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あきらめから希望へ
高木仁三郎対論集
- 初版年月日
- 2011年10月
- 書店発売日
- 2011年10月8日
- 登録日
- 2011年10月7日
- 最終更新日
- 2011年10月7日
紹介
あきらめから希望へ、希望の組織化、希望の科学へと歩みを続けた高木仁三郎。いつも希望について語っていきたいという思いをこめて、花崎皋平との対論『あきらめから希望へ』と、前田俊彦との対論『森と里の思想』の2本をふたたび。
目次
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あきらめから希望へ(花崎皋平との対論)
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まえがき──高木仁三郎
第1章 からだから頭へ
なぜ大学を辞めた?
大学のものではない学問
とらえどころのない状況
民衆状況の可能性
金太郎飴から脱する
アジアの旅から
元気をもらう
合理性と非合理性──ヨーロッパと日本
希望を組織する
第2章 暮らしをめぐって
暮らし派を脱する
そして新しい暮らし派へ
「われわれ」的構造
三人称の私
目的志向を越える
生きることがぎりぎりになっている
食うことの楽しみ
食べ物のつながり
第3章 生きることと運動すること
「共に生きる」派へ
多様性と共同性
嘉手納基地の人間の鎖
反原発出前のお店
表現の説得力
第4章 あきらめから希望へ
二つのユートピア
マルクスの世界像
自然における人間の自由
解放の神学
生きる拠りどころ
剥奪される労働の意味
あきらめから希望へ
あとがき──花崎皋平
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森と里の思想 (前田俊彦との対論)
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前口上──高木仁三郎
第1章 村長さんからどぶろくまで
村長時代
人生の分かれ道
『瓢鰻亭通信』の発刊、そして三里塚へ
どぶろくをつくる
自分に必要なものは自分でつくる
第2章 森と道理
百姓のくらし
田をつくるということ
自然と人間
百姓の罪の意識と主体性
道理と論理
自然科学の論理
万物は森の客
第3章 百姓の文化
狩猟文化と農耕文化
射程の長い自然とのつき合い
八年したら柿の実ができた
五〇年先を考えて松の木を植える
風土にマッチした一〇〇年の計
根底にあるアイデンティティー
第4章 里の思想
地方の健全さ
里の思想
風土としての文化の場
大地を軸にした人と人の関係
里における森と水
都市でどう生きるか
農的な文化に学ぶ
第5章 祭りから運動へ
合理性の強制
権威と制度
道理と罪の意識
民衆の憲章
祭りの起こり
祭りとセレモニー
祭りと集会
保守とはなにか
家畜を媒介にする
日本の百姓の縮図
赤と緑
三里塚の闘い
牢獄の壁を破る
後口上──前田俊彦
前書きなど
まえがき(あきらめから希望へ)──高木仁三郎
世紀末に向けて坂道をころげているような時代状況がある。国家の存在が次第に大きなものとなり、管理主義的な傾向と相まって、市民の自由な営みが押しつぶされようとしている。一方において科学技術文明の暴走も顕著である。私の多くの友人たちが危機感を募らせている。たしかに悲観的材料には事欠かない。しかし状況の悪さを声高に叫び、危機感だけで人を動かすような運動はもういやだ。
状況の表層だけを見ていると、たしかに悲観的になるが、眼をこらし耳をそばだててみよう。状況の底部で、かすかに、しかし着実に新しいものが胎動し始めているのを感じとることができる。それはまだほんのささやかな萌芽にすぎないが、わたしとしてはその芽を育てることに、これから生きてゆくことの希望を託してもよいという予感がある。
しかし、この芽を育てるためには、大変な作業が必要である。とりわけ、さまざまな運動の現場に実際に身を置きながら考え、おそらく同じ胎動を感じているであろう人びとと、経験や考えを交換し、深めあっていくことが大切のように思える。前田俊彦さんとの対談『森と里の思想──大地に根ざした文化へ』(七つ森書館)は、わたしとしてはそんな作業のスタートであった。
わたしにとっては、大変楽しく、また刺激の多いものであったが、前田さんからいろんな宿題を与えられることにもなった。前田さんの問題意識は、大地にじっくりと太い根をおろすことにあるが、わたしとしてはつぎの作業として、それでは現実の社会的状況の中で、どんな幹を育て、葉を繁らせ花を咲かせるかという、言わば運動論の問題に関心を向かわせざるをえない。
花崎皋平が書いている。
「私は、現在から今世紀末へかけて残る一五、六年間に、われわれがなんとしてでも構築しなければならない思想と実践の橋頭堡として、国家に対峙する民衆主体、国家社会に吸収、併合されない民衆社会、最悪の場合、そのいずれもの萌芽でも、再生可能な切り株でもよい、そういうものを想定しています」(『社会的左翼の可能性』清水慎三・花崎皋平著、新地平社)
「なんとしてでも」とか「再生可能な切り株でもよい」とか、世紀末に向けて、並なみならぬ決意がうかがわれる。これはどうしても、花崎さんとじっくり話してみなくてはならない。
実は、前掲の清水・花崎の対論は、前田俊彦さんとわたしの対談の前に行なわれ、出版されており、前田さんとの対談もそれを意識して行なわれたものであった。だから、「つぎは花崎さん」とずっと考えていた。その対論が、折しも前田さんの喜寿を祝うパーティーで同席した花崎さんが快く引き受けてくれたことで、前田さんとの対談と同じ七つ森書館の企画として実現することとなった。
花崎さんとは、すでに一九八一年に、今は廃刊となった雑誌『現代の眼』の企画で、一度短い対談をもった経験があった(拙著『わが内なるエコロジー』農文協に再録)。その経験を踏まえ、それから六年たった時代状況を新たな背景として、花崎さんからいろいろ聞き出し、またこちらの考えもぶつけてみたいと思った。
運動というものへの向き方、運動を媒介としての発言のあり方という点で、わたしは以前から花崎さんに共感する点が多かった。と同時に、わたしとかかえる場がずいぶん違うこともたしかである。わたしは自然科学者としてのかかわりから運動に入ったが、花崎さんは哲学者である。彼は札幌に住み、活動し、地域シンポジウムというものに一貫してかかわっていて、アイヌやアジアの人びとに学んでものを見ようとしている。この点ではまったく対照的に、わたしはずっと東京で活動し、ヨーロッパの運動との結びつきが深い。そんなちがいがうまく反映したやりとりが行なえればおもしろいと思った。
花崎さんと話をするとなると、どうしても運動ということにたがいの関心が向くことになろうが、もはや花崎さんにとって運動とは、メシを喰うことから文章を書くことまでのすべてを含むであろう。わたしとしても生きるということの全振幅の中でごく自然に運動をやっていきたいというのが、このごろ日々考えていることだ。わたしたちの話はおのずから、生きることのさまざまな側面に及ぶであろう。なるべく自由にそうしたらよい。
その意味で、わたしはあえて希望して、あらかじめの予備討論とか論点の整理とかの作業をほとんどやらず、ほぼぶっつけ本番で対談に臨むことを了承してもらった。そのほうが、かえって生の問題意識が飾らずに出てくるし、自由で楽しい会話が成立するのではないかと思ったからだ。しかし、一冊の本をつくろうとするのに、ぶっつけ本番はあまりにも乱暴なやり方かもしれなかった。しっちゃかめっちゃかになるかもしれない。このわたしの方針を、花崎さんも了承してくれたのだが、はたして首尾はどうだろうか。すべては幕をあけてのお楽しみということになるが……。
対談開始を前に 一九八七年五月
上記内容は本書刊行時のものです。