版元ドットコム

探せる、使える、本の情報

文芸 新書 社会一般 資格・試験 ビジネス スポーツ・健康 趣味・実用 ゲーム 芸能・タレント テレビ・映画化 芸術 哲学・宗教 歴史・地理 社会科学 教育 自然科学 医学 工業・工学 コンピュータ 語学・辞事典 学参 児童図書 ヤングアダルト 全集 文庫 コミック文庫 コミックス(欠番扱) コミックス(雑誌扱) コミックス(書籍) コミックス(廉価版) ムック 雑誌 増刊 別冊
山形の村に赤い鳥が飛んできた 木村 迪夫(著) - 七つ森書館
....
【利用可】

書店員向け情報 HELP

山形の村に赤い鳥が飛んできた (ヤマガタノムラニアカイトリガトンデキタ) 小川紳介プロダクションとの25年 (オガワシンスケプロダクショントノニジュウゴネン)

芸術
このエントリーをはてなブックマークに追加
発行:七つ森書館
四六判
224ページ
上製
定価 1,800円+税
ISBN
978-4-8228-1009-2   COPY
ISBN 13
9784822810092   COPY
ISBN 10h
4-8228-1009-7   COPY
ISBN 10
4822810097   COPY
出版者記号
8228   COPY
Cコード
C0074  
0:一般 0:単行本 74:演劇・映画
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2010年4月
書店発売日
登録日
2010年3月19日
最終更新日
2016年4月21日
このエントリーをはてなブックマークに追加

紹介

成田空港反対闘争の三里塚から、過激派(?)映画製作集団が長閑な山里にやってきた。どこの馬の骨かもわからん小川プロがベルリン映画祭で国際批評家連盟賞を受賞!? 村人との悲喜交々を描く。

目次

まえがき

第1章 小川伸介と牧野村
     小川紳介が来た
     「赤い鳥が飛んできた」
     山形国際ドキュメンタリー映画祭の始まり
     荒蕪地耕し米稔る
     小川プロと牧野村
     他所者、契約組合に入る
     冷徹なまでの映像作家の眼
     短編映画三本のいきさつ
     ゴミ焼却場記録映画の顛末
     〝結い〟おこしから解散まで
     真壁仁の詩碑「峠」建立の前後
     無口な百姓が口を開くまで
     二本の映画と残されたことば
     村中挙げての取り組みになるまで

第2章 小川紳介点描
     小川さんは夜ごと燃えたぎる
       火のごとく赤く熱っぽく喋りつづけた
     もう一つの映画祭
     マギノ衆は人がいい
     時空超え一揆の叫び揺りさまされた村の心
     小川紳介の死
     虚構の村の人々へ 寿町の「生活館」

第3章 小川紳介と木村迪夫の青春──佐高信が尋ねる
     小川紳介に出会う
     村から家族から、大反対
     小川紳介の魅力
     牧野村の暮らし
     詩人・真壁仁とのつながり
     米作りとその記録
     『一〇〇〇年刻みの日時計』撮影秘話/小川プロはわたしの青春そのもの

初出一覧

前書きなど

まえがき

 小川紳介さんが亡くなってから、すでに二十年近くになる。
 女房と、いまはアムールという会社を設立して記録映画を撮りつづけている飯塚俊男監督と三人で、小川さんの故郷岐阜県瑞浪市に墓参りに行ってきた。小川さんの墓碑は、円型のまるで地球全体を抱きかかえるイメージで、小川家の墓地の真ん中に据えられていた。まるで生前の小川紳介の思想そのものであると思った。女房は「小川さん、会いに来るのが遅かったね」そう語りかけながら無情和讃をとなえた。小川さんの十三回忌の春まだ早い三月のことだった。
 小川さんに「牧野村に来ないか」と声をかけたのは、わたしのまったくの独断からであった。一九七二年だったか七三年だったか小川プロダクションは三里塚で撮った『辺田部落』という作品を携えて、わがマチの上映会にやってきた。わたしたち村の青年たちと共に上映会を成功させた。
 この作品をわたしは、小川プロダクション三里塚シリーズの総括的作品と読んだ。上映会の後始末も終わったある日、「小川さん、この牧野村に来ないか」と、わたしは声をかけた。こうして小川紳介さんとスタッフ十数人もの牧野村移住が実現したのは、一九七四年春のことだった。
 小川プロダクションが、なぜこの東北の一隅牧野村に移って来たのか? とは、いまだによく訊かれる質問である。わたし自身が小川さんに代わって身勝手な憶測をすれば、次のような結論になりはしないか。〈村と人との根元的なありようを追い求めてやってきた〉と。農民とは、村とは、風土とは──、それは七年にわたる三里塚での闘争を記録する体験のなかから至りついたテーマでもあった。
 一方ではわたし自身のエゴイズムが作用してのことでもあった。この保守的でかつ閉鎖的な村から脱出したい、しかし脱出は不可能である、ならば小川プロダクションのような若い人びとを外から招き、村に入れることによって、わたし自身の活性化と、それが村の活性化につながればこの上ないよろこびであると思った。
 小川プロダクションが、牧野村に移動して間もないころ、当時のわがまち上山市長から自宅に呼ばれた。
「キムラ君、三里塚から赤い鳥が飛んで来たというもっぱらの噂だが大丈夫かね」と詰問されたことは忘れられない。わたしは「市長さんには決して迷惑はかけません。迷惑をかけた折には、わたしの首を差し上げます」と断言した。
 それにしても牧野村の人たちは、小川プロダクションの人びとに、なかなか心を許してくれなかった。小川プロはこうした村の人びとの表情と雰囲気の中では、決してカメラを向けようとしなかった。「待つ」ことの重さを彼らは三里塚の体験をとおして身につけていた。
 牧野村の人びとが彼らを心から受け入れるようになったのは、移住から十年目の『ニッポン国・古屋敷村』が、ベルリン国際映画祭で国際批評家連盟賞をとってからのことであった。千六百人もの観客を収容したまちの市民会館の廊下で「小川さん、石の上にも三年というが、十年かかったね」と、小川さんと二人で抱きあって喜んだ。この思い出は生涯忘れることができない。
 それにしても、この本を作るにあたり、大きな力を貸してくれた評論家の佐高信さんには心からお礼申し上げます。ましてや出版元の七つ森書館の中里社長には、お礼を申し上げる以上のお力添えと、ご苦労をおかけしました。ありがとうございます。

 二〇一〇年二月九日   木村迪夫

著者プロフィール

木村 迪夫  (キムラ ミチオ)  (

山形県上山市生まれ。山形県立上山農業高等学校定時制課程卒業。卒業と同時に自営農として今日に至る。詩人、作家。2003年に『いろはにほへとちりぬるを』で日本現代詩人賞、2009年に『光る朝』で第16回丸山薫賞受賞。主な著書に『木村迪夫詩集』(土曜美術社出版販売)『ゴミ屋の記』(たいまつ社)『減反騒動記』(樹心社)『新編真壁仁詩集』(土曜美術社出版販売)『百姓がまん記』(新宿書房)他多数。

上記内容は本書刊行時のものです。