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金洙暎全詩集
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2009年11月
- 書店発売日
- 2009年11月9日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2014年12月19日
書評掲載情報
2009-12-06 |
読売新聞
評者: 小倉紀蔵(韓国思想研究家) |
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紹介
韓国現代詩史上に輝く民衆の詩人(民主詩人)の魁となった金洙暎の全作品を収録! 暗い時代にあって常に“自由”を求める姿勢は初期から死の直前まで一貫し、その営為と詩的試みは新地平を拓くとともに大きな影響を残した。記念碑的詩集。
目次
金洙暎 全詩集 目次
廟庭の歌 孔子の生活難 近づけない書籍 アメリカタイム誌 虱
笑い 兎 父の写真 朝の誘惑 月の国の悪戯
愛情遅鈍 黄金虫 頼みごと 祖国に帰還された傷病捕虜同志たちに
おまえを失って 未熟な泥棒 田舎の贈り物 グラジオラス 陶酔の彼岸
部屋の中で熟れていく悲しみ わが家族 蜘蛛 汚い香炉
PLASTER 哀れな肉体 蝶の墓 誇りの日 スクリーン
書籍 ヘリコプター 休息 スチーム 街1
おまえはいつから世間に腹を合わせ始めたのか 国立図書館 街2
煙 ナパーム弾 変わっていく地平線記者の情熱 雲の歩哨
事務所 夏の庭 夏の朝 白蟻 屏風
雪 地球儀 花2 針尺 朗々とした目標
滝 春夜 野菜畑の端で 叡知 かげろう
序詩 荒野 霊交日 花 早春の野辺で
雨 言葉――K・Mに奢り 夜 冬麦
子守唄 謀利輩 生活 月夜 死霊
みみっちい世間の知恵 家屋賛歌 末伏 伴奏曲
ネギ畑のそばで 萩の花咲く野辺凍夜 ミスター李へ 蝿とともに
ハ……影がない まずあいつの写真を剥して便所紙にしよう 祈り――四・一九殉国学徒慰霊祭に送る歌
六法全書と革命 青空を 時すでに遅しの嘆きはあるが 〈童詩〉俺はアリゾナカウボーイだ
蜘蛛捕り 行け 出て行ってくれ 中庸について ほら話
疲れた一日の残りの時間 あの部屋を思い出して 永田弦次郎
雪 愛 米騒動 黄昏 「四・一九」の詩
妻の部屋へ来て――新帰去来1 檄文――新帰去来2藤の木――新帰去来3 酒と子猫――新帰去来4
知らんだろう?――新帰去来5 伏中――新帰去来6妹よ おまえはたいしたものだ――新帰去来7
妹の部屋――新帰去来8 こいつは何者だ?――新帰去来9 遠いところから
痛む体が 詩 旅愁 白紙から 敵
マーケティング 絶望 パジャマ姿で 満州の女 長詩1
長詩2 転向記 マンヨンに ピアノ ゴマの花
フランネルのチョゴリ 女 金 半月
罪と罰 俺たちの笑い 忍耐は 巨大な根 詩
鵞鳥の声 川辺で XからYへ 引っ越し 言葉
現代式橋梁 六五年の新年 ジェイムス・デイーン ワカメ汁
敵1 敵2 絶望 残忍の焰 ある日 故宮の帰りに
この韓国文学史 H 離婚取り消し 雪 食母
草の映像 エンカウンター誌 電話の話 下痢のアリバイ 金星ラジオ
泥棒 おまえの顔は 板門店の感傷 VOGUEよ 愛の変奏曲
嘘の余韻のなかで 花びら1 花びら2 花びら3
夏の夜 美濃罫紙 世界一周 ラジオ界 美人――Y女史に
埃 性 元暁大師――テレビを観ながら 椅子が多くて引っかかる
草 音楽
注
作家年譜
金洙暎の詩について………………………………………………………………………………………………………………尹大辰
前書きなど
金洙暎の詩について
金洙暎をめぐって
金洙暎の詩について考えるとき、避けて通れないのは、李御寧との有名な「参与論争」である。この論争は一九六八年二~三月にかけて、文学の現実への参与をめぐって繰り広げられたものだ。金洙暎は、有形無形の政治権力の弾圧によって文化が矮小となり、文化人が卑怯になったと主張し、文学者は現実の暮らしや社会、政治に密着しながら創作を繰り広げるべきだと主張した。そんな彼を李御寧は次のように批判した。金洙暎らのような参与論者が社会的に受け入れられつつある状況は、文化の危機である。李御寧にとって、彼らは「大衆の検閲におもねり、文学を政治活動の隷属物へと売り渡す誤れる人びと」であった。純粋で秩序だった芸術を欲する李御寧から見れば、金洙暎が現実にかかわりながら詩作する姿勢には不満があったのかもしれない。これに対し、金洙暎は李御寧の主張の方こそ文学を一つのイデオロギーに結びつけるものだと反論した。こうした論争がかえって金洙暎の名を人びとの心に刻んでいったと言えよう。
韓国の文芸評論家の金顕は「自由と夢―金洙暎の詩世界」と題して次のように語ったことがある。
「金洙暎の詩のテーマは自由である。それは彼の初期の詩から死ぬ直前に発表した詩に至るまで、彼の粘り強い探究対象をなしている。しかし、彼は自由それ自体を、それ自体として詠うことはない。彼は自由を詩的、政治的対象と考え、その実現を不可能にする与件に対して詠う。彼の詩が『詠う』と書くのは正しくない。彼は絶叫する。自由は彼の詩で三度の変貌を遂げた。
彼が初めての作品を発表した一九四六年から、四・一九革命が起こった一九六〇年に至るまで、悲しみ、悲哀という感情を通して逆説的に表現された。一九六〇~六一年に至る間、それは愛と革命として説明され、それ以降の詩作活動では自由を不可能にさせる敵に対する憎悪と、自由の敵をそのまま受け止めるしかない自分に対する憐憫と嘆息として説明される。
彼は詩作を始めたばかりの頃、初期の詩で見せた詩的、政治的理想をそれほど鋭く表に出してはいない。彼の最初の作品として知られ、彼自身が終始激しい不満を吐露している「廟庭の歌」(一九四六)では趙芝薫(一九二〇~六八)流の懐古趣味がむしろ圧倒的である。しかし、彼の二番目の作品から、彼は「廟庭の歌」で期待された復古主義と完全に訣別する。彼の二番目の作品である「孔子の生活難」(一九四五)は復古主義よりも明確に対象を観察、把握し、理解しようという意志を見せてくれる
また日本で最もよく知られている韓国の詩人・金芝河は、かつて金洙暎についてこのように述べている。
「かれ自身が生まれ、またかれ自身が身を横たえ、呼吸し、泳いでいた子宮、家とも空気ともいうべき大衆に刃を向けたかれの文学の方向にもうひとつの意味深長なアイロニーが隠されている。それは自分自身を殺すことで魂の生命力を回復することを希ったひとつの強力な否定の精神であり、現実の矛盾の肉体で把握された小市民性を熾烈に告発することによって、真の市民性の開花を熱望したひとつの熱い進歩への情熱であった」
「かれがわれわれの詩においてモダニズムの否定的側面を克服し、その長所を現実批判の方向へと発展させたことはたいへんすばらしいことである」(以上、金芝河「諷刺か自殺か」、渋谷仙太郎訳『長い暗闇の彼方に』中央公論社、一九七一年)
金洙暎について語るべきことは、以上で尽されていると言ってよいであろう。しかし、初めて彼の作品に触れる方にとってはいささか不親切なところもあるだろう。したがって、以下はあくまでその補足を兼ねた贅言である。
金洙暎のおいたち
金洙暎は旧い封建制のしんがりとして自分たちを培い育んでくれたモダニストの群と訣別し、韓国で開花しつつあった民主(あるいは民衆)詩人の魁である。彼は当時の惰性的なモダニズムを理論と実作をもって克服した。
金洙暎は一九二一年にソウルに生まれた。生家は仁寺洞近くの貫鉄洞にあり、大きな門構えの邸宅だったと言う。長じて善隣商業を出た後、日本に留学している。この経歴だけでも、かなり学業に優れ、それなりに豊かな家の生まれであることが窺える。言い換えれば「小市民」として育ったのである。
しかし、彼はけっして小市民として安逸な暮らしにとどまろうとはしなかった。時代の本質を見抜き、その流れに掉さす人間として生きんと欲したのだ。結論的に言えば、彼が自らの出自と存在を克服しようとすることが彼の一貫した詩の営みだったかもしれない。
金洙暎は一九四三年秋、朝鮮学徒兵の動員を避けて朝鮮に戻り、翌年さらに、家族が移住していた満州の吉林へと向かう。そうして解放後再び、光復という輝かしくも混乱し無秩序な、破壊と喧噪の坩堝の中の祖国に身を置く。そこで自由と民主主義の空気を吸うのである。しかし、それも束の間だった。朝鮮戦争という悲劇がわずかばかりの希望の光さえことごとく奪い去ってしまう。この朝鮮戦争を経験し、北朝鮮にも連行され、人民軍も知りうる体験をし、それは辛いことではあったが、客観的な目を養う経験ともなった。解放後すぐに、林和(一九〇八~五三)や金起林(一九〇八~?)ら、かつてのKAPF(カップ。朝鮮プロレタリア作家同盟)の人びととつき合ったことも、客観的な視点を身につけるのに一役買っていたことだろう。
解放直後浸った時代の空気は、長い空白を経て一九六〇年四月に再び訪れる。大学生を中心とする韓国国民が、腐敗した当時の李承晩政権を追い落とし、民主主義の勝利を高らかに謳歌したのだ。いわゆる四・一九革命である。金洙暎の文学的功績はこの歴史的事件に根ざすものであった。これを機に、彼は舵を切り、民衆と社会に眼を向けるようになる。金洙暎は徹底した自由主義者で、あらゆるナンセンスを排した。彼の文学的成果は韓国の詩の歴史において一時代を画しているばかりでなく、その時代の限界を超えて現在も大きな意義を持っている。
こうして新たに金洙暎について述べようとするとき、へたに論じるよりも本書の表紙や口絵写真の詩人のあの眼差しにすべて凝縮されているように思えてならない。これはまた金芝河のあの時代の風貌からもそう言えるのではなかろうか。
金芝河とよく似ている詩人の「眼差し」とは、社会を、人生を、国を、事物を刺して貫く透徹した怖いほどの眼差しに他ならない。あのアンニュイ(心配事、気がかり、不安、倦怠、憂鬱……)で陰影に富んだ眼差しだ。
彼は交通事故死したのだが、かつて一時期、ときの権力によって殺されたという風説がまことしやかに飛び交っていた。しかし、そんなことはけっしてないと、実妹の金洙鳴さんが証言している。さらに、学歴についても、今なお戦前に東京商科大学(現一橋大学)中退と紹介しているのがあるが、これも間違っていると指摘してくれた。
彼女は『現代文学』誌の編集などに携った後、今はソウル郊外の道峰区放鶴洞で独り静かに、兄・金洙暎の遺稿などを整理している。
韓国人における詩の位置
韓国では、日本では考えられないほど、詩の売れ行きがよく、一〇万~二〇万部売れる詩集も珍しくない。一つには韓国語の文字であるハングルが詩にとてもなじむからだ。詩は文字で表現されるものではあるが、突き詰めれば音楽的なところにたどり着く。韓国語という音楽的で詩的な言語になじむのであろう。
また韓国では民主化運動の中で詩が社会に積極的にメッセージを訴えてきた歴史がある。朝鮮半島は戦前、日本の植民地支配下に置かれ、社会・政治的に言えば、半封建的、半資本主義的なバランスの上に乗った社会であった。したがって、表現の自由が認められず、窒息することもままあった。戦後も冷戦状況の中で、日本の統治時代とは異なる軍事政権が居座ることで、その窒息状態が続く。そうした中で韓国の意識分子(知識人)の精神の発露の手段として、散文よりも韻文のほうが手段として適っていたのであろう。
こうしたところから連想させられるのは、時代と国こそかけ離れているが、やはり長く自由が窒息させられていた一八世紀から一九世紀初めにかけてのドイツである。そこでは、政治的・社会的な思想、言論の自由が厳しく抑え込まれていたために、ヘーゲルらは「観念論」という一見抽象的な形で、自由への渇望を思想に結実させたのである。
このような事情とソンビ(無冠の知識人)という伝統的な立場により、大学教授や会社役員の肩書よりも「詩人」とされることを名誉に思っているふしがある。そこには何の利益も役得もないが、あえて言うなら、その「純粋性」に憧れを感じるのだろう。
したがって、韓国では抒情的で、政治やイデオロギーにかかわりなく澄んだ感情に訴える傾向がままある。そのうえ、韓国語の音楽的な響きもそれに適っている。その最高峰が尹東柱(一九一七~四五)の「序詩」であろう。そしてはしなくも同じ「序詩」というタイトルの詩が金洙暎にもある(本書一五七~八ページ)。この二つの詩を比べてみよう。
死ぬ日まで空を仰ぎ
一点の恥辱なきことを
葉あいにそよぐ風にも
わたしは心痛んだ。(伊吹郷訳『空と風と星と詩』 一九八四年)
それでも樹は育っている 霊魂は
そして教訓は 命令は
俺は
まだ命令の過剰を許せない時代ではあるが
この時代はいまだに命令の過剰を要求する夜なのだ(本文一五七ページ)
このように並べると、抒情的という面では同じだが、違いも如実に分かる。尹東柱の詩は分かりやすく、「天に恥じることのないよう、まっすぐ生きよう」という思いが読者の心情に直接訴えかける。尹東柱は抒情詩人として、まさに「空と風と星の詩人」であったと言える。
それに対し、金洙暎は「時代と社会と現実の詩人」だと位置づけることができるのではないか。彼の詩は観念的で隠喩が目立つ。隠喩をたくさん使ったのは、時代の制約があったのだろう。しかし、人の感情を深いところで揺さぶるという点では抒情性がある。
金洙暎の詩には社会性が強い。彼がなぜ社会性を持ったかと言えば、すでに述べたような彼が生きてきた時代と環境に求めることができるだろう。その一方で彼は「現代的」なるものへの反発も示し続けた。そこには、浮ついた根なし草のような「民主主義」の流行への疑念も含まれていたようだ。そのことは、たとえば本書に収録されている「現代式橋梁」などにも窺われる。
四・一九革命後、東西冷戦と南北分断の緊張の中で、一九六一年に五・一六軍事クーデターが敢行され、ひとときばかりの自由は窒息へと追いやられる。しかし、金洙暎はこうした鋭い眼差しと覚悟があったからこそ、その後もくじけることなく、当局の監視を巧みにかいくぐり、抑圧に抗う生きた心の声を、詩として世に送り出そうと苦闘し続けた。それは彼の死後も後続の詩人たちに連綿と受け継がれ、民主化運動の心情的な支えとなったと思われる。
金洙暎の遺産
そうした点から見て、金洙暎は激動の時代の中で、叙情性を受け継ぎながらも、生涯現実を直視し続けた詩人と言えるだろう。韓国人が一番好きな詩百選の一位は金素月(一九〇三~三四)の「つつじの花」、2位は尹東柱の「序詩」で、八五位に金洙暎の「草」がやっと入っている。これは金洙暎の死の直前の作品で、彼の作品としては抒情的な性格が強い。韓国での金洙暎の位置づけをよく物語っている。
金洙暎の詩は難解である。そこには戦後の韓国文化のアポリアを解く何かしら大変な鍵が隠されているように感じさせる。そのため、雨後の筍のように評論が出たし、今なお難解なものとされている。しかし本書で読者も読まれたように、漢語が多く、それにも増して隠喩が多い。さらにときとしてまた、横文字が出て来る。
だが、金洙暎は不遜な立場からいたずらに難解に走っていたわけではない。あくまで、分断状況下で独裁政権に抑えつけられた中で、自由、そして人間らしい暮らし、人生を求める声を発し続けるための「難解さ」だったと言えよう。
金洙暎が没して四一年、その間、韓国ではオリンピックが開催され、三〇年以上も続いた軍事政権があとを消し、より自由で民主主義的な社会となった。
今日の韓国社会は、ある意味で日本以上に制度的に民主主義が保障され、人びとは自由を謳歌していると言われている。ある論者は、それを「行き過ぎ」とも言う。この様を見て、金洙暎はどう言い、どう詩に詠うだろうか。しかし、もうけっして難解には表現しないであろう。後を受けた我われとしては、今日の韓国があるのは、詩人金洙暎の力が大きく与っていると思うのだ。
翻訳について
本書はもともと韓龍茂氏が手がけていたが、半ばにして病のために進めることができず、私に出版社の方から依頼があった。先に『韓国三人詩選―金洙暎・金春洙・高銀』(彩流社刊)の解説などを書いたいきさつがあったからだと思う。
韓氏は半ばほど翻訳していたが、その後を私が引き継ぎ、さらに全体の整合性をとりながら、私の責任で仕上げ、訳注および解説を付け加えた。
なお、口絵写真については、実妹の金洙鳴さんのご協力を得たことをお断りしておきます。
知的興奮を覚えながら楽しくやらせてもらったが、私の手に負えないところも多々あった。大方の叱正を待つ次第です。
二〇〇九年一〇月
尹大辰 識
版元から一言
(社)日本図書館協会 選定図書
上記内容は本書刊行時のものです。