版元ドットコム

探せる、使える、本の情報

文芸 新書 社会一般 資格・試験 ビジネス スポーツ・健康 趣味・実用 ゲーム 芸能・タレント テレビ・映画化 芸術 哲学・宗教 歴史・地理 社会科学 教育 自然科学 医学 工業・工学 コンピュータ 語学・辞事典 学参 児童図書 ヤングアダルト 全集 文庫 コミック文庫 コミックス(欠番扱) コミックス(雑誌扱) コミックス(書籍) コミックス(廉価版) ムック 雑誌 増刊 別冊
アーレント=ハイデガー往復書簡 新装版 ハンナ・アーレント(著/文) - みすず書房
..
【利用不可】

アーレント=ハイデガー往復書簡 新装版 (アーレントハイデガーオウフクショカン) 1925-1975

哲学・宗教
このエントリーをはてなブックマークに追加
発行:みすず書房
A5判
392ページ
定価 6,400円+税
ISBN
978-4-622-08711-3   COPY
ISBN 13
9784622087113   COPY
ISBN 10h
4-622-08711-1   COPY
ISBN 10
4622087111   COPY
出版者記号
622   COPY
Cコード
C3010  
3:専門 0:単行本 10:哲学
出版社在庫情報
不明
書店発売日
登録日
2018年5月5日
最終更新日
2018年5月7日
このエントリーをはてなブックマークに追加

紹介

「どうしても今晩のうちに出かけていって、あなたの心に語りかけずにはいられません」。マールブルク大学の教授ハイデガーは、入学まもない女子学生に一目で恋をし、1925年2月、この最初の手紙を書いた。

本書に切り取られた時間は50年。その間、三つの「高まり」の時期があり、本書もそれに沿って構成されている。第一期は最初の恋の体験。それはおずおずと内気だったアーレントにとって、「カプセル」内で孤立する自縛からの解放であり、ハイデガーにとっては、「デモーニッシュなもの」に掴まれた体験で、彼はこの力を『存在と時間』の執筆に創造的に活用することになる。

第二期(再会)は、時代の政治状況に起因する20年の休止期間を経て1950年から数年。とくにハイデガーの手紙は、この時期の彼の伝記的事実にかんする宝庫である。

第三期(秋)はアーレントの死まで、最後の10年。「人生からの引退」が双方の心を占め、基調底音は「静けさ」であった。アーレントの『精神の生活』はこの時期に構想されている。

ふたりにとって、「仕事」と「人生」がどれほど強く綯い合わされていたか、本書はそれを納得させてくれる。さらに、「判断の国の女王」(ルッツ)と「思索の国の王」のダイアローグは、20世紀精神史のなかでモザイク状だったふたりの肖像を完成させ、ヤスパースやメルロ=ポンティなどとの関係と布置についても、さらに多くを明らかにするだろう。

目次

1925-75年の手紙とその他の文書
  まなざし
  再会
  秋
  エピローグ

補遺
  文書1から168までについての注記
  遺稿からの補足的記録文書
  編者のあとがき

訳者あとがき


人名索引
文献一覧
  略号/略記されている引用文献
  アーレントの言及されている著作
  ハイデガーの言及されている著作
  収録文書一覧

ハイデガーの詩(原文)

著者プロフィール

ハンナ・アーレント  (ハンナアーレント)  (著/文

1906-1975。ドイツのハノーファー近郊リンデンでユダヤ系の家庭に生まれる。マールブルク大学でハイデガーとブルトマンに、ハイデルベルク大学でヤスパースに、フライブルク大学でフッサールに学ぶ。1928年、ヤスパースのもとで「アウグスティヌスの愛の概念」によって学位取得。ナチ政権成立後(1933)パリに亡命し、亡命ユダヤ人救出活動に従事する。1941年、アメリカに亡命。1951年、市民権取得、その後、バークレー、シカゴ、プリンストン、コロンビア各大学の教授・客員教授などを歴任、1967年、ニュー・スクール・フォー・ソーシャル・リサーチの哲学教授に任命される。

マルティン・ハイデガー  (マルティンハイデガー)  (著/文

1889年、ドイツのメスキルヒに生まれる。マールブルク大学助教授(1923-28)、フライブルク大学教授(1929-45)。1933年には同大学学長を務める。1945年、ナチス政権との関係のために教職活動を禁止され、51年復職と同時に退職。1976年歿。

大島かおり  (オオシマカオリ)  (翻訳

1931年に生まれる。東京女子大学文学部卒業。

木田元  (キダゲン)  (翻訳

1928年、山形県に生まれる。1953年、東北大学文学部卒業。中央大学名誉教授。2014年歿。

上記内容は本書刊行時のものです。