書店員向け情報 HELP
出版者情報
在庫ステータス
取引情報
C. S. ルイス 霊の創作世界
- 出版社在庫情報
- 在庫僅少
- 初版年月日
- 2010年3月
- 書店発売日
- 2010年3月15日
- 登録日
- 2010年3月4日
- 最終更新日
- 2019年7月26日
紹介
C・S・ルイスは、ナルニア国物語、詩集、SF小説、神話物語、文学研究書、文学史、キリスト教神学と弁証家としての著作、書簡集、自叙伝など多様なジャンルを自由に往来して作品を仕上げた多作な作家である。
古典叙事詩、中世ロマンスに伝承されてきた超自然と自然の交錯する物語世界をファンタジーの糸を手繰り寄せながらひも解き、ルイス固有の物語構造や関心領域の特質、内面に生起するものを言語化する技法などにせまる労作。
本書の基本姿勢は、作品の中に根ざしている生来の固有の論拠を用いてルイス自身が世界をどのように把捉し、表現しようとしたのか、境界の発想、可変的な生成の世界と不変的永遠の世界、古代異教世界とキリスト教との関わりなどについて考察することにある。ルイスが立てた問とその推論過程を書かれたテクストを解釈し把握することにより、創作の時空の設定、寓話的語り、比喩、神話体系などにどのように反映しているかの関連を見出すことにある。あるいは、逆に作品を読み、語りの象徴性を読み解くことの可能性を探るものである。(それによって)ルイスという作家に固有の物語構造や表現の反復性にみられる関心領域の特質、内面に生起するものを言語化する技法などが対象として捉えられてくる。(「まえがき」より)
目次
まえがき
序 章 C・S・ルイスとキリスト教
一 すべてのものを照らす光
二 受肉の言語としての神話
三 キリスト教の精髄
四 キリスト教と文化
第一章 憧れ
一 まだ見ぬ先に
二 記憶の記憶
三 北欧への憧れ
四 至福の記憶と喪失感
五 疼き
六 憧れの源
七 巡礼者
八 避けられた堕罪
九 聖らかさ
第二章 理性
一 アクロポリスの女神
二 普遍的なもの
三 理性の純潔を汚すもの
四 理性と経験
五 主観主義の毒
六 正しさの判断基準
七 超自然–自然–下位自然
八 奇跡について
九 理性と信仰
第三章 想像力
一 想像する人間
二 「すべてはイメージではじまる」
三 二重の意識と構造
四 スピリットの生息する世界の想像
五 想像力の機能、観念と形象
六 夢に現れたもの
七 想像力による洗礼
八 ファンタジーによる準創造
九 想像力作用と思考
第四章 愛
一 吟遊詩人の恋愛歌
二 『四つの愛』
三 『愛はあまりにも若く』
四 『愛のアレゴリー』『宮廷風恋愛』
五 ロマンスの擁護──『薔薇物語』
六 スペンサー『妖精の女王』
第五章 ログレス1
一 書簡体小説──『悪魔の手紙
二 アレゴリー─『天路退行』
三 ランサムのSF三部作
四 古太陽言語─マラカンドラ
六 聖霊降臨とバベルの塔─サルカンドラ
第六章 ナルニア国年代記物語
一 物語の構造と啓示
二 天地創造─『魔術師の甥』
三 福音と律法─『ライオンと魔女』
四 自由への道─『馬と少年』
五 歴史と昔話─『カスピアン王子の角笛』
六 預言─『朝びらき丸 東の海へ』
七 知恵─『銀のいす』
八 黙示録─『最後の戦い』
第七章 詩はささやかな受肉
一 ロゴスとポイエマ
二 受肉と四つの原理
三 個性理論の異端性
四 ダンテとルイス
五 スペンサーの生み出す自然の像
六 歴史の時代区分について
七 詩の言葉と祈りの言葉
結び
謝辞──あとがきにかえて
ルイス著作一覧
前書きなど
まえがき
ルイスは、作品の豊富さ、その著作はナルニア国物語、詩集、SF小説、神話物語、文学研究書、文学史、キリスト教神学と弁証家としての著作、書簡集、自叙伝など多様なジャンルを自由に往来して作品に仕上げている点において多作な作家である。また極めて広い範囲にわたり、社会的、教育的影響をもたらしている。オックスフォードとケンブリッジの大学教師として、文学サークル、神学的討論会を通して、子供たちとの手紙の交換、またBBCの放送による宗教講話を通じてエキュメニカルなキリスト者の共通理解を促進したこと、その晩年の恋愛結婚が映画化されるなど多くの人々の興味、共感が寄せられ、作品は多数の言語に翻訳され、相互理解の道を開いたことなどからもその社会的ひろがりを覗う事が出来る。
この論考では、作家ルイスが創作において表現しようとした物語を主題に沿いながら(キリスト教、憧れ、理性、想像力、愛、ログレス、ナルニア国物語、詩論について)その思想と言語表現に統一性を与えている発想のありかを検討してみることを目的としている。その考察を通して多面的で豊富な作品に一貫した人間理解が多様な形で変奏曲として表れてくる核となっているものに目を振り向けて事柄の本質を了解することをめざしている。
語る行為は物語のためにあるという中世の著述家たちが扱う主題の内在的価値に根付き信頼を置いてきた姿勢を念頭におき、普遍的なものがどのように具象化されるのか、また新たな物語として語りうるのか、ルイスの手法を検討していきたい。その手引きとしてルネッサンスのキリスト教プラトニズムの世界観の理解が求められ、ルイスは宇宙像、人格、霊性の問いかけなど存在の全体を捉えるために導出したモデルを支持している。その思索と表現を照合し、言説と真理との間を結ぶ比喩、類比、連想の筋道を辿ることにより、作品に描かれている事柄――論理構造と創作に関する幾つかの基本的原理――の前提を問い直していくこととする。
ルイスを研究することの優位であり、また難解な点として、ルイスが創作と批評の両方を手がけていたルネッサンス的な全人志向の作家であったことを上げることが出来る。もちろん、それはテクスト世界におけることだが、文学理論という狭い意味、ある新しい文学理論を確立する、あるいは方法論的に支持するための実践的作品の生産ということよりもっと広範囲に及ぶ視野をルイスは持っている。それは創作にあたりどのような意図をもって表現するのか、枠組みの設定など古典から学ぶ虚構の構築技法に習熟し、何を固守しようとしているのかを鋭く意識してものを書いていることからも伺える。けれどまた共通認知のためにドグマやイデオロギーから作品を断定的に切り崩すような、ある意味で作品の歪曲的見方に陥る安直な方法もそうした文学理解から覆えらざるをえないことになる。
基本姿勢は、外部的な論拠ではなく、作品の中に根ざしている生来の固有の論拠を用いてルイス自身が世界をどのように把捉し、表現しようとしたのか、境界の発想、可変的な生成の世界と不変的永遠の世界、古代異教世界とキリスト教との関わりなどについて考察することにある。ルイスが立てた問とその推論過程を書かれたテクストにより解釈し把握することにより、創作の時空の設定、寓話的語り、比喩、神話体系などにどのように反映しているかの関連を見出すことにある。あるいは、逆に作品を読み、語りの象徴性を読み解くことの可能性を探るものである。そのようにしてルイスが探求し見出し表現しようと試みたテクスト世界を読みすすめていくと、ルイスという作家に固有の物語構造や表現の反復性にみられる関心領域の特質、内面に生起するものを言語化する技法などが対象として捉えられてくる。それは世界像の省察であり、表現法の分析であり、言語観や価値体系の問題を含んでいる。
当然、世界像の構築は、ルイスがどのような文芸作品を受容し、研究対象としていたのかという――ルイスの場合は中世・ルネッサンス文学を専門分野とする文学研究であるが――ことを抜きにしてはありえない。だが、それは原因と結果の関係というよりは、相補的な関係としてある。
そうした文学作品はその作家の理解する――ルイスの場合は――キリスト教の深みに根ざして根をはっている。そして聖書の読み方が文学的なものであることは「聖書自体の内部で〈真理〉に関わるあらゆる価値がなぜ神話と隠喩を通ることによって初めて獲得できるのか」というノースロップ・フライの問いかけを含んでいる。またそのような意味では精神風土や伝統的形而上学、時代や環境も大きく隔たった中世の宇宙像、ルネッサンスの宮廷作法、十六世紀英文学の作品などなどと何重にもいりくんだ言葉の世界から想像力をもってつくりだされた統一性を具体的に解き明かしていくことに向かわなくてはならない。そうしたものを纏め上げて緻密な言語の網を張る虚構世界を構築するのは、文体上の実験であり、表現の実験でもあるが、外なる理論のものさしを当て嵌めるものであるよりは、文学、歴史、神学、言語などのさまざまな文献を作家自身の理解するところをもって〈物語詩〉や〈寓話〉などのフォルムを再認識する実験であり、ファンタジーやSFのジャンルの中で思考イメージの論理を展開させる実験なのである。
あるいは、作品からすれば、そのような技巧を用いざるをえないものの見方があり、実在そのものの構造的制約が加えられているゆえに、表層化された言語世界、というものを意識的にとりあげて注目をはらうことが可能である。そうした過程を経て、またあらたにリアルなものとは何かに目覚めていくことになる。そのようなアプローチをしていくと必然的に今日の文学理論の発端となる指標や問題意識がルイスに現れていることを知ることにもなる。ルイスが幾度か論争の的となった理論上の個別問題は、そのものの見方の特質を他者との違いにおいて明らかにする焦点となっている。ただ、局所的な方法論のみから裁断しようとすることは枝先の剪定に専念しながら、その根にあたるものがまさに問われていることを見過ごすことになりかねないことも覚えておかなくてはならない。
中世からの脱却に懸命であった時代には見えてこなかった事柄が、近代の終焉にいたって再び問題になろうとしている。それは時代錯誤的な回帰なのではなく、近代の原理が壁となって閉塞状態に陥った際に、どこからその道筋を誤ったのかを立ち返って考え直してみるための回路の切り替えのための模索といえる。
それは中世の宇宙像がテクスト世界として受容される体系化への熱情、擬人化の意図するところ、詩人の生気を吹き込むのに貢献した人間観、相対化される近代の可感的な現象の捉え方や範疇、ことばが成り立つ論証構造を明晰に認識することなどに繋がっている。そのためには現代の関心事と偏見からではなく、その文学世界そのものを客観的に認識することがなされなくてはならない。また可視的なものと不可視的なものを区別してきた西洋の形而上学的枠組みが無効にされた現代において、なお感覚的なものと超感覚的なもの、自然と超自然という現実認識の根拠を示すために、どのようにルイスは論証し、また物語の論理構造に実体化し捉えようとしているのかを見ていく。超自然の領域について語りだすことは、なによりも善がめざすべき普遍的規範の追求である。
見えないものを見えるようにする知覚認識に関わる具象的イメージ、可視的世界と不可視的世界の類比的交感神経となるリアリティーとファンタジーの入り混じるテクスト世界、現象と実在のことばの可能性を探求する道標を見出すことへと向かう。こうした作品はみな自然主義のみではおさまりのつかない現象への驚きから始まっている。
異なったさまざまの文明に分割されているけれども、いつかは統一とともに永遠の平和を見出すという近代がはぐくんできたひとつの人類という調和への信望は、二度にわたる世界大戦で崩壊していくが、トルキーンらと共に神話の準創造世界を構築することを通じて再建の道を備える試みに着手する。
一九三一年九月一九日の夕方、ルイスが二人の友人ダイソンとトルキーンを夕食に招いて神話やメタファーについて語らいをしたのち、モードリン学寮に続く〈アディソンの散歩道〉(Addison’s Walk)にそって散歩をしながら帰宅の途についた際に、一陣の風が吹き抜けて木の葉を揺らし、三人が暗闇に立ち止まり耳を澄ました、という経験が印象深く語られている。その時ヨハネによる福音書の三章八節をふと思い巡らすのだが、その一瞬の沈黙の闇からめくるめく想像の世界がひろがりをみせていく。ルイスはその九日後、キリストを受け入れるようになったと公言する。
その、ルイスの多様な文筆活動に見られる一貫した主題として、憧れ、理性、想像力、愛、ログレス、ナルニア国物語、受肉のことばに対する洞察などを考察の対象としてテクストを辿っていくことにする。こうした主題の研鑽を通して、ルイスの特質を見極めるとともに一人の作家を通じてキリスト教と文学の関わりの特異にして普遍的な問いかけにわずかながらでも応じられればと希っている。
上記内容は本書刊行時のものです。