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田原俊彦論 岡野 誠(著) - 青弓社
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田原俊彦論 (タハラトシヒコロン) 芸能界アイドル戦記1979-2018 (ゲイノウカイアイドルセンキセンキュウヒャクナナジュウキュウニセンジュウハチ)

芸能・タレント
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発行:青弓社
A5判
縦210mm 横148mm 厚さ24mm
重さ 430g
400ページ
並製
定価 2,000円+税
ISBN
978-4-7872-7403-8   COPY
ISBN 13
9784787274038   COPY
ISBN 10h
4-7872-7403-1   COPY
ISBN 10
4787274031   COPY
出版者記号
7872   COPY
Cコード
C0073  
0:一般 0:単行本 73:音楽・舞踊
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2018年6月
書店発売日
登録日
2018年5月31日
最終更新日
2020年6月15日
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重版情報

3刷 出来予定日: 2019-07-08
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ファンを中心に読んでいただき、おかげさまで3刷出来です。取材を重ねて多くの文献・資料にもあたっていて、ジャニーズ論や芸能史としても貴重な内容に仕上がっています。読み応え、あります。

紹介

本人へのインタビューや関係者への取材、膨大な資料の緻密な読解を通して、トップアイドルとしての人気絶頂からバッシング、苦境・低迷、そして現在の復活までを熱がこもった筆致で描き出し、芸能界で常に戦い続けてきた田原俊彦の魅力に迫る。

目次

凡例

はじめに

第1章 時代を変えた芸能界デビューとアイドルへの偏見との戦い――一九七九―八五年

1 『3年B組金八先生』でつかんだ大チャンス

ジャニー喜多川に与えた第一印象/生徒役で田原に渦巻いた疑問とジャニーの育成方針/初めて『太陽にほえろ!』の視聴率を超えたのは田原メイン回

2 ジャニーズ事務所を救った――一九八〇年の大爆発

「哀愁でいと」誕生秘話を作詞家・小林和子が初めて明かす/歴史を塗り替えたオリコン初登場トップテン入り/「ハッとして! Good」で目覚めた一九八〇年代/五木ひろしのマフラーとレコード大賞最優秀新人賞と『紅白歌合戦』/ジャニー喜多川が田原を一九七〇年代にデビューさせなかった理由

3 『ザ・ベストテン』の時代

番組を立ち上げたTBS局員が開始までの試行錯誤を語る/「伝説のオープンカー中継」を担当ディレクターと追っかけマンの生島ヒロシが回想/松田聖子との演出で話題をさらい、「空中マイク投げキャッチ」を勝負強さで乗り越える

4 なぜ、田原俊彦はトップアイドルの地位を継続できたのか

ジャニー喜多川の提案を蹴った「グッドラック LOVE」/「歌が下手」と揶揄されたのに、なぜ売れたのか/名倉加代子が語る「トシのターン」とアイドルへの低評価を変える地道な努力/マイケル・ジャクソンのムーンウォークを日本で初めて取り入れた「シャワーな気分」/ジャニーズ事務所の独壇場ではなかった一九八〇年代前半の男性アイドル界

第2章 低迷期から一転、アイドルの寿命を延ばした大復活劇――一九八六―九三年

1 『びんびん』シリーズ開始と『紅白歌合戦』落選

阿久悠の審美眼/マーケティング完全無視で誕生した『びんびん』シリーズ/男性アイドルのドラマ道を切り開いた功績/野村宏伸の逆ギレで名コンビ誕生/視聴率低下の波にさらわれた『紅白歌合戦』落選

2 「抱きしめて TONIGHT」で第二次黄金時代突入と『紅白』辞退

『教師びんびん物語』企画者・亀山千広の発想が生まれた瞬間/野村宏伸の証言「現場の雰囲気作りナンバーワン俳優は田原俊彦」/「もしもし、ジャニーだけど」/『ザ・ベストテン』五年ぶりの一位返り咲き/アイドル出身唯一の快挙『ザ・ベストテン』年間一位獲得の裏にあった男の気遣い/『紅白歌合戦』辞退――報道は一見田原寄りだが、主眼は権威のNHK叩き/「アイドルのくせに」という偏見と常に戦い、己を貫いてきた/アイドルかアーティストかという区別は無意味である

3 『教師びんびん物語Ⅱ』で「月9」初の視聴率三一・〇%

現代へのアンチテーゼになる「ごめんよ涙」の制作過程を作曲家・都志見隆が初めて語る/「せんぱ~い!」「榎本!」誕生の瞬間を野村宏伸が告白する/阿藤海、萩原流行、矢島正雄……全員が根幹的な意識を共有していた/「人と比べて生きることぐらい、愚かなことはない」――徳川龍之介の名言集

4 勝ち続けられない――スターの葛藤と人間らしさへの渇望

過熱する人気への不安/ジャニーズ事務所の対応を変えた田原の一言/二番煎じの〝熱血漢ドラマ〟で消費され尽くす/なぜ、映画『課長島耕作』はヒットしなかったのか/一貫性がある思考に変化が起こった

第3章 ジャニーズ事務所独立と「ビッグ発言」による誤解――一九九三―九六年

1 当初は問題視されなかった「ビッグ発言」

「FOCUS」のスクープで交際発覚/入籍前後のワイドショー報道「田原俊彦さんの車のようです。いま、十二時五十二分です」/田原俊彦が過ごした時代と芸能マスコミの歴史/報道と異なる真実――ジャニーズ事務所に結婚を報告していた/会見直後、タイトルに「ビッグ」を使ったスポーツ紙や週刊誌はほとんどなかった/コメンテーターと視聴者が怒っても、マスコミはまだ柔らかい論調だった

2 なぜ、ジャニーズ事務所を辞めたのか――一九九四年のジャニーズ事務所

ジャニーズ事務所の歴史的転換点となる一九九四年/独立の際に「ジャニー喜多川のお墨付きを得ていた」という証言/田原本人の言葉と批判的な「日刊スポーツ」取材の思わぬ一致/光GENJI事実上の解散/SMAP大躍進と『HEY!HEY!HEY!MUSIC CHAMP』の開始/近藤真彦の結婚/木村拓哉の交際報道後のSMAP大ブレイク――一九八〇年代と九〇年代のファン気質の変化

3 突然蒸し返され始めた「ビッグ発言」

たった一週間で扱い方が急変した「ビッグ発言」――私が田原俊彦に興味を持つようになった理由/「マスコミに媚びを売ることはしない」という脱アイドル宣言/〝ビッグ〟を切り貼りする過剰なバッシング/テレビで冷静に語っていた「人間・田原俊彦」の真っ当な価値観/礼賛ばかりの境遇で、自分に〝喝〟を入れる唯一の手段がビッグマウスだった

4 不透明な投票方法「an・an」「嫌いな男一位・田原俊彦」への疑問

矛盾に満ちた一九九四年の「an・an」ランキング/CD売り上げは上昇し、プロモーション時のテレビ出演はジャニーズ時代よりも増えていた/ファンクラブ解散と女性ファンの結婚適齢期が、ライブ動員減少の最大原因/「ザテレビジョン」人気投票で年間四位という事実/ワイドショーは視聴率を稼いでくれる男への感謝の気持ちはあったのか

5 大いなる謎――俳優業から遠ざかった理由とは

脇役を引き受けたドラマ『半熟卵』の出演理由/沈んでいるときにどう立ち向かうか――独立後初のオリジナルアルバムに込めた決意/「おまえ、田原と一緒に没落するのか?」と言い放たれていた人物/『笑っていいとも!』レギュラーもアルタに充満した変な空気/「ドラマは視聴率競争に勝てる人だけが主役をとれる」と漏らした本音/『必殺』シリーズに出演した理由/『笑っていいとも!』レギュラー終了でテレビから消える

6 特別検証:田原俊彦とジャニーズ共演NG説を追う

独立直後に少年隊やSMAPと共演した事実/「メリーさんに「トシが出るなら、ウチのコを出さないよ」なんて言われたことない」/疑念は『いいとも!』特大号から始まった/田原がテレビから引いた事実と拡大するジャニーズ枠/『夜ヒット』プロデューサーが「一九八〇年代のテレビ局と芸能事務所の関係」を明かす/「SMAPの中居正広と申します」――田原がいる部屋をノックした後輩/V6井ノ原快彦の「ビッグ発言擁護放送」/田原本人は共演NG説をどう考えているのか

第4章 テレビから消えた逆境をどう生き抜くか――一九九七―二〇〇九年六月

1 「田原俊彦の生きざま」を体現した『Dynamite Survival』

「近藤真彦をうらやましいと思わないか?」への本人回答/「ビッグ発言」がもたらした幸福と沢田研二も語っていた「仕事を選べる贅沢」/「泣き言や相談は一切なかった」――十五分の一に激減したステージに向かう精神力と意地/初めて田原俊彦を見たイベントでの憂鬱とコンサートでの歓喜/「年間ベストテン一位のとき以上に泣きました」――親友を救った男気/挫折を味わった男にしか歌えない歌/「Dynamite Survival」誕生秘話を作詞家・真間稜が初公開

2 本人取材で投げかけた厳しい質問

ジャニーズ独立後に感じていた物足りなさ/「見たか、俺の感じ悪いテレビ!」がついに実現した取材での一言目/「裏切られることは手を握った瞬間から承知」/「なぜ写真週刊誌の取材を受けてくれたんですか?」という根本的な疑問/「テレビでの横暴な振る舞いをやめてくれ」と問い詰める/「手を抜いているのでは?」という質問にステージで示した回答/「どうせいいことしか言わないんだろ!」――スターと孤独

3 寄り添い続ける人たち

「キング・カズ」三浦知良との友情①――世紀の手のひら返しをくらった二人にしかわからない心境/「キング・カズ」三浦知良との友情②――大事なのは良いときも悪いときも変わらず同じ姿勢で臨むこと/田原俊彦と松井五郎と都志見隆の人間交差点

第5章 払拭された誤解と人気復活への序章――二〇〇九年七月―一八年

1 継続と出会いが流れを変えた

爆笑問題の突っ込みがイメージを一変させた/母親「トシ君はね、口は悪いけど、心は優しいからね」/口パクを拒否し続ける姿勢――『HEY!HEY!HEY!』出演が流れを変えた/『爆報!THEフライデー』でのビッグ発言検証で十七年間の誤解が解ける/太田光作詞の「ヒマワリ」はファンと田原の宝物になった

2 ステージに懸ける思いとファンへの感謝

努力を見せない美学――華麗に舞う「Bonita」を見たことがあるか/いまの田原俊彦のステージこそ、ジャニー喜多川の理想である/ファンを第一に考える「永遠」の絆

3 もう一度、大ヒット曲を出すために

「俳優・田原俊彦」は復活しないのか/他流試合が作家陣の潜在能力を感化させる/田原俊彦にしか歌えない歌がある――阿久悠のエンターテイナーの定義との合致/年一枚のシングルなら踊る曲で勝負してほしい――思い返される徳川龍之介の名言/ちゃんと病院に行ってください
 
おわりに――こんなものじゃないよ、田原俊彦は

本書で言及しているコンテンツの情報一覧

本文中に記述がない参考文献一覧

巻末資料1 田原俊彦の1982年出演番組表

巻末資料2 田原俊彦の1988年出演番組表

巻末資料3 田原俊彦の『ザ・ベストテン』ランクイン曲と回数、視聴率

巻末資料4 『ザ・ベストテン』歌手別ランクイン総数ベスト50

版元から一言

田原俊彦は、芸能界で常に戦い続けてきた。

アイドルに対する偏見、長女誕生記者会見時の「ビッグ発言」で誤解をもたれた一方で、ジャニーズ事務所を再生し、ドラマ主演の道を切り開いた功績が過小評価されているのではないか。

過去取材における田原本人の言葉、『教師びんびん物語』の盟友・野村宏伸、作曲家・都志見隆、『夜のヒットスタジオ』元プロデューサー、元CHA-CHAの木野正人など複数人へのインタビューで、初公開のエピソードを随所に盛り込む。

「哀愁でいと」「グッドラックLOVE」誕生の瞬間、『ザ・ベストテン』年間1位獲得秘話、独立の際に「ジャニー喜多川のお墨つきを得ていた」という証言、SMAP中居正広との邂逅……。「ジャニーズ事務所との共演NG説」も徹底検証。

1982年、88年のほぼ全出演番組(視聴率、内容、テレビ欄など記載)、『ザ・ベストテン』の全ランクイン曲の思い出のシーンを振り返る巻末資料も充実。

著者プロフィール

岡野 誠  (オカノ マコト)  (

1978年生まれ。早稲田大学政治経済学部卒業。テレビ番組制作会社を経てライターに。その後、「FLASH」(光文社)、「週刊ポスト」(小学館)の記者を務め、2017年フリーに。研究分野は視聴率、プロ野球選手名鑑、松木安太郎、生島ヒロシなど。

上記内容は本書刊行時のものです。