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記憶のなかの日露関係 日ロ歴史を記録する会(編) - 彩流社
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記憶のなかの日露関係 (キオクノナカノニチロカンケイ) 日露オーラルヒストリー (ニチロオーラルヒストリー)

歴史・地理
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発行:彩流社
A5判
縦215mm 横155mm 厚さ28mm
重さ 580g
389ページ
上製
定価 4,000円+税
ISBN
978-4-7791-2328-3   COPY
ISBN 13
9784779123283   COPY
ISBN 10h
4-7791-2328-3   COPY
ISBN 10
4779123283   COPY
出版者記号
7791   COPY
Cコード
C0020  
0:一般 0:単行本 20:歴史総記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2017年5月
書店発売日
登録日
2017年3月21日
最終更新日
2017年5月26日
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紹介

日本、満州、ソ連……。
戦前の暮らしから戦中、戦後へ、
九名の波瀾の人生を通して
語りかける記憶にとどめたい
“知られざる歴史”の断面!

目次

【収録内容】

Ⅰ 小野寺百合子(1906─1998)

小野寺信陸軍歩兵中尉(後に少将)と結婚。
1936年ラトヴィア公使館付武官(~38年)、
40年(~45年)
スウェーデン公使館付武官に
任命された夫とともに、計七年間両国で暮らし、
夫の諜報活動を支えた。

Ⅱ 佐藤 休(1908─2003)
──(附)杉原千畝関係資料

1940年10月ソ連邦チタの
満州国領事館副領事として赴任。
45年8月ハルビンでソ連側に拘束され、
モスクワの軍事裁判で禁固20年の判決を
受ける。56年10月、日ソ共同宣言の調印に
よりソ連抑留中の日本人とともに帰国。
日ソ東欧貿易協会
(今の経団連の日露経済合同委員会)の
事務局長を務めた。

Ⅲ 丸山直光(1909年─2000年)

1932年ハルビンの露西亜通信社に入社、
支社長を経て、
38年に関東軍情報本部付陸軍通訳官として
ハルビン特務機関第2班(文諜班)に。
ノモンハン事件では、特務機関の下に
編成された第2野戦情報隊の情報主任として
出動し、情報の収集・分析に当たる。
戦後はGHQ顧問、ソ連問題研究会事務局長、
雑誌『ソ連研究』編集人、内閣調査室嘱託、
総合研究所研究員など。

Ⅳ 伊藤 弘(1916─2006)

1938年ロシア語通訳要員としての訓練を受け、
翌年のノモンハン事件で関東軍情報部から
戦場情報隊として派遣され、
その後ハルビン特務機関の「文書諜報班」で
終戦まで勤務。戦後ソ連に抑留され、
中央アジアなどで11年の収容所生活を送る。
昭和31年帰国。
住友商事でソ連貿易のかなめ的存在として活躍。
その後、原子力産業会議で
ソ連との交渉に大きな功績を残した。

Ⅴ 中田光男(1918──)
──(附)リュシコフ関係の文献

1941年東京外国語学校露語部貿易科卒と同時に
民間人スタッフとして
陸軍参謀本部の特務班に入る。
1943年10月に徴兵され、ハルビン特務機関に
入り、少尉として特殊任務や工作に従事、
終戦を満州で迎える。
戦後は内閣調査室勤務を経て、
ソ連問題研究会を主宰するなど一貫して
ソ連をめぐる国際政治の研究に携わった。
「瀬島龍三への公開質問状」などの文献リストも
付す。

Ⅵ フセヴォロド・チェウソフ(1920─2007)

ハルビン生れ。1943年建国大学を卒業、
満州国の官吏養成機関である大同学院で
半年間の研修を受けた後、協和会露人部に入り、
ハイラル方面でロシア人を対象に
満州国の経営理念についての普及活動に従事。
戦後ソ連で10年間の収容所生活。56年から
イルクーツクで鉄道技師として働き、
定年退職後はブラーツクの近郊のヴィホレフカで
中学生に日本語を教えるかたわら、
ブラーツクの姉妹都市である
七尾市(石川県)との交流にも尽力。

Ⅶ 都沢行雄(1922─2004)

日本人とロシア人女性との間に
ウラジオストクで生まれる。
朝鮮の元山、ハルビン、長春を経て26年ごろより
奉天に住む。
春日尋常高等小学校を卒業後、家業の薬局の手伝い、
ロシア人相手の代書屋などを行なう。
45年8月ソ連側に拘束され、スパイ罪で10年の刑を
受け抑留生活を送り、
55年に帰国。
防衛庁2部に16年間勤務の後、ニチメンに入社、
対ソ貿易に尽力した。

Ⅷ ヴィクトル・キム(1926─2009)

ウラジオストク生まれの朝鮮系ロシア人。
徳恵で日本の尋常高等小学校を卒業後、
ハルビンで四年制のロシア人中学校で学ぶ。
1944年、ロシア人対象に日本が開設した
「北満学院」の工業科に入学。
翌年8月のソ連軍の満州侵攻後、日本語通訳として
動員され、同年12月ハバロフスクに移動、
日本人抑留者収容所に勤務した後、
旧関東軍731部隊に対する
ハバロフスク裁判の通訳を務めた。
タス通信ハバロフスク支局日本課長を経て、
1970年モスクワ放送日本語課に入り、
日本語通訳として、
1991年のゴルバチョフソ連大統領の訪日、
日露専門家会議などで大きな役割を果たした。

Ⅸ レオン・ストリジャーク(1927─2005)

ハルビン生まれ。
来日経験のある母のすすめで日本人幼稚園、
地元のロシア人小学校を経てハルビンの
YMCA中学に入るも、
チチハルの満州興行銀行に就職。
終戦後はハルビンのソ連軍司令部、
チチハルのソ連領事館などの通訳を経て、
46年から54年まで重慶で
ソ連の映画事務所の代表を務めた。
54年ソ連に帰国、56年以降
日ソ漁業交渉をはじめ
両国要人の通訳として活躍。
モスクワ東洋語大学で教鞭を執り、
600人を超える教え子には対日関係で
活躍中の人が多い。
日本語教科書の著作多数。2005年旭日章を受章。

上記内容は本書刊行時のものです。