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脱原発、年輪は冴えていま
フクシマ後の原発現地
- 初版年月日
- 2012年10月
- 書店発売日
- 2012年10月10日
- 登録日
- 2012年10月2日
- 最終更新日
- 2013年2月22日
紹介
フクシマ後、脱原発は国民の願いとなった。地方自治体や地方議会も、次々と声を上げるようになってきた。
本書は、日本全国各地で脱原発運動を担う人々による、3・11以降の原発現地のレポートである。
いま、運動はどうなっているのか。原発現地からの声と現在の状況をここにお届けする。
目次
はじめに 狭い原発立地だけでない 全体状況を大いに利用しよう
──佐伯昌和(反原発運動全国連絡会世話人)
Ⅰ フクシマから
福島原発震災の悪夢 未来はここを超えた先にある
──佐藤和良(脱原発福島ネットワーク世話人/福島県いわき市議会議員)
Ⅱ 全国津々浦々の脱原発運動
○泊原発
原発紙芝居で北海道を駆け巡る――体験的「トマリ」序論
──斉藤武一(岩内原発問題研究会代表/泊廃炉訴訟原告団長)
○大間原発
大間原発大まちがい フルMOXなんてとんでもない
──竹田とし子(大間原発訴訟の会代表)
○六ヶ所核燃基地
「国策」が推し進める再処理工場って何?
──荒木茂信(核燃から海と大地を守る隣接農・漁業者の会代表)
○女川原発
大津波に襲われた町と原発
──篠原弘典(みやぎ脱原発・風の会代表)
○柏崎原発
施設直下を活断層が走る
──武本和幸(原発反対刈羽村を守る会)
○東海原発
動き出した首長・市町村議会
──相沢正一(脱原発とうかい塾代表)
○浜岡原発
東海地震震源域の真上に立つ原発
──白鳥良香(浜岡原発を考える静岡ネットワーク代表)
○志賀原発
原子力帝国と対峙し原発廃炉へ
──多名賀哲也(志賀原発・命のネットワーク代表)
○福井原発銀座
大飯原発再稼働反対を通じて見えてきた新たな福井の運動
──石地優(原子力発電に反対する福井県民会議事務局次長)
○島根原発
10㎞圏内に県庁や市役所が……
──土光均(さよなら島根原発ネットワーク共同代表)
○上関原発計画
3・11以後、「最後の新設計画」!
──木原省治(上関原発止めよう! 広島ネットワーク共同代表)
○伊方原発
迫る再稼働と空からの脅威
──近藤誠(伊方原発反対八西連絡協議会会員/伊方1~3号炉運転差止請求訴訟原告)
○玄海・川内原発
原発の廃炉に向けた九州の闘い
──深江守(脱原発ネットワーク・九州代表)
Ⅲ 3・11後の防災計画
──末田一秀(自治労脱原発ネットワークアドバイザー)
Ⅳ 日本の反原発運動史の現在――「はんげんぱつ新聞」の歩みから
──西尾漠(「はんげんぱつ新聞」編集長)
前書きなど
はじめに 狭い原発立地だけでない 全体状況を大いに利用しよう
──佐伯昌和(反原発運動全国連絡会世話人)
さようなら原発6万人集会に原発現地からせっかく参加するんだから交流の場を持とうと9月18日夜、「原発廃止に向けて全国交流集会」を本紙の発行主体である反原発運動全国連絡会の主催で開きました。
青森、宮城、福島、茨城、新潟、福井、静岡、三重、岡山、島根、山口、愛媛、佐賀、熊本、鹿児島の15の現地報告と福島みずほ社民党党首の国会報告を短い時間でしたが、行っていただきました。準備不足もあり参加者が130名と少なかったのが残念です。
脱原発福島ネットワークの佐藤和良さんは、「福島県民10万余の人々がふるさとを追われ、190万余が汚染の地に暮らす。除染、除染と『避難なき除染』により汚染地帯への県民留置政策がまかり通っている」と怒りの現状を述べ、反原子力茨城共同行動の根本がんさんは、急逝した河野直践代表がつくった資料を配付し、「これまでの状況は一変し、茨城県議会も今のところは東海第二原発を動かしたくない。そういうところまできている」と報告。
浜岡原発を考える静岡ネットワークの白鳥良香さんは「静岡県では4市の首長が浜岡原発反対を表明している」。また、柏崎原発反対地元3団体の武本和幸さんは「阿賀野川流域の水道水から放射性のセシウムやヨウ素が検出され、魚沼でもセシウムが出たりしている。柏崎原発から60~80キロ離れた地域でも原子力防災計画の話が出るようになり、新潟県知事も立地市村だけを見ていればよいという状況ではなくなっている」と話しました。
そして、原子力発電に反対する福井県民会議の小木曽美和子さんは、「立地市町でない周辺の市町村も原発を問題にし、隣接する滋賀県や京都府の知事、さらには大阪府知事まで脱原発、卒原発と言い出した。狭い地域での立地ではない全体状況が生まれている。この矛盾を大いに利用し、脱原発を確固たるものにしていこう」と訴えました。
最後に、さようなら原発一千万署名を地を這って集めることを確認し、集いを終えました。
*
これは、フクシマ原発事故から半年後に開いた「原発廃止に向けて全国交流集会」の報告を「はんげんぱつ新聞」2011年10月号に私が書いたものです。
本書は、フクシマ原発事故の状況を踏まえて「狭い原発立地でない 全体状況を大いに利用しよう」との故小木曽美和子さん(原発反対福井県民会議事務局長)が提起した視点を全国各地で運動を中心的に担う方々に、3・11以降に焦点を当てて、より詳しく、より深く書いてもらいました。
本書を企画した編者である反原発運動全国連絡会は「各地の経験を交流し、反原発運動の連帯をたかめよう」と「はんげんぱつ新聞」を1978年より毎月1回発行し、それを媒介として全国の反原発・脱原発のネットワーク作りをしてきました。
現在の「はんげんぱつ新聞」編集長は西尾漠さんですが、初代の編集長は高木仁三郎さんでした。また、立ち上げからのコーディネートは、キラリと光る裏方に徹した大阪大学理学部講師だった久米三四郎さんでした。
それでは力作ぞろいの全国津々浦々の報告を少し見てみたいと思います。
福島の佐藤和良さんは、原発事故発生後、次から次へと出てくる困難な課題に対しての脱原発の動きを綴ります。今後への問題提起は重く、私たちが何をなすべきかを考えます。
北海道の斉藤武一さんは自宅に訪ねてきた『フクシマ論』の若き社会学者開沼博氏に対して、心の中で燃えたと書いています。「そっちは数年程度の考察で論じているが、こっちは、40年近く原発のことを考え、泊原発とずっと闘ってきたのだ。私にも論の一つぐらい書ける」と、サブタイトルに『体験的「トマリ」序論』と付ける意欲作です。
大間原発訴訟の会の竹田とし子さんによれば、「(青森県の)大間原発から30キロ圏に函館市の主要市街地があるのに……海をはさんでいるから『隣接』ではないと言うのです」。裁判を起こし、函館地裁での進行協議の最中に3・11地震があったと言います。
青森県の荒木茂信さんは、核燃から海と大地を守る隣接農・漁業者の会代表として、六ヶ所村の核燃施設に向き合ってこられました。「都市という生命体を守るために地方という手足を凍傷という症状で痛めつけてきたが、まだこれまで、指先だけですんでいたものを放射能というもので、再起不能にまで追い込みつつあるということをサル以上に反省し、学び、実行して生きのびる選択をしていかなければならない。……地方発展の起爆剤として原発を受け入れた自治体は果たして発展したのだろうか?」と問うておられます。
宮城県の篠原弘典さんは、大学で原子核工学を学んでいた1970年、女川町での最初の漁民総決起集会に参加して以来の女川原発反対運動です。自らも被災した篠原さんは「記憶に焼きついた(女川の)町並み、浜の集落が、大津波によって跡形もなくなってしまいました。さまざまな交付金・寄付金で建った箱モノの施設も、その多くが破壊され流されてしまっています。それと対照的に東北電力の社宅や独身寮は高台にあったために被害をまぬがれているのです」と報告します。
新潟県の武本和幸さんは、原発の地震・地質・地盤問題で「市民の科学」を長い間実践されています。「原発と地震の基本問題は、地震列島の地震活動の静穏期に、甘い基準と不都合な事実を隠蔽した調査で多数の原発が建設されてしまったことにある」との指摘は重い。
東海村の相沢一正さんは、全国17の原発立地市町村で唯一、脱原発を訴える村上達也村長を村会議員としても支えておられます。茨城県下44自治体のうち16議会が東海第二原発の廃炉を求める意見書を採択するという状況になっています。
浜岡原発を考える静岡ネットワーク・白鳥良香さんは、班目春樹原子力安全委員長が、199
5年静岡県原子力アドバイザー時に、浜岡3号炉が地震で破壊されたとき、首都圏を中心に43
4万人の死者が出るとの京都大学原子炉実験所の瀬尾健さんの指摘に対して「瀬尾は学会ではまったく知られていない男。人騒がせな根拠のない数字だ」と発言したと曝露しておられます。
志賀原発・命のネットワークの多名賀哲也さんは、住民全員が測定器を持って自主判断し、ヨウ素剤を常備し子どもたちを守ることを最優先すべきで、初動期の安全だけは住民自らの力で守ると腹をくくることの重要性を訴えておられます。
福井県の石地優さんは福井県民としての大飯原発再稼働への福井県知事への反論を試みています。
島根原発に隣接する鳥取県米子市で反対運動を続ける土光均さんは「もはや自分たちは地元である」との認識を持つに至った鳥取県や米子市、境港市行政を紹介しています。
「上関原発止めよう! 広島ネットワーク」の木原省治さんは、「上関原発の反対運動では、完全に『白紙撤回』が表明されるまで、気を抜かず闘うという意思を持って、今でも祝島では毎週月曜日の夕方『反原発島内デモ』が行われている」と報告します。また安倍晋三元首相(山口県選出)の妻昭恵さんの二度にわたる祝島訪問を披露しています。
伊方原発反対八西連絡協議会の近藤誠さんは「24年ぶりに放射能を出さない原発になった」現実を味わう気持ちよさの中で文章を書いておられます。そして愛媛商工会議所連合会は、事故から1年を機に、伊方原発1・2号炉を廃炉になどの見解を発表したといいます。
脱原発ネットワーク・九州の深江守さんは玄海原発・川内原発そして九州電力本社のある福岡を結んでの九州各地の運動の盛り上がりを報告します。特に1979年以来の九電株主運動の報告は圧巻です。
以上の各地からの報告に加え、原発防災計画をめぐる3・11後の取り組みを、この問題の第一人者である末田一秀さんが今後の課題、展望も含めて書いています。
最後に西尾漠さんが「はんげんぱつ新聞」の歩みから、日本の反原発運動の歴史を説き、そこで提起された問題を再提起しています。
*
フクシマ後、脱原発が国民の願いとなり、世論であることは誰にも否定できません。そして多くの人々が、地方自治体や地方議会が声を上げ、脱原発をさまざまな場でさまざまなスタイルで求めるようになりました。
しかし電力会社や大手金融機関が実権を握る経済団体をはじめとする「原子力群(ムラ)」の抵抗は激しいものがあります。自らの利権がかかっているのですから当たり前です。「綱引き」はこれからが正念場です。
本書は読者のみなさんの脱原発の一助となれば幸いです。
最後に本書が「はんげんぱつ新聞」のネットワークがさらに拡がる御縁となればと願っております。
上記内容は本書刊行時のものです。