)

重版情報

2刷 出来予定日: 2017-07-03

紹介

弱いもの、貧困者、障害者が徹底的に踏みにじられる貧困社会。こころ痛む悲惨な事件をとおして現代の病巣を描きます。希望をつなぐ“アジア大作戦”“いのちのとりで”──現場をめぐって考えたことを優しい言葉で語ります。あなたに寄り添う一冊です。

目次

はじめに

第1章 踏みにじられるいのち
 1 相模原事件
    障害者の世界は、「豊か」だ
    石原慎太郎の葛藤と、事件の背景を考える
    障害者はゴミでも天使でもない
 2 「保護なめんな」ジャンパー事件
    生活保護バッシングと役所バッシングの5年周期
    小田原市役所に申し入れ──「ジャンパー問題」の背景にあるもの
 3 あるシングルファザーの奮闘
    震災父子家庭
    シングルファザーの快進撃
    法律は変えられる
 4 電通過労死事件
 5 秋葉原事件犯人の弟の自殺

第2章 アジア大作戦
 1 亡命者・イェダりんの大冒険
    徴兵を拒否してフランスへ亡命した22歳の韓国人
    イェダりん来日、外国特派員協会で記者会見!
 2 アジア反戦大作戦
    トンチ大作戦、「阿佐ヶ谷の変」
    世界中と繋がることで、戦争をさせない/できない世界を!
 3 カオス! 奇跡のアジアマヌケ交流祭り週間!!

第3章 いのちのとりで
 1 エキタス(AEQUITAS)新宿街頭宣伝
 2 10年目の自由と生存のメーデー
 3 家賃を下げろデモ!
 4 いのちのとりで
    生活保護切り下げで起きていること
    設立イベントと、ある若者との出会い

第4章 現場をめぐり考えた
 1 40歳・女、「絶滅危惧種」
 2 有害で、役に立たない精神論
 3 オウム事件から20年
 4 あるアイドルのライブにて
 5 現場を巡り考えた
 6 年末年始に巡った越冬現場

あとがき

前書きなど

はじめに

 「お前の苦しみは全部お前のせいだし、お前より大変な人はもっといる」
 「自己責任」という言葉は、通訳するとそういう意味なのだと思う。
 もっと直訳すると、「黙れ」という一言になる。うるさい、もういいからガタガタ言わずに黙ってろ──。
 これは立派なモラルハラスメントである。
 だからこそ、自己責任という言葉は私たちをもやもやさせ、傷つける。だけどもうずーっと「社会のせいにするな」「甘えるな」と言われているので言い返せない。言い返せないもうひとつの理由は、その言葉が「黙れ」と言っていることを私たちが無意識に受け取っているからだ。コミュニケーションを断絶させ、私たちの口を封じる魔法の言葉。
 そんな「自己責任」という言葉を政治が率先して使うとどうなるか。
 この国に広がる貧困も、働くこと、生きることが大変すぎることも、将来の展望がなかなか見いだせないことも、全部「自己責任」にしてしまえば1円の予算もかからずに問題を「なかったこと」にできる。政策の失敗によって作られた様々な困難や困窮を、「本人の責任」として放置できる。そんなことを20年くらい続けていたら、6人に1人が貧困となり、6割の人が「生活が苦しい」という実感を持ち、働く人の4割が年収170万円程度の非正規という社会になってしまった。そこから脱出できるか否かも「自己責任」。

 10年くらい前、「犠牲の累進性」という言葉を知った。
 社会学者の入江公康氏から聞いたのが最初だった。
 どういう意味かというと、以下のような時に使われる。
 例えばこの国の正社員が長時間労働で過労死しそうで大変だったとする。が、「大変だ」と言った途端に「低賃金で不安定な非正規労働者の方が大変だ」と言われる。一方で、非正規の人が非正規ゆえの苦労を口にすると、「ホームレスの方が大変だ」などと言われる。しかし、ホームレス状態にある人がその状況の過酷さを口にしたところで、「もっと貧しい国の餓死寸前の人の方が大変だ」「紛争から逃げている難民の方が大変だ」なんて言われてしまう。そうやって「より過酷な状況に置かれている人」と比較していくと、「苦しい」と声を上げる資格のある人は一人もいなくなる。
 こうして「お前の苦しみなんて大したものではない、甘えるな」と口を封じていくようなやり方。これを「犠牲の累進性」と呼ぶのである。
 「自己責任」という言葉は、「犠牲の累進性」を最大限利用しながら、私たちの言葉を奪ってきた。

 一方で、私たちはもう長いこと、「生産性があるか否か」によって命そのものを値踏みされてきた。
 2016年7月、「障害者は不幸をつくることしかできない」と衆院議長に宛てた手紙に書いた植松容疑者が、19名を殺害するというあまりにも忌まわしい事件が起きた。
 だけど私たちは、効率や合理性を追及するこの社会が放つメッセージが、時に植松容疑者の主張と奇妙に重なり合うことを知っている。
 それは生産性云々はもちろん、人間は自立していないといけないだとか、人に迷惑をかけるなだとか、とにかく企業の営利活動に貢献する利益創出人間であれ、というようなものだ。
 障害者、お年寄りには優しくしましょうという一方で、社会保障費の増大は、常に「お荷物感」満載で語られる。長時間労働や過酷な労働環境は是正しましょうという一方で、企業社会は「どんなに長時間労働をしても倒れない強靭な肉体と、どんなにパワハラを受けても病まない強靭な精神を持った即戦力」しか求めていないという身も蓋もない現実を誰もが知っている。生存は無条件に肯定されるべきなのに、「役に立たない者は生きていてはいけない」というようなメッセージは、手を替え品を替え、政治家や経営者の口から、そしてあらゆるメディアから発される。家族や友人だって言う。
 あれ? それって突き詰めると、植松容疑者の言ってたことと同じじゃないの? 意識していると、日に何度も、そう思う。だけど下手したら、自分だって無意識にそれに近いことを考えたり口にしているのだ。おそらく、あなたも。
 第4章でも触れたが、あの事件の後、植松容疑者の言葉をどこか否定することができないと語る人をあるテレビ番組で見た。障害者施設で働いていた女性は、仕事中に入所者に暴力を受けた際、彼らが「守られて」いて、そこで働く自分は「守られていない」ことに複雑な思いを抱いたことを吐露した。
 いつからか、この国に生きる多くの人が、自らは「守られていない」と思うようになっている。東大を出て電通に就職したって、自ら命を絶つほどに追いつめられるのだ。そしてそんな働き方は、今やありふれていると言える。失業したらアウトだから、どんなにひどい職場でもしがみつかざるを得ない。少しでも休もうものなら、もう自分の居場所などない。常に120%以上の力で打ち込まなければいつ「いらない」と言われるかわからない。そんな「誰も守られていない」社会で、多くの人が「役に立つ」自分を全方向に向けて必死でプレゼンし続けている。そうしなければ、存在・生存を許されないから。だからこそ、「守られている」ように見える人が時に許せない。その中に、一生お金に困らない世襲政治家などは含まれない。視界に入るのは、生活保護受給者やありもしない「特権」があるとされている外国人などだ。
 だけど、どうして私たちはこれほどに「役に立たないと生きてちゃいけない」と思わされているのだろう? それはいつからだろう? 誰が決めたのだろう? 憲法にも法律にも一言もそんなこと書いてないのに、どうして完全に内面化しているのだろう? そしてその「役に立つ」ことは、どうして「お金を稼ぐ」ということだけに集約されているのだろう? そんな人間観はとても貧しいし、限界がある気がするのだ。だってその価値観は、突き詰めればやっぱり植松容疑者の言説と符合する。
 「役に立つかどうか」「生産性があるかどうか」。そんな物差し、破壊したっていいのだ。
 なぜならその物差しは、「役に立たなくなった」あなたを攻撃し、最悪、殺してしまう可能性だってあるからだ。 
 役に立たなくたっていい。生きるに値しない命なんてない。同時に、生きるに値する世界を、自分たちの手で構築したい。もう少し、生きやすい社会になれば、近くの誰かと傷つけ合わなくていい。
 本書は、自己責任社会との決別の書でもある。

※本書は「マガジン9」(http://www.magazine9.jp)の連載「雨宮処凛がゆく!」の一部をまとめたものである。
 現在も連載中。

版元から一言

10年前、『生きさせろ!』のあとがきで、私は以下のように書いている。
「私が言いたいのは、ただ生きさせろということだ。ただ生きる、そのことが脅かされている国で、いったい誰がマトモに生きていけるだろう。生きさせろ。できれば過労死などなく、ホームレスにならずに、自殺することなく、そして、できれば幸せに」
そんな社会は、いまだ到来していない。
だからこそ、これからも訴えていくつもりだ。自分のしつこさにびっくりである。(「あとがき」より)

著者プロフィール

雨宮 処凛  (アマミヤ カリン)  (

 1975年、北海道生まれ。愛国パンクバンドボーカルなどを経て、2000年に自伝的エッセイ『生き地獄天国』(太田出版/ちくま文庫)を出版して作家デビュー。若者の「生きづらさ」についての著作を発表しつづける一方で、イラクや北朝鮮への渡航を重ねる。06年からは貧困問題、格差問題に取り組み、3.11福島原発事故以降は脱原発問題にも取り組む。
 「反貧困ネットワーク」世話人、『週刊金曜日』編集委員、フリーター全般労働組合組合員、「こわれ者の祭典」名誉会長、「公正な税制を求める市民連絡会」共同代表。
著書に『生きさせろ!──難民化する若者たち』(太田出版/ちくま文庫、JCJ賞〈日本ジャーナリスト会議賞〉受賞)『プレカリアートの憂鬱』(講談社)、『14歳からわかる生活保護』(河出書房新社)、『子猫の肉球』(小学館)、『一億総貧困時代』(集英社インターナショナル)ほか多数。
 共著書、『ワーキングプアの反撃』(福島みずほ、七つ森書館)『貧困と愛国』(佐高信、毎日新聞社)『対論 生き抜くこと』(香山リカ、七つ森書館)ほか多数。

上記内容は本書刊行時のものです。