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決断できる日本へ
3・11後の政治経済学
- 初版年月日
- 2012年7月
- 書店発売日
- 2012年6月28日
- 登録日
- 2012年6月7日
- 最終更新日
- 2013年2月22日
紹介
問題は、3・11にあるのではない。3・11という未曾有の災害に見舞われながらも、それに対処できない日本という国の仕組みや、そうしたシステムを支えるわれわれ日本人のメンタリティ(「変われない日本」「決断できない日本」という掛け声にも通じる)にあるのではないか。本書では、2011年3月11日の東日本大震災以降、激動する日本を体感しつつ、著者の世界観や歴史観を書き下ろす。
目次
はじめに
第1章 3・11後の日本
第1節 津波と原発の衝撃
1 被災と避難
2 3・11論
第2節 〈原子力ムラ〉の政治経済学
1 「大本営発表」の内幕
2 分かれる評価
3 現場と報道の温度差
4 鳴らされていた警鐘
5 〈原子力ムラ〉の構造
6 東京電力とは何か
7 犠牲は弱者
第2章 近代日本の内幕
第1節 戦後とは何か
1 歴史観の見直し
2 チャルマーズ・ジョンソンの遺言
3 メンタリティは続く
第2節 官僚とは何か
1 官僚という名の「お上」
2 戦後官僚制の出自
3 官僚の果たした役割
第3節 日本の会社
1 日本的雇用とは何か
2 日本人の会社観
3 M&Aはポピュラーに
4 会社員の意識はどこへ
第4節 日本という「和」の社会
1 林芙美子論
2 思考の系譜
第3章 マネーと権力
第1節 東京というヒエラルヒー
1 東京集中の歴史
2 東京の階級都市化
3 「総中流社会」の崩壊
4 地方の疲弊
第2節 マネーの内幕
1 日本的金融とは何か
2 未熟な流通市場
3 情報戦の最前線
4 アメリカのマネーパワーの変容
5 アメリカ後の時代
第3節 近代的価値とは何か
1 近代の開始
2 日本的近世と近代
3 ガヴァナンス能力を失った戦時期
4 100年(1911~2011年)の回顧
5 日本的近代をいかに認識するか
第4章 政治経済学的風土論
第1節 風土と権力
1 風土の考え方
2 垣間見える日本的風土
3 アイデンティティを決めるもの
4 風土はハイブリッド
第2節 日本の都市風土
1 東京とは何か
① 首都という顔
② 品川高輪の風景
③ もうひとつの品川
2 大阪とは何か
① 大阪論の意義
② 2つの大阪論
③ 大阪の民パワー
④ 釜ヶ崎の残照
3 長崎とは何か
① 坂の街/長崎
② 長崎の「異国情緒」
結びにかえて
前書きなど
はじめに
日本はいったいどうなってしまったのだろうか。2011年3月11日、未曾有の被害をもたらした東日本大震災(以後、3・11)、その後の政府や東京電力、さらに〈原子力ムラ〉の専門家の対応や責任逃れの発言を聞いていると、いやがうえにも焦りに近い憂国の情が湧いてくるのは、著者だけではあるまい。
3・11後、1年以上が過ぎた。この間、地震や津波による被災状況や、直後に起こった福島第一原発のメルトダウンについて数多い報道や論評がなされた。2万人ほどの犠牲者(死者と行方不明者を含む)が出て、35万人(『読売新聞』2012年3月5日)を超す人びとが避難生活を強いられた。津波は、それまで続いていた人びとの営みを一瞬のうちに飲み込んでしまった。福島第一原発近辺の放射能の高い警戒地域に、人影はまったくない。納得できる総括もなければ、被災者への保障も不十分なまま、時間だけが過ぎていく。
しかも、3・11以降、断続的に頻発する余震の影響で、つぎの大地震の切迫ぶりが懸念される。この狭い国土に54基もある原発のどこかが「第2のフクシマ」になるのではないか、という警鐘が鳴り響く。
とりわけ福島第一原発4号機は、膨大な燃料棒が格納容器からプールに入れられている。度重なる余震によってプール損壊に至るようなことがあれば、大量の放射能の流出が懸念され、そうなれば、最悪の可能性すら懸念される。にもかかわらず、政府も東京電力も、さらには大手メディアも、そうした最悪の事態を防ぐための方策や報道に全力を傾注しているようには見えない。逆に、政府の「原発事故収束宣言」(2011年12月)をはじめとして、あたかも危機は終わったかのような能天気な「安全デマ」が発せられ、原発を再稼働させようとする動きも止まらない。
事故の原因は、専ら、稀に見るほどの巨大津波、あるいは官邸(3・11当時は菅直人首相)のリーダーシップの欠如だったという見解が声高に叫ばれ、地震によって計器類や配管が破断されたことによって決定的なダメージを招いたという可能性はあまり語られない。
あるいは、官邸による過剰介入が初動対応を遮ったという主張(日本再建イニシアティブ『福島原発事故独立検証委員会 調査・検証報告書』2012年。なお、同財団理事長は、元朝日新聞主筆の船橋洋一)が聞こえてくるが、そもそも事故を起こした東京電力の「未必の故意」疑惑、さらにはその監督者たる経産省内の原子力安全・保安院や内閣府の原子力安全委員会といった政府官庁の監督責任を問う声はなぜかあまり上がらない。
一方、大手メディアから近所のコンビニまで、「がんばろう、日本」のスローガンが見える。犯人捜しのような意地悪い詮索は止め、「皆でがんばろう」と、まるで、戦時期の「一億玉砕」、あるいは敗戦後の「一億総懺悔」の再版を彷彿とさせた。
共同体(同じ日本人同士)への情緒的一体感を強調することによって、事実を検証する姿勢を希薄にする目論見だろうか。一方、戦時の「大本営発表」のような、節電を強いる画一的な報道が目立った。原発を止めれば、あたかも電力不足が必然であるかのような情報が刷り込まれた。
2009年秋の民主党への政権交替で一時盛り上がった脱官僚支配等、政治に対する一般の期待が消失してしまうのに、2年もかからなかった。3・11という未曾有の災害にも、また世界の激動に対しても、何ら対処できない。せいぜいアメリカの意向を忖度しながら、「右へ倣え」を繰り返す程度だろう。1930年代、短命内閣が続いた末に、決断らしい決断も下せないまま、ダラダラと戦争へ突入して行った悪夢がよみがえる。
2011年最後の『ニューズウィーク日本版』(2011年12月28日)は、「変革の年になるはずが、あまりにも変わらない国の姿に言葉を失う」と日本を評した。問題は、3・11にあるのではない。3・11という未曾有の災害に見舞われながらも、それに対処できない日本という国の仕組みや、そうしたシステムを支えるわれわれ日本人のメンタリティ(「変われない日本」「決断できない日本」という掛け声にも通じる)にあるのではないか。
歴史とは、過去に起こった事実の記録ではない。現代の風土を醸成する重要な要因の痕跡であり、過去の延長線上に現代がある以上、歴史と現代を総合的に眺めることによってしか、現在の惨状の原因をつきとめることはできない。だからこそ、一見遠回りに見えるかもしれないが、歴史観や世界観の再検証を行うことによって、3・11後の混迷する日本の展望が見えてくるのではないか。ヒロシマ、ナガサキ、第五福竜丸に続き、4度目の原子力による放射能被害を受けてしまった日本を、思想家・鶴見俊輔は「文明の難民」と呼んだ(「日本人はなにを学ぶべきか」河出書房新社編集部編『思想としての3・11』河出書房新社、2011年)。
総じて、日本の組織では、企業や役所や学校の別なく、意思決定の際の尺度として「前例」と「横並び」が重視される。こうした姿勢は、日本的「和」の社会に長い間、根付いてきた。この方式で意思決定するには、独自の価値判断は要らないし、責任をとる場面もさほどなかった。経済が右肩上がり(高度成長期)ならそれでもいい。しかし、社会が混迷する激動期にあっては、それがうまくいくはずがないのは自明だろう。
時代は、責任を引き受ける覚悟を以て果敢に決断を下すトップを求めている。そのためには、人脈や活字やネット空間に至るまで、広く情報を集め、独自の判断が要求される。換言すれば、乱世では、前例や横並びは、決断を下すうえで邪魔にこそなれ、けっして有意な尺度にはならないということである。タイトルに込めた著者の思いはここにある。
なお、本書は3・11論から書き始めたが、原発論をお好きでない読者や、歴史が好きな読者には、2章の近代日本論や3章のマネー論から、あるいは、4章の風土論から始められても、ご理解いただけるものと思う。
脱原発の声すら上げにくかった状況下で、長年、脱原発を主張されてきた高木仁三郎の遺志を受け継ぎ、多くの出版事業を重ねてこられた㈱七つ森書館から出版できることを光栄に思う。お声をかけていただいた中里英章同代表取締役に感謝を申し述べたい。なお、本文中の敬称はすべて割愛し、肩書きも当時のものであることを付記しておきたい。
2012年4月30日 中尾茂夫
上記内容は本書刊行時のものです。