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現代リスク社会にどう向きあうか
小・中・高校、社会科の実践
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2013年3月
- 書店発売日
- 2013年3月1日
- 登録日
- 2013年8月23日
- 最終更新日
- 2013年8月23日
紹介
私たちはいま、リスク社会に生きている。
原子力発電所事故と放射能、ダイオキシン、鳥インフルエンザ、BSEや口蹄疫、
環境悪化による自然災害、さらには新自由主義に伴う格差や貧困、「領土紛争」などなどー―。
このリスク社会にどう向きあうか。小・中高校の実践報告を中心にレポートする。
目次
【目次】
1章 リスク社会における 教育の観点と実践
2章 リスク社会が直面す る諸課題
3章 リスク社会における 教育実践
前書きなど
はじめに
〈福島から考える〉
福島の地を何度か訪れる機会に恵まれた。二本松市や南相馬市などを訪問したり、研究会への参加を重ねるごとに、人々の想像を越えた不安、不安定な心に触れたり、またそれでも農作物を作り続け生きていかなければならない農家の方々の悲痛な思いに接することができた。他者(よそ者)が、容易に理解や想像すらできない福島の現場に足を踏み入れたとしても、それ自体どれほど意味があることなのか、自問の連続であった。
また福島の教師たちの多くの実践報告からは、教師たち自身が精神的にもギリギリの位置に立ち、授業というフィールドで生徒たちに現実を直視してもらおうとする姿、現実に立ち向かう見方・考え方を育てたいとの思いや努力を知ることができた。放射能問題を授業で取り上げること自体、その壁は高く容易に進められない現実があることも語られる。ある教師は、こうした実践は、一歩間違えると「地雷を踏む」という表現を使った。
こうした教師たちの薄氷を踏む思いの取り組み、今までの経験と叡智を結集し危機を乗り越え活路を見い出そうとする農家の人々、教育や生産を支えるための支援ネットワーク関係者には頭が下がる思い、と同時に今後を考えるうえで学ぶべき点が少なくなかった。
被災地の人々の生活を見ると、毎日のようにテレビや新聞を通して原子力事故・放射能、避難記事、風評被害、賠償関連の出来事など、目を避けたいと思うことがらや情報に追いまくられ、いやでもそのことから目をそらすことが出来ない状況にある。むしろ半ば強制的に目を向けさせられる現実がある。他方で、東京電力や政府、エネルギー行政に対して、また原子力発電の恩恵をこうむってきた首都圏の人々への恨みや怒りは、それを強くすればするほど、ある種の虚脱感が増していくと推測される。人々は、時には怒りさえ隠蔽してしまう。この点を軽視したような、東京など安全な遠隔な地からの同情心、ここぞとばかり勇ましくする反原発の主張も、人々には簡単には通じない。
私たちが当事者と同じ地平に立って発想することは難しい。福島の問題に限らず、長年の水俣の問題も同様であり、1995年の阪神淡路大震災や2004年の中越地震の被災と復興、2011年の宮崎口蹄疫や鳥インフルエンザの被害をはじめ、いままでも数多くの予想もしなかった出来事が発生したが、私たちは多くの場合その当事者の視点に立つことが容易でなかったという経験を持っている。その時、私たちにできたのは、少なくとも人々の心、当事者意識を多少なりとも理解しようとする努力だけだったように思う。
〈「リスク社会」ということ〉
浅野智彦氏は、人々がリスク現象を受け止めそれに対処しようとする時、さらに別のリスクが生じて深刻化するという関係を危惧し、リスク社会という概念はそのことを含意していると指摘している(日本社会科教育学会2013年度大会シンポジウムでの発言)。放射能の拡散という、とても大きなリスク問題に対して、福島の人々が現に負っている精神的苦悩や不安、避難、風評被害と言われるものはそのことを示している。しかもリスク処理においても個人が選択せざるを得ない場面が少なくない。個人の意思や判断で、福島の地を離れることも、また残ることもあろう。リスク社会の特徴は、個人が分断されているところにある。
リスク社会に向き合う時に、新たなリスクを増幅させることなく、私たちは向き合い方や問題解決の方向を考え、また問題解決のための人々をつなぐネットワークの形成が不可欠であろう。その点で、いままでリスクを負ったり、現に負っているさまざまな地域での人々の向き合い方や活動からたくさんのことを学ぶことができる。例えば、二本松市の有機農業に取り組む人々の動きのなかに新しい挑戦と活路の動きを見いだすことができる。さまざまな分野での福島の人々を支える研究者の活動も印象的である。地域に共感を持った専門家の専門知の提供があり、また専門科学研究が反対に福島の現状を学ぶ機会と位置づける姿がそこにはあった。
以上のように考えると、私たちは福島にとどまらず、他の多様な危機と向き合う事例やウィルスの爆発(パンデミック)という新しい危機から、これからのリスク社会に向き合う教育の視点を模索することが大事と捉えている。
〈本書の試み〉
本書は、「リスク社会」という視点で現代社会を捉えなおし、この現代社会に向き合う教育実践のあり方を再構築しようという趣旨で構成している。グローバリズムの進展がリスク社会を必然化し、私たちは、今までとは異なる巨大で、同時発生または瞬く間に国境を越えて拡散する諸問題、しかも既存の科学技術や学問的知見では容易に解決しえない諸問題に遭遇、翻弄される現実に生きている。この新しい事態は、原子力発電所事故と放射能、ダイオキシン、鳥インフルエンザ、BSEや口蹄疫、社会的災害の性格をも持つ大規模自然災害、さまざまなウィルスの拡散、さらには新自由主義経済に伴う格差や貧困、資源獲得とナショナリズムがより強固になった結果の「領土紛争」など、解決が容易でないさまざまな多領域の問題発生を内容としている。
リスク社会への向き合い方は、当然、その解決の仕方や方向を同時に考え、提案していかなければならない。さもなければリスク社会の主張は、単なる将来への社会不安を扇動するだけのものであり、それを語ること自体が危険なものとなってしまう。リスク社会の向き合い方のポイントは、正確な情報伝達と、多くの人々との民主的なコミュニケーションの創造と広がりであり、また問題解決のためのネットワークの形成なども不可欠であろう。さらに既存の学問研究を相対化してみることも重要であろう。
以上のように考えると、教育実践においても、こうしたリスク社会に向き合う内容と方法をどのように開発していけばよいのか、その点が課題である。私たちは、2008年以来、新しい時代における市民教育のあり方についての議論と教育実践を追究してきた(『社会科教育の再構築をめざして―新しい市民教育の実践と研究―』東京学芸大学出版会も2009)。しかし2011年3月11日の東日本大震災は、私たちの考える市民概念の甘さを露呈し、その修正を迫ったのである。そして以後、リスク社会概念を導入し、市民性とその教育実践のあり方について集中して検討してきた。とはいっても、本書の各実践も、まだ明確な方向性を持った提案ができたわけではない。その点では、本書は現段階における私たちの中間報告としての意味合いを持つ内容としてご理解いただきたい。
最後になりましたが、各地の調査等にご協力いただいた関係者の皆様、および授業を作り上げてくれた児童・生徒の皆さんに深く感謝の意を表したい。合わせて、読者の皆様からのさまざまなご意見、ご批判を頂ければ幸いである。
(編著者を代表して・坂井俊樹)
上記内容は本書刊行時のものです。