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在庫ステータス
取引情報
石田和男教育著作集
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2017年5月
- 書店発売日
- 2017年5月25日
- 登録日
- 2017年5月2日
- 最終更新日
- 2017年5月30日
紹介
恵那の地に展開された地域に根ざす戦後教育史
恵那生活綴方運動の創始者でもあり、中心的なリーダーであった著者・石田和男の、1940年代から90年代に至るまでの膨大な著作をセレクトし、「生活綴方」や版画教育、性教育、さらには勤評闘争に至るまで、戦後の新しい教育をさまざまな観点から概観できる貴重な資料としてまとまりました。
目次
第1巻「生活綴方教育の出発」
第2巻「運動方針の転換」
第3巻「子どもをつかむ実践と思想」
第4巻「時代と人間教師の探究」
前書きなど
●推薦●
大田 堯(東京大学名誉教授)
「戦後の教育実践を代表する無着成恭の『やまびこ学校』と並んで、石田和男の実践は、このほかに世に知られないすぐれた実践家の数あることを前提としたうえでのことだが、お二人の『生活綴方』が象徴する実践を、私流儀で、せめて戦後の平和賞、教育賞、ないし名誉として知られる日本無形文化財として捧げたい。あらゆる党派を超えて、私がこの本を多くの人々に読んでいただきたいゆえんである。」
堀尾輝久(東京大学名誉教授)
「著作集に凝縮された石田さんの教育実践と思索の跡を学びことを通して、私たち自身の実践の質と教育の思想を問い直すことが求められている。」
版元から一言
*推薦*大田堯
「おれたち、ぼんくらの考えたこと、やったこと」が口ぐせだった石田和男さん。ご本人の全作品、彼が担任した子どもたちの作品、版画などの全作品が出版される。世に出るその企画をご本人が納得するまで、編集者を手間どらせたと聞いている。「個を含む集団」(鶴見和子、1952 年、第一回作文教育全国協議会、岐阜県中津川での発言)の代表的な担い手を果たしたともいえるこの人の謙遜さを、よく示している。 だがそれ以上に実は、同時に個と全体との間の数々の矛盾を、叡智によって見事に折り合いをつけていく、柔軟でかつ強い意志のもち主でもあると私は思う。この人のことを、先輩も後輩者も認めてはばからない。 私は、およそすべての生命に与えられてあるユニークな学習力と人間の真の教育とは、種の持続の根源と考えてきた。戦後の教育実践を代表する無着成恭の「やまびこ学校」と並んで、石田和男の実践は、このほかに世に知られないすぐれた実践家の数あることを前提としたうえでのことだが、お二人の「生活綴方」が象徴する実践を、私流儀で、せめて戦後の平和賞、教育賞、ないし名誉として知られる日本無形文化財として捧げたい。 あらゆる党派を超えて、私がこの本を多くの人々に読んでいただきたいゆえんである。
堀尾輝久
恵那の教育への最初の出合いは、1955 年からの大田ゼミ。恵那から渡辺春正先生が派遣生として参加されていた。恵那の子どもたちの版画集「夜明けの子」の印象は子どもたちの豊かなイマジネーションを伝える強烈なものがあった。大学院の最後の頃には勝田先生を中心に、教科研の恵那調査にも参加した。 戦後教育は「民主化行きすぎ是正」策のもとで教育の中立性法が成立し、勤務評定が実施され、戦後教育は試練のなかにあった。 私が恵那から学んだものは、二つのこと。 一つは生活綴り方。それは上からの教育を子どもの学びを軸に切り替える実践であった。学びを生活のなかで、生活を変える力としての学びがあった。そこに示された子ども理解のゆたかさ、教師の教育力の確かさに目を開かれたのであった。 二つ目は恵那で学校と地域の捉え方。当時全国的にも地域のなかの学校のあり方が問われていた。「地域を育てる学校から地域を捨てる学校へ」の変化が言われる中での恵那地域での地域教育会議への取り組みは父母、教師、地域市民、そして教育委員会も参加しての学校づくりは地域づくりと一体のものであり、見事であった。恵那の教育は中央からの「国家の復権」を目指す政策にたいする地方自治と学校自治の結合の課題を思想的にも実践的にも担う、いわば根拠地づくりとして注目してきた。それは父母・住民の参加と協同の学校づくりの、そして国民の教育権の原基形態というべきものであった。 著作集に凝縮された石田さんの教育実践と思索の跡を学びことを通して、私たち自身の実践の質と教育の思想を問い直すことが求められている。 戦後教育と教育学を問うものにとって、石田著作集と恵那の実践は宝庫であり、それを問う者を問い直す試金石だといえる。
上記内容は本書刊行時のものです。