書店員向け情報 HELP
出版者情報
在庫ステータス
取引情報
日本赤軍とは何だったのか
その草創期をめぐって
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2010年5月
- 書店発売日
- 2010年5月21日
- 登録日
- 2010年4月7日
- 最終更新日
- 2014年12月19日
紹介
パレスチナと共に生きた著者が、初めて日本赤軍の内部事情を語る。最後に語られる、あの時代……。 『1968』の著者小熊英二に問いかける、人は「現代的不幸」の故にのみ闘いに立つのだろうか……。
「小熊さんが『1968』下巻の末尾で言及していた、1975年公開のジャック・ニコルソン主演映画「カッコーの巣の上で」(英語の原題は「カッコーの巣から抜け出た者」と訳せたと思う)は、私が日本赤軍からの脱盟を決意した頃に、ベイルートの映画館で観ていた作品であることを打ち明けておこう。精神病院の患者たちの目線から作られた秀作だった。カッコーは他の鳥の巣に自分の卵を産みつけ、育ててもらう「托卵(たくらん)」を行なう習性があり、自ら子育てのための巣を作ることはない。「カッコーの巣」は虚構・擬制を暗喩している。
日本赤軍は「カッコーの巣」だったのだろうか?
「近代的不幸」であれ、「現代的不幸」であれ、「不幸」のパラダイムに立つ限り、「カッコーの巣」から抜け出ることはできない。」(本書「人はなぜ闘争に立つのか」より)
目次
日本赤軍とは何だったのか
1 日本赤軍の「解散宣言」をめぐって
「京都パルチザン」が「リッダ闘争」を担った主体である
重信房子さんの出産をめぐって
アラブに結集した人たちの実態
若松プロ「赤軍―PFLP・世界戦争宣言」と私の出国
共産同赤軍派・連合赤軍・日本赤軍は、全共闘運動主体の寄せ場だった、ほか
2 日本赤軍の草創期について
シンガポール・クウェート連続闘争
アデンでの訓練
ヨーロッパでの調査・工作へ
在ハーグ・フランス大使館占拠闘争
日本赤軍の創立、ほか
3 思想闘争の持ち込みとは何だったのか
重信さん、「北の国」へ
「クアラルンプール作戦」へ
一九七七年「五・三〇声明」をめぐる欺瞞
ヨルダンでの敗北
ダッカ・ハイジャック作戦へ、ほか
4 日本赤軍を脱退した理由
私が日本赤軍を脱退した経緯
査 問
「脱退」成立
日本赤軍の解散をめぐって
何から始めるか、ほか
5 『日本赤軍私史―パレスチナと共に』について
パレスチナ難民キャンプの住民たちは日本赤軍をどのように見ていたのか
日本赤軍はPLOとどのような関係にあったのか
裁判闘争にもパラダイム・チェンジを
八〇年代の日本赤軍とPFLPとの関係の実情、ほか
6 人はなぜ闘争に立つのか
『1968』(小熊英二著)を糾す
「七〇年代のパラダイム転換」とは何だったのか
「同感力」・「共感力」
資料・上告棄却決定に対する和光晴生異議申立書(平成二一年一〇月三〇日)
上記内容は本書刊行時のものです。