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現代写真家の仕事術
表現のマル秘
- 出版社在庫情報
- 在庫僅少
- 初版年月日
- 2011年9月
- 書店発売日
- 2011年9月6日
- 登録日
- 2011年6月29日
- 最終更新日
- 2021年2月17日
紹介
時代の記録と映像表現者としての作品世界の生成に鋭い眼を向け続けた写真ジャーナリストの写真家論! 図版多数!
目次
●目 次
第一部 時代の中の写真──昭和写真側面史
大束 元──昭和を甦らせる体当たり写真術の視角
植田正治──現実を夢幻化する世界/再構成する眼の構造
秋山庄太郎──夢幻をつむぐ/「黒」のイメージ/裸のポートレート/「平均値」の戦略思考/ 人気絶頂で断写外遊した四五歳定年説 ほか
三木 淳──『ライフ』と伴走した時代の表現行動体 ほか
白川義員──アルプス/ヒマラヤ/アメリカ大陸/聖書の世界/中国大陸/神々の原風景/仏教伝来/「聖」を撮る映像交響楽
第二部 写真の中の時代──固有のモチーフ
Ⅰ 天地憧憬──風景と風土
白簱史朗── 「第二の私」のいちずな山恋い
前田真三 ──自然と交歓する風景写真革命/新風景と原光景へ迫るディスカバー・ジャパン
薗部 澄──ふるさと探しの〝川恋い〟/ 「みちのくばか」の新たな飛躍
竹内敏信──「水」に見定める風景構想力/『大欧羅巴』の表現世界
丹地敏明──峡谷美の夢幻の声
高間新治──竹一筋に民族のこころを照射
南 良和──秩父から中国大陸へ伸びる農民写真家の眼
山本建三──「水」にはじまる京都
綿引幸造──風景写真家が彫刻写真家を兼ねる謎
宮嶋康彦──生の血脈が感応する自然の特異な気配
水越 武──森林に生と死のドラマを凝視する
Ⅱ 自然抱擁
佐々木 崑──小さい生命の誕生を祝う讃美曲
田中光常──「動物家族」の愛の詩
栗林 慧──ネイチャー・フォト元祖の挑戦
吉野 信──大自然舞台写真への道
中村征夫──華やぎの海の生きもの讃歌
今森光彦──虫権尊重の対話映像
Ⅲ 女体礼讃
池谷 朗──女体表現のパイオニア的遍歴
藤井秀樹──明日の表現めざす変貌
沢渡 朔──「ナディア渇仰」の夢とうつつ
長友健二──女心を華麗に開くとき
稲村隆正──踊り子讃美から女体耽美へ完熟の表現
中村正也──「西欧」と「粋」が同居する華麗なモダニズム/ 鋭敏な時代感覚
Ⅳ 人間模様
田沼武能──童心をさぐる望郷
齋藤康一──「さりげなさ」のリアリティ
橋口譲二──人間地図をラディカルに
榎並悦子──秒速五〇センチの下町余情の路地劇場
飯島幸永──「寒流」から「花鳥画」までを凝視する眼
小林紀晴──アジアから日本列島へ環流する「自分への旅」
高村 規──『智恵子抄』を辿る血族憧憬
中谷吉隆──遥かなる大地への憧憬と渇仰
Ⅴ 街村空間
熊切圭介──「時」の中に浮かぶ人像的街景
木村恵一──「江戸」と「京」を貫く水脈
野上 透──「晴天」願望の夢と現実
武田 花──花さんの「景色」は何色
大西みつぐ──「ワンダーランド」の二重刷り世界
須田一政──闇からの光景を追いつづける記憶
Ⅵ 時代の光景
林 忠彦──視覚的ストーリーの語り口/時流を鋭写した 「戦後昭和」の肖像
浜口タカシ──報道写真家に徹する眼/執情の人の涙の塔
桑原史成──「水俣」から始まった危機意識の視覚化
臼井 薫──師土門拳と伴走した社会的リアリズム写真の苦悩と栄冠
奥村泰宏──よみがえる占領期の記憶の街
芳賀日出男──折口民俗学の映像化の心模様
児島昭雄──命の蘇生感覚で視る戦後
吉田昭二──夢幻の記憶を刻む方法的写真家
三好和義──「楽園」司祭者の快美性
大倉舜二──血統の美意識が視る想像力
杵島 隆──やまとごころを追求する光と影
土田ヒロミ──時代の表徴を追跡する想像力
細江英公──「いのちのかがやき」への渇望
Ⅶ 海越える視野
奈良原一高──光空間へかざす戦慄の旋律
渡部雄吉──「死者の甦り」の荘厳美
北尾順三──時流を掴んだレジャー写真家のもう一つの眼
南川三治郎──行動的感性の「前髪掴み」のヨーロッパ攻め
野町和嘉──地平線眺望の渇望
版元から一言
あとがき
著作にたずさわる表現者として、誰しもそのときどきの著書に対してある種の感慨を抱くだろう。私にとっての本書は、二つの指標において深々とした思い出につながっている。
一つは、私が写真表現という分野に開眼させられた「時代の映像」であり、さらなる一つは、どのようにして対象を活写していく写真家の感性が成熟していったのかという「表現の核の生成」であった。
前者について言えば、一九七四年、私が『週刊朝日』のデスク当時、全国の読者に呼びかけてアルバム写真募集による「わが家のこの一枚に見る日本百年」の長期連載に寄せられてきた二万余点に及ぶ衝撃の映像がきっかけであった。それはまさに庶民の日常の暮らしを通じて浮かび上がってきた明治大正昭和三代の世相史であった。
当時の写真評論家、重森弘淹氏は、「ほとんど私的な動機によって撮れたにすぎない当たり前の記念写真が意図的な編集によって蘇生し、いわば民衆の見た視覚的〈日本百年史〉に変貌したことに今さらながら驚かされた」と論評した。
生活史的風俗の庶民像から逆照射されてくる有無をいわせぬリアリティに私は感動し、「写真」の本質は言うまでもなく、「記録」だが、その構成展開しだいで時代史として見事に立ち上がってくるという認識が生まれ、それ以後、私の視点はつねにその線上に沿って注がれてきた。
評伝スタイルの展開ではあるが、『評伝林忠彦』『土門拳の格闘』『昭和写真劇場』『日本列島写真人評伝』『瞬間伝説』などの私の著作はすべてその認識を改めて確かめるように書きつがれてきた。
また、前記の「表現核の生成」のテーマでは、評伝シリーズと並行して書きつづけたが、それぞれの写真家の個性的な生き方の中から芽生えてきた映像発想を時代の中に彫り込むように述べたつもりである。
本書では、『ペンタックスファミリー』誌に「プロフィール』と題して、一九九四年から二〇〇一年まで連載した写真家論が中心で、ほかにも他の雑誌に発表したものなど加えて、その中から六十人を取り上げている。
こうしたアプローチは小著『なぜ撮るか──現代写真家の宿命的モチーフ』(一九八六年刊)にはじまっている。
したがって、本書は私にとって多年にわたる評論活動の総集篇ともいうべきものである。これまで多年にわたり多大なご好意をいただいた多くの写真家・編集者各位に深謝するとともに、彩流社の竹内淳夫氏に心から感謝を申し上げたい。
二〇一一年四月 岡井耀毅
(社)日本図書館協会 選定図書
上記内容は本書刊行時のものです。