書店員向け情報 HELP
出版者情報
書店注文情報
在庫ステータス
取引情報
アボジが帰るその日まで
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2009年8月
- 書店発売日
- 2009年8月20日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2023年10月10日
紹介
ヒジャさんが、合祀取消しを求める経緯 (ここいれてください)
イ・ヒジャさんのアボジ(父)、イ・サヒョンは1944年2月15日に日本軍か
らの徴用命令を受けた。京城(ソウル)で、輜重兵第49連帯特設勤務大101中
隊に編入され中国へ送られる。1945年6月11日中国南部全県で破傷風のため死
亡。日本政府は徴用者の戦死を、家族に知らせなかった。朝鮮に残された家族は
夫や父の帰りを待ち続けた。ヒジャさんがそれを知ったのは、1989年、『被徴
用死亡者連名簿』によってだった。
さらにヒジャさんは、韓国の国家記録院で、『支那派遣軍第6方面軍第11軍隷
下部隊留守名簿』に、父の名前があり、「合祀済」の判をみつける。「合祀とは
どういうこと? アボジは、天皇のために戦ったのではない、なのになぜ靖国神
社に合祀なのか? しかも遺族の同意も得ずに」。
――ここからヒジャさんの合祀取消しを求めるたたかいが始まった
目次
第一章 イ・ヒジャ物語ー日本で提訴するまでの足どり
生まれ育った村/歴史を見てきた江華島/朝鮮戦争/戦火を逃れて/母の再婚/ハルモニの愛/平凡な家庭生活/父の記録と出会う/「合祀」の文字に驚く/キム・カクスンさんと出会う/父の戦場へ/台湾・沖縄とともに/闇を照らすキャンドル
第二章 江華島ふたり旅
初めての江華島/日韓の近現代史が始まった島を歩く/明治維新5年めで対外戦争合祀が始まる/生家前で父の記憶がよみがえった/ヒジャさんの悔しさが胸に響いた/戦争で勢いづく「男性」らしさ/少数派の人権をおろそかにした最高裁の判断/年貢の取立てが徴用に直結していた/軍事境界線が手の届く近さにあった/今も終わっていない皇民化の道/貧窮の植民地の暮らしにダブる今の豊かさ/古代史の風に吹かれて考えた/地図にない瀟洒な尼寺
資料編●イ・ヒジャさんの裁判をもっとよく理解するために
前書きなど
あとがき
―― 朝鮮人は帰れ!
―― ここはおまえらの来るところじゃないんだ!
初めてヒジャさんと会ったのは、第二章「江華島ふたり旅」の冒頭でも書いたが、2001年8月14日。靖国神社の大鳥居の前でのことだった。
根深い民族差別とヒステリックな排外主義。やりきれない思いで立ちつくした。ヒジャさんの裁判の先行きがどんなことになるのやらと危ぶまれ、裁判の支援に入ると同時に、靖国合祀問題の取材を始めた。
ある時、ヒジャさんから本を作りたいと相談を受けた。自分の国はもうとっくに日本の植民地支配から解放されているのに、いまだにヒジャさんのアボジが靖国神社に拘束され続けているのはおかしい。そのおかしさに、日本の遺族たちも気づいてほしいとヒジャさんは言った。ヒジャさんのメッセージを伝えることならできそうだと、手伝いを引き受けることにした。
しかし、本作りはなかなか進行しない。わたしが韓国語を話せなくて直接ヒジャさんと会話ができないというハンデが大きかったが、何よりも合祀問題のわかりにくさがわたしたちの作業を遅らせた。ヒジャさんにとっては、父親が靖国神社に合祀されていることはこの上なく深刻なことなのに、日本人遺族にとっては、靖国神社に合祀されることが遺族として社会的認知を受けることであり、とりもなおさずそれは遺族年金を受ける対象となることであった。それによって戦後を生き抜いてきたからだ。
一方、ヒジャさんたち韓国人遺族は、戦争が終わったとたんに日本政府から放り出され、補償を1銭も受け取っていないばかりか、死亡した父親の供託金さえ受け取っていなかった。
韓国人遺族と日本人遺族との差が次第に明らかになってきたが、ヒジャさんはその差を日本政府と靖国神社の連携した行為ゆえと考えて、その不当性を訴え続けた。両者は植民地時代そのままに、戦後も水面下でつながりを持ち続け、合祀の正当性を主張し続けて現在に至っている、と。
この本では、ヒジャさんがなぜ提訴にいたったかに焦点を当てた。
ヒジャさんは、集会等で日本の人びとに語りかける時、自分のようなおばさんがなぜこんな過酷な合祀取消し運動にかかわり、たびたび日韓の国境を越えて来日し、日本各地をまわっているのか、その理由をわかってほしいとまず訴える。日本人の遺族も、遺族でない人も、合祀の真の意味を理解すれば、日本社会が引きずっている植民地時代の国家犯罪に気づくのではないか。
江華島への旅は、わたしにとってひとつの転機だった。日本の近代史そのものがぐらつき出した。明治政府は武装闘争でのし上がっただけでなんら正統性がない。とすれば、「日韓併合」も成り立たないはず。そんな思いがアタマの中を駆けめぐった。
ヒジャさんと旅して、自分もまた「兵士の子」であることに気づかされたことも大きかった。もし父が戦死していたら、わたしも日本人遺族になっていたはずだ。そう気づいたとたん、靖国神社との距離が縮まった。
裁判も進行中で、今後の靖国合祀取消し問題の先行きは定かでないが、少しでも読者のみなさんがヒジャさんの思いを理解する一助になればと思っている。
最後に、韓国語を理解しないわたしのために、通訳と翻訳を引き受けてくれた赤池すなおさんに心からのお礼を申し上げたい。また、梨の木舎の羽田ゆみ子さんとスタッフの方々にもお世話になり、感謝している。資料の提供など、支援グループのみなさんにも支えられ、ようやく本を敗戦の日(韓国では光復節)64周年に間に合って完成させることができた。
2009年8月15日 竹見智恵子
上記内容は本書刊行時のものです。