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脚気の歴史 板倉聖宣(著) - 仮説社
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脚気の歴史 (カッケノレキシ) 日本人の創造性をめぐる闘い (ニホンジンノソウゾウセイヲメグルタタカイ)

医学
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発行:仮説社
A5判
縦210mm 横148mm 厚さ4mm
重さ 98g
80ページ
並製
定価 800円+税
ISBN
978-4-7735-0245-9   COPY
ISBN 13
9784773502459   COPY
ISBN 10h
4-7735-0245-2   COPY
ISBN 10
4773502452   COPY
出版者記号
7735   COPY
Cコード
C0340  
0:一般 3:全集・双書 40:自然科学総記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2013年11月
書店発売日
登録日
2013年11月13日
最終更新日
2013年11月25日
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紹介

明治維新後,日本は積極的に欧米の文化を模倣してきた。だが,欧米には存在しない,米食地帯に固有の奇病「脚気」だけは,日本の科学者が自らの創造性を発揮して解決しなければならなかった。しかし……。日清戦争・日露戦争の二つの戦争の裏で行なわれていた,科学者達のもう1つの戦争。「創造性とは何か」そして,「創造性を阻害するものとは何か」を描く名著『模倣の時代』の簡約版。

目次

前口上
第13代将軍家定の突然の死
漢方医と西洋医の対立
日露戦争と脚気
誰がビタミンを発見したか
おわりに

前書きなど

 昔、脚気(かっけ)という病気があった。
 少し年配の人なら、「ああ、医者が膝を木槌でたたくあの病気だな」と思いだすことだろう。「木槌のようなもので患者の膝頭をたたいたとき、脚がぴょんと持ち上がれば〈腱反射がある〉といって脚気でない証拠となる」という、なんとなくひょうきんな病気である。しかし、もう少し上の年配の人になると、そんな冗談をいってはいられない。実際に脚気になって「脚が大きくむくみ、歩けなくなった」という人も少なくないからである。そしてさらに年配の人になると、「恐ろしい病気だった。脚だけの病気のうちはいいが、その病気が心臓にまで達すると、〈衝心する〉といって、とても苦しんで二、三日のうちに死んでしまった」と話してくれるだろう。「そういえば、日露戦争のときは〈百万だかの兵隊のうち何十万人もの兵隊が脚気になり、何万という兵隊がそのために死んだ〉ということを聞いたことがある」という人もあることだろう。
 兵隊だけではない。一九四〇(昭和十五)年ころまで、日本で脚気のために死ぬ人の数は毎年一万人を下ることはほとんどなかったのである。
 この物語は、「そのように恐ろしい脚気という病気を、日本人がどのようにして克服してきたか」という物語である。

 その時代は、何でもかでも欧米の文化を模倣して、日本の文化を高めようとみんなが懸命になっていた時代であった。
 明治以後、日本は欧米の文化をまるごと取り入れるようになって、ついに今日の日本をつくりあげることに成功したのだ。それは、〈世界史上かつてない文化輸入の成功例〉と言われることもある。その時代は「模倣の時代」と呼ぶこともできる時代であった。
 医学の分野では、明治以後、東京大学医学部を中心にドイツ医学を全面的に取り入れるようになった。そして、ドイツの医学者コッホに始まる細菌学などを学んで、流行病の普及に対して日本の医療体制を近代化することに成功した。当然のことながら、日本の医者たちは、明治以後とくに流行した脚気の病理を日本に来たドイツ人医師たちに尋ねた。しかし、ドイツの医師も医学者たちも、この病気に関しては何とも手を下すことができなかった。こんな病気は、ヨーロッパではかつて見られなかったからである。
 不思議なことに、脚気は、ヨーロッパやアメリカには見られない病気であった。しかし、東南アジアには「ベリベリ」という脚気に似た病気があった。脚気やベリベリは、主として米を主食とする地域の人々だけがかかるのである。だから、この病気に関してだけは欧米の医学者たちも、日本の医者の質問に的確に答えることはできなかった。そこで、脚気ばかりはどうしても日本人自らその予防と治療の方法をさぐり、その病原をつきとめなければならなかったのである。つまり、脚気克服の歴史は、「模倣の時代」の中にありながら、その模倣の枠を乗り越えて創造的に解決していくことが問題になった歴史であった。
 しかし、「模倣の時代」というのは、エリートであればあるほど創造的に考えることを恐れる時代でもあった。「模倣の時代」の枠を越えて進むことは、口で言うのはやさしくとも、それを実行するのはとてもむずかしいことであった。だからその歴史は波瀾に満ち、時にはとても生臭い歴史ともなった。
 少し前まで、私は脚気病研究がこんなにも波欄に満ちたものであることを知らなかった。
 いま私たちは、時代そのものが「模倣の時代」を越えることが要請されている時代に一歩踏みこんでいる。そこで私は、「そんな時代に、どのような人々がいかにしてその創造性を発揮して脚気の予防・治療法を開発していったか。そして、それをどんな人々が妨害し、弾圧・抑圧さえしたか」ということを探って一つの物語りにまとめ、時代の要請に応えようとした。
 「事実は小説より奇なり」ということは、こんな話のことをいうのだろう。文才のない私は、ただただ歴史資料に語らせることによってこの物語りを綴ることにする。

版元から一言

板倉聖宣『模倣の時代』上下巻を読みやすいブックレットにまとめました!

著者プロフィール

板倉聖宣  (イタクラキヨノブ)  (

1930年 東京下谷(現・台東区東上野)に生まれる。10人兄弟の7番目(四男)。家は医療器械製造業を営む。小学生のころ,「小学生全集」の『算術の話』と『児童物理化学物語』を読み,感動する。以後,子ども向きの科学読み物に愛着を持つ。
1951年 学生時代に自然弁証法研究会を組織。機関誌『科学と方法』を創刊し,科学史を通じて科学の方法論を研究。科学と常識と迷信等について研究を発表する。(『科学と方法』に収録)
1958年 物理学の歴史の研究によって理学博士となる。(『科学の形成と論理』に収録)
1959年 国立教育研究所(現・国立教育政策研究所)に勤務。
1963年 仮説実験授業を提唱。以来,科学教育に関する研究を多数発表。教育の改革に取り組む。また,『発明発見物語全集』『少年少女科学名著全集』(いずれも国土社)を執筆・編集し,科学読み物の研究を続ける。
1973年 教育雑誌『ひと』(太郎次郎社)を遠山啓らと創刊。
1983年 教育雑誌『たのしい授業』(仮説社)を創刊。編集代表。
1995年 国立教育研究所を定年退職。私立板倉研究室を設立。
2013年 日本科学史学会会長に就任。

上記内容は本書刊行時のものです。