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介護短歌の記 坂元 秀美(著) - 彩流社
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介護短歌の記 (カイゴタンカノキ) 夫婦で歩む二百首 (フウフデアユムニヒャクシュ)

社会一般
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発行:彩流社
四六変形判
縦188mm 横118mm 厚さ8mm
重さ 130g
92ページ
並製
定価 700円+税
ISBN
978-4-7791-1655-1   COPY
ISBN 13
9784779116551   COPY
ISBN 10h
4-7791-1655-4   COPY
ISBN 10
4779116554   COPY
出版者記号
7791   COPY
Cコード
C0072  
0:一般 0:単行本 72:写真・工芸
出版社在庫情報
品切れ・重版未定
初版年月日
2011年9月
書店発売日
登録日
2011年8月8日
最終更新日
2019年5月31日
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紹介

高齢化社会の中の“夫婦介護”の心情を赤裸々に吐露した二百首!
夫婦の愛、生きることの意味、絶望と希望・・・・・・
介護する人、される人、すべての人に贈る五七五七七の心。

多様な病歴を持つ妻の介護をバリアフリーのマンションに転居し、息子と二人で在宅介護を覚悟し、デイサービスやヘルパー、医師や看護師の訪問診療などの支援を受けながら、 今日よりはささいなことも生きざまを短歌に託し残さんと思う と決して書き綴った短歌日誌。

つかれはてベッドに倒れ横に伏すなまけ病だと自嘲する妻
お別れの時は間近ねと妻の言う箸の運びはとどまりて居り
妻一人残すは無残願わくば吾より先に旅立ちたまえ
屠蘇道具揃える吾に妻の言う誰も来ないに出さなくてよい
いつまでも起きない妻にふと不安洗顔やめて急ぎかけ寄る
食べ物をのどにつまらせふるえ出す妻の容態走り知らせる
MRI結果を聞けば素人に判らないよと医師のごう慢
流す背の小さくなりて真白なり苦労したなと賞でる言葉を
気は長く心は丸く腹立てずジュモンをとなえ妻を介助す
いつの日かまつらるるはず墓にきて妻と楽しむ中秋の空
永らえて八十路を迎え吾が想い子や孫と別れる時は如何にあるべき
おとうさんお母さんとは呼ばないで今日から名をば呼ぶときめきたり
介助する息子に比べ思うのか吾に向いて役立たずと言う
大地震息子の背中に母背負い四階までをやっとたどりぬ

目次

目 次


一、短歌との出会い……………………………… 5

二、妻の病歴と私の介護歴、介護を短歌に……………………………… 7

短歌 妻と共に(一)……………………………… 11

三、NHK「介護百人一首」に投稿して……………………………… 47

短歌 妻と共に(二)……………………………… 51

あとがき……………………………… 89

版元から一言

  一、短歌との出会い


 私の学生時代入学試験の科目に古文というのがありました。
 清少納言の枕草子、兼好法師の徒然草等の中から問題が出されていました。
 勉強する内に萬葉集とか〈古今和歌集〉とかに接することが出来ました。
 この和歌から短歌に興味を覚えるようになりました。
 石川啄木、若山牧水などに親しみました。
 私が親のように慕っていたおじさんもあららぎ派の仲間に入り『昭和新萬葉集』にも一首掲載されていました。
 私は商業学校一年の時、赤痢で隔離病棟に入院しました。あとでその時危篤状態であったことを知りました。おじさんは白衣を羽織って見舞いに来てくれました。そして枕元にはげましの短歌一首を置いて帰られました。
 その後おじさんの感化をうけて短歌を詠むようになりました。多感な少年時代、時は満州事変、日中戦争、そして太平洋戦争と戦争時代でした。
 若くして戦死して行く人達、玉砕の報などに対し鎮魂の短歌を詠みました。そして自ら早く兵役につくことの願いを表現するようになりました。
 戦後二十歳前半には職を求め大分、宮崎、そして長崎の五島列島と転々としましたが、私の短歌は心を癒す友となりました。
 そして、ようやく職に就き結婚すると、仕事仕事と多忙の日が待っていました。
 短歌など詠める余裕はなく、時折り俳句を手軽に作り、俳句では手に負えない時、短歌を詠むというような有様でした。
 しかし、それでも継続することが大切で、短歌は心を癒してくれる友でした。


  二、妻の病歴、私の介護歴、介護を短歌に

 妻の病歴は多様で、若い頃無病息災であったのが不思議に思えてきます。
 ヘルペス、骨粗しょう症、脳梗塞、脚の血栓、高血圧、腎臓結石、坐骨神経痛、言語障害、圧迫骨折、腰痛、そして死に目にあった肺炎二回、よくぞまあ耐えてきたものと感じ入ります。
 この治療のため、私は常に付き添い同伴しました。
 言語障害によるおしゃべりのリハビリには、約一年間通院して快癒しました。圧迫骨折により歩行困難となり、訪問看護を受けて二年余り、私も一緒にリハビリに参加しました。
 平成十年より通院がはじまり、途中数回入院を繰り返し介護に努めましたが、先行き不安になり、バリアフリーのマンション暮らしを考えました。
 幸い平成二十年六月にマンションに転居することができ、デイサービスの通いも便利になりました。
 ところがその年十月、デイから迎えが来る朝、車椅子からずり落ちて救急車の世話になって入院、股関節骨折の手術となってしまいました。
 三ヶ月で退院できましたが、要介護四、介護施設はどこも四ヶ月以上待たなければ入所できない有様でした。
 息子と二人で在宅介護を覚悟しました。
 ケアマネージャーの献身的な努力で、在宅介護が実現することになりました。
 ヘルパーさんに来てもらい昼は食事の介助、夜は足浴やおむつの取り替え、医師の隔週の訪問診療、看護師さんの隔週訪問、介護士さんのリハビリなどを受けデイサービスも週二回と現在も続いています。
 在宅介護が一年過ぎ、ヘルパーさんに代わって引き受けて、見よう見まねの介護に専念しています。
 息子は食事を担当し、その他雑用は私が引き受けています。平成二十二年の八月からは医療マッサージ訪問をお願いして、私も一緒に治療を受けています。
 この日々を短歌にして自らをなぐさめているのです。
 振り返ると、当初は妻に寄り添った主に介助でしたが、骨折してからは二人二脚という感じの介護になっているように感じます。
 それが短歌に表現されていると思います。

 百歳の母親を介護した娘さんが、日々その都度に母の姿を見て、思いを短歌にしたというテレビのビデオを見て感動しました。
 平成十六年十一月五日より私も妻とともに生きる姿を短歌にしたいと発心しました。




  あとがき

 辞書によると
 介護とは、けが人や重度の身障者又寝たきり老人などに常時付き添っていてその全般にわたってこまごました世話をすること。
 介助とは、病人、身障者、老人、の食事、着替、入浴、用便、などが円滑にその都度必要に応じて手を貸してやること。
と、ある。
 私達が行っている介護は、辞書の解釈からすると介助ではないかと思われます。
 医療法人による訪問診療、訪問看護、訪問リハビリ、訪問マッサージなど毎週のサービス、そして週二回のデイサービスとすべて外部から来ていただいています。
 私の単独の介助は、おむつの取替え、排便、排尿、洗顔、食事、体操、歩行訓練、学習などです。息子は食事の調理専門という役割です。
 そして息子と共同で行うシャワー浴の介助が妻に一番喜ばれています。
 これらの介助を短歌で表現するには自然体で無手勝流に限ります。世間一般では介護が常用されているのでこれにこだわることはないと思います。
 前述のように私は平成十六年から介護短歌をつくりはじめましたので百首位はあるかと思いましたが中休みの作を含めて二百首まとまりました。そこでタイトルを二人二百首とした次第です。
 介護の現実は切実で、それぞれに苦労をかかえています。
 従って短歌もまじめなものになってしまうと思います。
 明るく表現することによって気が晴れるのではないでしょうか。
 楽しく愉快にというようなことに中々なれるものではありません。これからは更に高齢化社会になって行くことでしょうが、合理的なやり方による介護を啓発して明るい高齢化の時代になって行くことを祈念しています。

 私は妻と一緒に平成二十一年の一年間デイサービスのお世話になったことがあります。
 その時、介護についての専門学校の学生さんが実習にきていることを知りました。資格取得の修行として約一週間の実習をしなければならないとか。
 学生達が真摯に老人達に接する姿を見て感動しました。この人達が真に学ばなければならない心身のあり方について、この短歌集が少しでもためになってくれれば幸いと思っています。

書き終えての思い
一、介護している方々に共感していただけるだろうか。
二、福祉の仕事をめざしている若い人達に参考にしてもらえるだろうか。
三、介護する人、される人の立場になる多くの人がどのように感じるだろうか。

著者プロフィール

坂元 秀美  (サカモト ヒデミ)  (

1924年京城生まれ。郷里は宮崎県。
学校:櫻井小、京城商業、京城高等商業。
そして兵役九ヶ月。
職歴:宮崎県油津水産、その前後各々2社転職、終りは(株)イクヨ、40年で職を終結。
平成10年より介助に専念。現在も継続中。

上記内容は本書刊行時のものです。