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民主主義をどうしますか。 山口 二郎(著) - 七つ森書館
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民主主義をどうしますか。 (ミンシュシュギトリッケンシュギ)

社会科学
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発行:七つ森書館
四六判
272ページ
並製
定価 1,800円+税
ISBN
978-4-8228-1653-7   COPY
ISBN 13
9784822816537   COPY
ISBN 10h
4-8228-1653-2   COPY
ISBN 10
4822816532   COPY
出版者記号
8228   COPY
Cコード
C0036  
0:一般 0:単行本 36:社会
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2016年4月
書店発売日
登録日
2016年2月9日
最終更新日
2016年5月25日
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紹介

「安倍は人間じゃない。たたき斬ってやる!」(もちろん、暴力をするわけにはいかないが、時代劇の主人公と同じ気持ち)。安保法制に反対する国会前の集会での発言だ。
 激動する世界情勢、日本政治の中心で、つねに研究・発言してきた。自民党から民主党への政権交代の仕掛け人でもある。行動する政治学者が現代日本のアベ政治を詳細に論考する。

目次

序 章 2016年という分水嶺

第1章 民主主義と立憲主義
 1 頓挫した民主党というプロジェクト
 2 政党政治再建の道筋
    ──民主党再建から見た政党システムの今後
 3 安倍政権の500日
 4 安倍首相という争点
 5 選挙とメディア
 6 安保法制に関する反対意見
 7 安保法制反対運動の遺産をどう生かすか
 8 「傲岸不遜な権力者」対「個人の尊厳」

第2章 安倍政治とは何か
 1 安倍政治の行方
 2 永久革命としての民主主義
 3 『断腸亭日乗』から戦争を考える

第3章 民主主義の主権者であること
     ──「本音のコラム」より

版元から一言

序 章 2016年という分水嶺

 私の記憶は1960年ころから始まっているので、およそ半世紀の日本を知っている。その中でも、こんないやな時代はなかったのではないかと思う。
 いやだと感じる理由は、権力者が世の中を自分の気に入るように塗りたくろうとしている点にある。放送業界を監督する任にある高市早苗総務大臣は、テレビ番組が不公平な報道をしたら電波の停止を命じることもあると発言し、安倍晋三首相もそれを追認した。安倍首相はテレビニュースの街頭インタビューでも政権批判の声が多いと文句をつけたくらい自分に対する批判を忌避している。それにしても監督権限を持つ大臣が法律に基づいて電波停止の可能性に言及することはかつてない威嚇である。
 そもそも不公平とは何かを誰がいかにして判定するのか。与党の議員である総務大臣が判定するなら、自党を批判する報道を不公平と断定することもありうる。悪政によって苦しむ人が存在すれば、それを紹介することこそ公平な報道である。権力者が百点満点の政治をしていない限り、公平は無色透明ではなく為政者に対する攻撃を含むのが宿命である。権力はしばしば腐敗、暴走するものであり、国民の生命や自由を脅かす。だから批判を受けることは権力者の宿命である。
 人間だれしも批判されるとうれしくはない。自分に対する批判を根こそぎ否定、抑圧しようとする政治家は、自己愛にとらわれている。国会で質問者にヤジを飛ばす安倍首相をはじめ、メディアを威嚇する高市総務大臣など、当節の為政者は自己愛の塊であり、幼児化はとめどなく進んでいる。中国の文化大革命の中で、あるいはカンボジアのポルポトによる支配の中で、自己陶酔に浸った「恐るべき子供たち」が世の中を一色に塗りたくろうとして、仮借ない暴力を振るった。今の日本の権力者にも、それに似たものを感じる。
 自民党の政策や理念の多くについて、私は疑問や反発を持ってきた。しかし、為政者が民主主義と立憲主義の基本的なルールをわきまえている限り、支配を拒絶するというまでの反感は持たなかった。かつて朝日新聞政治部で田中角栄を取材したジャーナリスト、早野透氏は、「親戚が十人いたら、一人や二人は必ず共産党もいるものだ」というのが田中の口癖だったと述懐している。自分とは思想や政策を異にする反対派、少数者の存在を前提としながら、その少数者も含めて国民を統合し、国民の生活のために責任を負うという為政者が、自民党の長期政権を支えてきた。そうした統治の中では為政者の行動に承服しがたいことは多いが、反論や批判は話し合いを通してぶつけて行けばよいという感覚を持つことができた。
 今は、安倍のような為政者に統治されること自体を拒絶したいという気分である。その理由は、繰り返しになるが、為政者が異論、反対の存在を否定しているという点と、権力者といえども上位の規範に服従しなければならないという立憲主義の基本理念を理解していない点の2つである。憲法学者の石川健治氏(東京大学教授)は、現在の日本における最大の政治的対立軸は、立憲対非立憲であるという。権力者が至高の存在で、その行動を縛る何のルールも存在しないのが非立憲で、権力者が個人の尊厳、多様性の尊重などのルールに服従しながら権力を行使するのが立憲である。この対立は、文明と野蛮と言い換えてもよい。この野蛮の時代が続けば、いずれ自分が人間であることまで否定されるようになることを、私はまじめに恐れている。
 私が人間であるためには、安倍を否定しなければならない。そんな思いを込めて、2015年8月30日の安保法制反対全国一斉行動の際、私は国会前で次のような演説をした。

 安倍首相は、安保法制は国民の生命と安全のためだと言っていますが、こんなものは本当に嘘っぱち。まさに生来の詐欺師が誠実をかたったものであります。安倍政権は国民の生命、安全なんて、これっぽっちも考えていません。その何よりの証拠には、先週、福島第一原発事故の被災者に対する支援を縮小する閣議決定をしました。放射線の線量が下がったから、もう帰れ、これ以上逃げるのは被災者の勝手だから、サポートはしないという。これは本当に人でなしの所業です。
 昔、(「破れ傘刀舟 悪人狩り」という)時代劇で萬屋錦之介が悪者を成敗するとき、「てめぇら人間じゃねえ! たたき斬ってやる!」と叫びました。私も同じ気持ちです。もちろん、暴力を使うわけにはいきませんが、安倍に言いたい。
 「お前は人間じゃない! たたき斬ってやる!」民主主義の仕組みを使ってたたき斬りましょう。たたきのめしましょう。

 この演説は右翼の反発を招いた。たたき斬るとは何事か、人間でないとは差別だなどなど。しかし、民主主義とは革命の制度化である。民衆反乱によって王の首を斬る代わりに、選挙や政治参加によって為政者の権力を剥奪する、その意味で権力者の支配をたたき斬ることこそ、民主主義の本質である。人間じゃないというのは安倍に対する最も的確な修飾句である。異なった他者の存在を理解せず、困っている人間を冷酷無情に切り捨てる。日本語では昔からそのような人間を人でなしと呼んできた。
 ここで私は、石原吉郎のエッセーの一節に自分の思いを重ねる。
 「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」(石原、「ペシミストの勇気について」)
 今の日本に生きる我々が人間であろうとするなら、安倍政治を終わらせなければならないのである。
 2016年に入って安倍政治にはほころびが目立ち始めた。経済再生担当大臣が大臣室で現金を受け取ったことが露見し、環境大臣が放射線被ばくの規制の根拠を理解せず、北方領土担当大臣が歯舞諸島を読めないという失態をさらしている。閣僚、議員の相次ぐ失言や非行に加え、株価の急落や景気減速で、安倍政権の行く手にはにわかに暗雲が垂れ込めてきた。今この瞬間の景気と内閣支持率を引き上げることだけにあらゆる手段を動員してきた安倍政権も、次第に打つ手に窮するようになった。
 問題は、野党が安倍政権に対抗する存在感のある選択肢を提示できていなかった点である。参院選において32の1人区で野党が協力しなければ自民党の大勝を許すということは、安保法制が成立した直後から多くの市民が訴えてきた。加えて、年初から安倍首相が憲法改正の意欲を明確にし、自民党による3分の2の獲得を防ぐための具体的な戦略は焦眉の急となっている。1月中旬の朝日新聞の世論調査では、改憲を目指す勢力が参院で3分の2以上を占めた方がよいかどうかという質問に対して、占めたほうがよい33%、占めないほうがよい46%と、安倍流改憲に反対する声が多数派である。
 希望はある。2月19日、5野党は安保法制を廃止する法案を共同で国会に提出し、同時に党首会談を行って選挙での協力を行うことに合意した。参院選の1人区や衆議院の補欠選挙でも、野党候補の一本化が進んだ。なかなか進まなかった野党協力が2月に急速に進んだのはなぜか。それは、安倍政治と戦う強い意志を持った市民の力の成果である。ここで市民の期待を裏切ったら、日本の政党政治は壊滅し、一党支配が永続するという危機感を野党政治家が持ったことこそ、協力体制構築の動機である。
 アメリカ大統領選挙の候補者を選ぶ予備選挙を見ていると、候補者選定の段階での市民参加が、政治の流れを大きく左右することがよく分かる。特に興味深いのは、民主党のバーニー・サンダース上院議員の運動である。多くの若者が自分たちの未来のためにサンダースを大統領候補に押し上げる運動に、自発的に加わっている。仮にサンダースが大統領候補の指名を得られなくても、この運動の実績は、若者の教育や雇用の重視、最低賃金の引き上げなどの点で、民主党の政策に大きな影響を与えることになる。
 それと同じようなことが日本でも起きつつある。たとえば日本の民主党の場合、「市民が主役」という結党時のスローガンとは正反対に、選挙は徹底して政治家が取り仕切った。政権交代も政治家の世界でのメンバーチェンジでしかなかった。日本の政治には、市民によるコミットメント(強い関与)という契機が不在であった。だからこそ、政党が落ち目になった時に、逆境を支えようという本当の支持者がいないのである(その点、自民党の方が日本会議など、熱心な支持基盤を持っている)。安保法制反対の経験を通して、市民運動が選挙の候補者の擁立の段階からかかわり、政党を動かすという画期的な共同が実現されたのである。
 民主党と維新の党は合併することを決め、自民党に対抗する大きな塊を作る動きが進んでいる。それが、今いる議員の延命のための、政治業界内での駆け引きであれば、政治全体には何のインパクトももたらさない。安保法制反対運動以来の文脈の中で、市民運動が求めた野党の結集というメッセージを受け止める野党再編であれば、市民の選択肢を広げる意味を持つかもしれない。
 そのためには、基本的な理念の構築と、政治運営の手法における工夫が必要となる。現下の政治の最大の争点は、安倍流改憲を許すかどうか、国会で与党に3分の2以上の議席を与えるかどうかである。そのような課題に正面から取り組むためには、野党は立憲主義の旗を高く掲げなければならない。
 もう1つは、広範な市民の参加を誘い入れることを通して、安倍政治に対抗するエネルギーを作り出すことである。憲法問題だけではない。格差貧困問題、年金基金による株価下支えの失敗など、安倍政権の失策を正面から批判し、論戦の構図を作れば、参院選は日本国民にとって久々の意思表示の機会となる。
 本書は、安倍政治と戦うための理念、政策、運動を考える材料として、第2次安倍政権発足以後の私の政治評論を集めたものである。安倍的なるものの実態を見据え、どこから戦いを起こすか、どこに攻め込むかを読者の皆さんに考えていただければ、これ以上の喜びはない。

著者プロフィール

山口 二郎  (ヤマグチ ジロウ)  (

 1958年岡山県生まれ。東京大学法学部卒業。
 法政大学法学部教授(行政学・現代政治)。北海道大学名誉教授。
 選挙制度改革や政界再編など「政治改革」のキー・マンとして活躍、民主党政権ではブレーンとして政策提言を行った。憲法に従った政治を回復するために活動する立憲デモクラシーの会共同代表。
 著書に『内閣制度』(2007年、東京大学出版会)『政権交代とは何だったのか』(2012年、岩波新書)『集団的自衛権の何が問題か』(共著:奥平康弘、2014年、岩波書店)など。

上記内容は本書刊行時のものです。