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聖芯源流 山田 富也(著) - 七つ森書館
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聖芯源流 (セイシンゲンリュウ) 難病と共に生きる風景 (ナンビョウトトモニイキルフウケイ)

社会一般
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発行:七つ森書館
四六判
224ページ
上製
定価 1,800円+税
ISBN
978-4-8228-0983-6   COPY
ISBN 13
9784822809836   COPY
ISBN 10h
4-8228-0983-8   COPY
ISBN 10
4822809838   COPY
出版者記号
8228   COPY
Cコード
C0095  
0:一般 0:単行本 95:日本文学、評論、随筆、その他
出版社在庫情報
不明
初版年月日
2009年2月
書店発売日
登録日
2010年2月18日
最終更新日
2015年8月22日
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紹介

24時間人工呼吸器をつけたまま、14年ものいのちが延長し、57歳までの41年間も筋ジストロフィーを病む山田富也さんの、いのちへの感謝の書。若い人、年輩の人、病む人々が著者の息吹に触れてほしい。日野原重明さん推薦!

目次

いのちの極限から   澤地久枝
山田富也あるいは無限への航海者   天沢退二郎

多くの魂から生きる意味を教えられ

第1章 桜、私の心の友
【詩】透過
 桜、私の心の友          虫も同じ仲間
 葦簾               松島の花火
 ホーキング博士          マツタケ
 野良猫              鳥の声
 クリスマスコンサート       新年のカレンダー
 真っ白な新雪           子どもたちの世界
 笑い               手紙の返事
 次はいつ帰れるの……       西病棟
 夢日記              人工呼吸器
 水を飲む量            印鑑
 いじめ              初めての辛い出来事
 来客多数あり           一日の終わりと最初
 老い

第2章 ありのまま舎らしく
 【詩】一滴
 ありのまま舎らしく        自己決定と自己責任
 一生懸命             自立ホーム十周年
 専従のドクター          スタッフの給料日
 車椅子の青春           街頭に立つ阿部君
 ありのまま舎に関わった時間    二十年来の友人
 焼きいも             散髪
 懐かしい資料           同志としての活動
 受賞の知らせを          絵の構想
 そら豆の赤ちゃん         会いに来てくれる日まで
 ポピパの話            ありのまま記録大賞に幕
 和やかな出版記念会        病気を楽しむ
 普通学校入学           望む場所で生活できること
 小さな小さな声でも        沖縄
 嘱託殺人             日常の死
 チェ・ゲバラ           平和な時代

第3章 生と死と信仰のはざまで
 【詩】ひと息
 私にとっての原点         継続は力なり
 仲間がくれた時間         水への感謝
 生かされている私の使命      命がふわふわしている時
 いったい何度死んだことだろう   生きているうちに感謝できる人生
 生きていくときの支え       「北の国から」を観る
 母の笑顔             母の背中
 子どもたちの成長         父の日
 旅立った父            次兄、六月生まれ
 光を見出していた兄たち      娘の帰国
 母を送る             祈りの会
 重ねられていく悲しみ       自分たちに構わずに行け
 孤独との最後の闘い        死への戸惑いと恐怖
 残していくもの          齊藤久吉理事長の生き方
 眠ることが怖かった        解き放たれる
 セミの生き様が心にしみる

「聖芯源流」の連載二百回から未来へ  白江 浩

あとがき   山田富也

前書きなど

あとがき

 牧師としてたくさんの人たちのために生涯を捧げた齊藤久吉先生が百三歳で亡くなられて丸二年が過ぎた。障害を持った私が、今こうしてありのまま舎という団体を運営していることができるのは、齊藤先生のおかげである。私たち難病の三兄弟を抱え途方に暮れていた母の相談に乗って下さって以来のお付き合いだった。先生は、ありのまま舎の初代理事長として、百三歳で亡くなられるその時まで、まだ若く何も知らない私に、人との接し方や自らの人生の生き方を教え、団体の長であることの責任を教え導いて下さった。そして、私の願うありのまま舎の道筋をいつでも理解し後押しして下さった。
 長兄の死から二十八年。次兄の死から二十六年。今、私は人工呼吸器の発達によって、兄たちが亡くなった年齢と比べて二十以上、長く生かされている。九州・福岡の地で私が生まれた時、私たち五人の家族は、貧しいながらも未来への希望があった。「進行性筋ジストロフィー」という病魔が襲ってくるまでは……。そんな病魔を背負った三人の幼子と共に闘い、やるせない切ない思いで生きた母も、昨年(平成二十年)五月に亡くなった。父の死から六年。私より先には死ねないと言っていた母だが、きっと今頃は母もその重荷を下ろしているだろう。五人いた家族も、私ひとりになってしまった。
 思い起こせば、母の背に背負われ中学まで通うことができ、さまざまな人が交わり生きる社会での経験を持つことができた。それは、病院生活では得られない経験であった。
 いじめられ、無視され、精神的に厳しい経験が多かった学校時代ではあったが、半面、中学校で出会った担任の一喝により同級生が協力的になったこともあった。障害を持つ私にもできる役割があり、できないことよりできることを考えてもいいことを学んだ。それまでの考え方を一変させられた学校生活でもあった。
 中学卒業後はすぐに入院したため高校は通信教育で学びながら、自分より大変な状況にある仲間たちと共に病院で暮らすようになった。夜間の学校に通いながら昼間は私たちの看護をしてくれる同世代の看護師。頻繁に病院を訪れていた学生運動に身を投じる若者たちと議論し、時には下宿に泊まりながら触れ合った。死と隣り合わせの中で生きなければならない悲惨な病院生活の現実の中で、そんな同世代の若者たちとの触れ合いが生きる力となった。そして、多くの筋ジス患者が書き残した詩を『詩集・車椅子の青春』として出版して以来、映画『車椅子の青春』の制作を通して、私たちの運動は全国に広まった。
 あれから、どれほどの歳月が流れただろう。多くの仲間との別れ、家族との別れ、大きな心臓発作で生死を彷徨い、一瞬たりとも自分の力では生きられなくなった今も、鼻を覆うようにマスクをつけ、人工呼吸器によって呼吸を促されながら片時もはずすことなく、窓から見えるわずかな空間と光景を友に、二十四時間をベッド上で過ごしながら十年近く私は生きている。きっと、兄たちも仲間たちも人工呼吸器さえあれば、もっと長く生きられただろう。
 そんな私だが、今も多くの人々に励まされ、支えられている。
 寛仁親王殿下は、ありのまま舎が社会福祉法人として、自立ホームを建設する時から、陣頭指揮をして、私の思いを実現して下さった。名古屋の社会福祉法人AJUの専務理事の山田昭義氏とは、三十年来の活動仲間だが、その山田氏より殿下を紹介していただいてから、すでに三十年が経つ。自らの病(喉頭ガン)との闘いの最中でも、社会福祉法人ありのまま舎の総裁として、私たちを指導下さっている。
 皇族というと多くの人はかしこまってしまうが、直接お会いする殿下にはそのイメージは全くない。恐れ多いことではあるが、私にとってはまさに親分であり、指導者である。
 私の肉体が弱り以前のようには動けなくとも、精神的に参っていたり、弱音を吐いた時でも、私を信頼し、叱咤激励し導いて下さっている。ありのまま舎を作り、今でもその責任者として活動できるのは、殿下のこの支えがあるからだ。信頼して下さることは、私の精神力となり、生きる力となっている。殿下が私に生きる力を与えて下さっている。
 本書の序文を書いて下さった作家の澤地久枝さんは、作家として活動を始められた頃、私たちが主催した真夏の「ハレハレ村のキャンプ」に、取材に来られた時、次兄の秀人と出会い、私たちとの交流が始まった。四十年近く前の話だ。それ以来、「ありのまま記録大賞」の選考委員を始め、兄たちを失ってからも変わらぬ支援者であり、相談相手になって下さっている。そして、もうひとり序文を引き受けて下さった詩人の天沢退二郎さんは、私の書く詩を見ていただいたことから、お付き合いが始まり、「ありのまま記録大賞」の詩部門の選考委員を担って下さった。今でも公私共にご夫婦で支えて下さっている。
 私を支えて下さっている方々はたくさんいる。
 大坂純理事長は齊藤前理事長の後を継ぎ、忙しい中、理事会をまとめて下さっている。その理事長の父・大坂誠先生は、ありのまま舎の初代代表として私にこの活動の道筋を作って下さった方でもあり、親子二代にわたっての支えには感謝という言葉しかない。木下後援会会長には、私の父と会社が同期だったこともあり、幼い頃からよく面倒を見ていただき、半世紀近くも支えていただいている。大阪での映画上映がきっかけで学生時代から、共に活動し、今も傍で太白ありのまま舎の施設長として職員・入居者の声を聞き丁寧に対応するなど私にはないものを持ち、また法人の常務理事として私を支えてくれる白江君。私の日常生活の面のみならず、自立ホームの責任者として担ってくれている川尻ホーム長は、私生活を投げ打って支えてくれている。
 常に傍にいて、私を支えてくれる妻の浪子は、何度も生死を彷徨った私の命を救ってくれた。変化する体調に合わせて食事を工夫したり、大きな心臓発作を起こした時の対応など、浪子がいなければとっくに私は死んでいただろう。
 生きてその成長が見られるとは思ってもみなかった、三人のこどもたち。結婚し、孫の顔を見せてくれた長女。大学を卒業し、自分の希望の会社に就職し将来をしっかり見つめて生きている次女。大学三年の長男は、これからどんな人生を歩もうとしているのだろう。親として、幸せな人生だと思う。
 突き抜けるような青空を眺める。この空の上にはこれまで出会い、触れ合ってきたたくさんの人たちがいる。その中の誰一人欠けても今の私はなく、そのめぐりあわせに感謝せずにはいられない。私の心の源流からは、いつでも感謝があふれ出るようでありたいと願う。感謝の人生でありますように。
 最後に、七つ森書館の中里さんには、まだ私が二十代の頃に『筋ジストロフィー症への挑戦』という本を出版する時にお世話になって以来のお付き合いだが、毎月発行している会報を読み、声をかけて下さった。中里さんの温かい笑顔に包まれて出版できたことに感謝いたします。

著者プロフィール

山田 富也  (ヤマダ トミヤ)  (

1952年4月4日、福岡県大牟田市生まれ。1968年4月、宮城県にある当時の国立療養所西多賀病院に入院。1974年に退院し、ありのまま舎を設立。難病・重度障害者問題について出版・映画・講演を通して啓蒙運動を展開する。1986年、ありのまま舎は社会福祉法人として、自立ホーム、難病ホスピスを相次いで建設。啓蒙運動だけではなく、難病・重度障害の人びとの自立支援を実行。
仙台市より「賛辞の盾」、朝日新聞社より「朝日社会福祉賞」を受賞。
主な著書に『筋ジス患者の証言「生きるたたかいを放棄しなかった人びと」』(明石書店)『前進うごかず』(中央法規出版)『こころの勲章』(エフエー出版)『透明な明日に向かって』(燦葉出版社)『筋ジストロフィー症への挑戦』(柏樹社)『さよならの日日』『隣り合せの悲しみ』(以上、エール出版社)等。
共著書に『難病生活と仲間たち』(燦葉出版社)『いのちの時間』(新潮社)『車椅子の青春』(エール出版社)等。

上記内容は本書刊行時のものです。