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科学技術ジャーナリズムはどう実践されるか 小林宏一(編) - 東京電機大学出版局
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科学技術ジャーナリズムはどう実践されるか (カガクギジュツジャーナリズムハドウジッセンサレルカ)
原書: 0

社会科学
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A5判
296ページ
並製
定価 3,200円+税
ISBN
978-4-501-62530-6   COPY
ISBN 13
9784501625306   COPY
ISBN 10h
4-501-62530-9   COPY
ISBN 10
4501625309   COPY
出版者記号
501   COPY
Cコード
C3330  
3:専門 3:全集・双書 30:社会科学総記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2010年3月
書店発売日
登録日
2010年3月12日
最終更新日
2021年1月12日
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紹介

シリーズ「科学コミュニケーション叢書」の3冊目。前2冊は、自然科学および社会科学の立場から科学技術ジャーナリズムについて解説したものだったが、本書は、科学技術ジャーナリストが具体的にそれをどのように社会に向けて実践すればよいかを解説したテキスト。早稲田大学・科学技術ジャーナリスト養成プログラムが行なった講演会や座談会をベースに作成された原稿に、数本の書き下ろし原稿を加えて全体を再構成したもの。5年間のプログラムのまとめ。

目次

第Ⅰ部 ジャーナリストに求められるスキルとその実践
 第1章 科学記事の2つの顔
     馬場錬成
  1.1 はじめに
  1.2 実際の事例:待ったなしで来るノーベル賞発表
  1.3 わかりやすさと正確性―2つの顔を立てるには
 第2章 科学を伝えるという仕事
     青山聖子
  2.1 はじめに
  2.2 科学を伝える仕事の意味
  2.3 科学雑誌の編集者は忙しい
  2.4 サイエンスライターで食べていけるか
  2.5 ちょっとさびしい研究機関広報
  2.6 学生に何を教えるか
  2.7 じつは少ない「科学コラム」
  2.8 これからの仕事
 第3章 「専門的であること」と「わかりやすさ」のバランス
     西村吉雄
  3.1 はじめに
  3.2 専門用語は本来わかりやすくするためのもの
  3.3 使うべき用語は読者に応じて変わる
  3.4 科学ジャーナリズムと技術ジャーナリズム
  3.5 「批判」に必要なことば―技術ジャーナリズムの場合
  3.6 「批判」に必要なことば―科学ジャーナリズムの場合
 第4章 科学技術関連ニュースの日英翻訳プロセスと留意点
     小西和久
  4.1 はじめに
  4.2 科学技術関連情報の日英翻訳に関する基本的な留意点
  4.3 簡潔明瞭な英文を書くための基本的な留意点
  4.4 科学技術関連報道の日英翻訳の実際
  4.5 おわりに
 第5章 世界語化した英語と日本人ジャーナリスト
     石塚雅彦
  5.1 何を目的とするか
  5.2 基礎英語から
  5.3 書かせて直す,直されて書く
  5.4 書きたいこととパラグラフ
  5.5 日本語記事を忘れろ
  5.6 読んで書く
  5.7 大量に読む
  5.8 日本がどう報じられているか
  5.9 一般誌の科学技術記事
  5.10 英文メディアで働ける日本人,日本の英文メディア
 第6章 すばらしき学生たち
     Debra Ann Schwartz
  6.1 序
  6.2 日本に渡るまで
  6.3 講義の準備
  6.4 模擬記者会見
  6.5 困難だったこと
  6.6 成功したこと,成功しなかったこと
  6.7 ジャーナリスト志望の日本人学生に教えてみてどうだったか
 第7章 科学技術報道における研究者と報道者のディスコミュニケーション
     大石かおり
  7.1 はじめに
  7.2 研究者へのインタビューから
  7.3 報道者へのインタビューから
  7.4 インタビューを終えて
 第8章 ブログ「炎上」を体験した
     松浦晋也
  8.1 はじめに
  8.2 自分がかかわった経緯
  8.3 「このっ,バカ共が」に至るまで
  8.4 対策を考える
  8.5 分断,誠実,正論
  8.6 議論の場所を移し,毎日まとめを行っていく
  8.7 アクセスとネットの評判
  8.8 今回の教訓
 第9章 世界に通用する科学ジャーナリストを育てよう
     林 勝彦
  9.1 科学ジャーナリスト教育の必要性
  9.2 科学ジャーナリスト塾のあゆみ
  9.3 世界に通用する次世代ジャーナリストへ
第Ⅱ部 科学技術情報の流通革命をめぐって
 第10章 デジタル・ネットワーク時代における文化の豊かさを求めて
     伊藤穣一・John Wilbanks・小林宏一
  10.1 開会の挨拶:小林宏一
  10.2 Creative Commonsの現状と将来:伊藤穣一
  10.3 Science Commonsの現状と未来:John Wilbanks
  10.4 ディスカッション
 第11章 変わりゆくメディアにおける科学ジャーナリズムと技術ジャーナリズム
     西村吉雄
  11.1 はじめに
  11.2 日本初のジャーナリズム大学院
  11.3 科学技術ジャーナリスト養成の3つの課題
  11.4 科学ジャーナリズムと技術ジャーナリズムのちがい
  11.5 ますます重要になる批判精神
  11.6 質疑応答
 第12章 科学ジャーナリストを養成する理由およびその方法
     Baudouin Jurdant
  12.1 科学とジャーナリズムの共通点
  12.2 科学とジャーナリズム教育の意義
  12.3 科学が文化と統合するときがきた
 第13章 米国における科学ジャーナリズム:過去,現在,そして将来
     Marguerite Holloway
  13.1 はじめに
  13.2 過去
  13.3 現在
  13.4 将来
 第14章 中国における科学技術ジャーナリズム教育
     周宋庭
  14.1 中国の科学技術ジャーナリズム教育の現状
  14.2 科学技術ジャーナリズム教育のパターン
  14.3 科学技術ジャーナリズム教育に関する戦略とアプローチ
 第15章 マスメディアの変容とローカルな科学技術ジャーナリズムの現場への影響
     西村吉雄・Baudouin Jurdant・Marguerite Holloway・周宋庭・谷川建司
  15.1 科学技術ジャーナリズムはなぜ必要なのか
  15.2 非専門家が専門家と対等に話をすること
  15.3 専門家・一般市民・コミュニティ
  15.4 知識について話す可能性を伝達すること
  15.5 科学技術ジャーナリストがもつべき素養
  15.6 取材先と知的・人格的に対等になる
  15.7 科学技術に対する苦手意識をなくす
  15.8 科学技術ジャーナリズムの適切な規模
  15.9 ますます重要性を増す生命倫理への議論
  15.10 大学という場が果たすべき役割
  15.11 ジャーナリストになることの意味
第Ⅲ部 MAJESTyの経験を未来につなぐ
 第16章 座談会 MAJESTyを育て,MAJESTyに育てられた5年間
     那須川真澄・山田 耕・中村 理・田中幹人・吉戸智明・大石かおり・富田 誠・藩文慧キャロル
  16.1 MAJESTyのはじまり
  16.2 新たに加わった力
  16.3 文系の世界に飛び込んで
  16.4 学生のカラー
  16.5 多様な学生に何を教えるのか
  16.6 修士論文なのか作品制作なのか
  16.7 MAJESTyは社会に何を残したか
  16.8 われわれの未来はいかに
 第17章 座談会 早稲田大学のジャーナリズム教育はここから始まる
     西村吉雄・小林宏一・若杉なおみ・谷川建司
  17.1 多彩な教員が集う
  17.2 目的意識の共有
  17.3 文理融合を掲げて
  17.4 科学技術そのものの教育
  17.5 ジャーナリズム業界のいま
  17.6 どんな学生を育てるべきか
  17.7 これからもMAJESTyはつづく
索引

前書きなど

 「自分は科学とも技術ともジャーナリズムとも関係がありません」。私はMAJESTy関係者の集まりで挨拶するとき,いつもこのように切り出した。これは本当のことである。私は比較政治学を専門とし,ロシア東欧地域の研究をしてきた。なぜその人間が科学技術ジャーナリスト養成プログラムの立ち上げに一役を演じることになったのか。それが以下のお話しである。
 率直に言って,私の役割はささやかなものであった。2004年暮れに,文部科学省が科学技術振興調整費による新興分野人材育成のためのプロジェクトを募集した。科学技術振興調整費というのは,総合科学技術会議の方針に沿って文部科学省が運用を行う,政策誘導型の大型競争的資金である。文系の研究者にとってはあまりなじみがないが,理系の研究者のあいだでは周知の資金である。募集があったのは,科学技術コミュニケーターのような自然科学と人文/社会科学との融合領域のプロジェクトであった。そのようなプロジェクトの募集があるのは滅多にないことである。私の幸運(あるいは不運?)は,たまたまそのときに大学院政治学研究科の研究科長だったということである。そのプロジェクトに応募し,採用されたというだけだから,たとえば中小企業の社長さんがアイデアを凝らし,資本を集め,リスクを冒して事業を立ち上げなければならないのと比べれば,はるかに苦労が少ない。
 文部科学省の募集要項にはジャーナリストということばがまったく出てこない。出てくるのはコミュニケーターということばだけである。コミュニケーターをジャーナリストのことと読んだのは早稲田大学であった。私が担当理事から初めて大型資金の話を聞いたときのメモに,すでに「科学技術ジャーナリスト養成プログラム」ということばが出てくる。おそらく文部科学省の担当者とも話し合ったうえでのことだろう。あとで気がついたが,そのように読み替えたのは早稲田大学だけであった。応募した大学・研究機関はほとんどコミュニケーター養成を掲げていた。このように公的事業費ではあっても,それをどのように利用するかはかなりの程度応募者側に任されている。ジャーナリズムは早稲田側,それも政研ではなくて,まずもって大学本部の選択であったことを確認しておきたい。
 一件は大学本部から政治学研究科に持ち込まれたものの,それで決まったわけではない。なにしろ「科学技術」ジャーナリズムである。むしろ理工学研究科のほうがふさわしいのではないか。担当理事も「政研にいきなり設置するのは無理だろうから,とりあえずは理工研に開設し,オープン科目センターを介在させて,政研と結びつけ,ゆくゆくは理工研と政研のダブルディグリーにしてはどうか」という考えであった。
 政研は決断を求められていた。もしここで手をあげれば,政研が大学の名において文部科学省に申請することになるだろう。もちろん採択されるかどうかは別問題だが。もし手をあげなければ,どこか別の学内箇所がそうすることになるだろう。理工研にその関心があったとは聞いていないが,社学研,公共経営研,教育研などにはおおいにあったようだ。学内にも競争がある。
 理系の学部・研究科なら,5年間で5億円,年間1億円という委託プロジェクトはたしかに大きいが,飛び抜けて大きいものではないだろう。しかし,文系では例外的に大きい。おそらくこれまでこのような規模のプロジェクトを受託した文系学部・研究科は学内にはなかった。政研内では慎重論が強かった。政経学術院はすでに2つのCOEプロジェクトを抱えていた。われわれにこれ以上大規模プロジェクトを引き受ける余力があるだろうか。しかも,科学技術ジャーナリズムは,政経学部の伝統からしてまったく異質の要素である。学術院内にはもちろんジャーナリズムの専門家がいたが,その専門家でさえもたじろいだのであった。
 しかし,私はややちがった見方をしていた。私立大学はすでに目一杯の負担を引き受けている。小規模プロジェクトならば追加的に引き受けることも可能だろうが,一定以上の規模となると,もはや現有スタッフでは手に負えなくなる。それでも引き受けるとすれば,一部のスタッフをそれに専念させるか,それともプロジェクト自体の予算でそれに専念するスタッフを雇用して,課題の大きな部分を委ねるしかない。どこの私立大学でも現有スタッフの一部をプロジェクトに割く余裕はない。だから,COEや振興調整費のような大型プロジェクトは,それ専任のスタッフを雇用して任せる以外にやりようがないのだ。
 私の念頭にあったのは任期付き教員である(早稲田大学では当時「客員教員専任扱い」とよんでいた)。当時は,とくに文系の諸分野で,任期付き教員は例外的な存在だた。まだ,生涯雇用,年功序列の制度が幅を利かせていた時代である。任期を付けたら,よい先生が来てくれるはずがない,という考え方が大学では根強かった。むしろこの点で改革がいちばん遅れたのは大学だったかもしれない。文部科学省は一方でしきりに「教員の流動化」を呼びかけ,他方で次から次へと大規模プロジェクトを発表していた。この2つは相互に関連している。解決策は任期付き教員の雇用しかない,というのが私の読みであった。
 研究プロジェクトと教育プロジェクトのちがいも重要だ。政経学部がそれまで手がけてきたのはすべて研究プロジェクトであった。研究プロジェクトは本属スタッフが自ら汗しなければならない。自らプロジェクトを推進するか,あるいはたえず舵取りをしなければならない。これに対して教育プログラムはある程度くり返し業務である。たしかにカリキュラムを組み,施設を用意しなければならないが,あとは資格のあるスタッフを雇用し,学生を確保して教育を行えばよい。もちろん本属スタッフもある程度の負担は覚悟しなければならないが,研究プロジェクトほどではないはずだ。教育は要するに組織の問題であって,自己執行メカニズムをつくってやることが肝心だ。
 というわけで,私は現有スタッフにかかる負担についてはそれほど悲観視していなかった。もちろん過小評価していたわけではなく,現に同僚に大きな負担をかけてしまったことについてはたいへん申し訳なく思っている。しかし,いちばんエネルギーを要するのはプログラムの立ち上げである。これは主として執行部と事務スタッフの問題であった。私は逃げ出したい思いに何度も駆られたが,そのたびごとに,ここは一踏ん張りしなければなるまいと思いなおした。こうして,専門的には関係もない私が科学技術ジャーナリスト養成プログラムのお世話をすることになったのである。
 マネジメントに関しては2つほど工夫があった。1つはプログラム・マネージャーを置くということである。プロマネあるいはPMということばは,最近ではほとんど流行語となっている。しかし,当時はあまり知られていなかった。とりわけ文系の学部で教員待遇でPMを招くという考え方はなく,ほとんど邪道扱いされた。私にこれを示唆してくれたのは,研究推進部のEさんである。Eさんからは多くの貴重なアイデアをいただいたが,プロマネもその1つで,心から感謝している。もう1つ,教務以外の事務仕事を外注するということである。もちろん早稲田大学が最終的にはすべてにわたって責任を負わなければならないが,時限的なプログラムに専任の事務職員を貼りつける余裕はなかった。事務労働の外注はかなり冒険だったし,けっして安上がりでもなかった。しかし,このしくみがなければ今日までプログラムを円滑に進めることはできなかっただろう。
 もちろんマネジメント問題を解決できる見通しが立ったから,プログラムを引き受けたのではない。じつは政研ではしばらく前からジャーナリズム大学院をつくろうという構想が浮かんだり消えたりしていた。その歴史にここで深く立ち入ることはできないが,多くの同僚はそこに政研が大きく飛躍するチャンスをみていた。それは日本最初のジャーナリズム大学院となるはずだった。ちょうどそのようなときにプログラムの話が舞い込んできたのである。このとき,研究推進部のEさんが「ジャーナリスト養成部分を核として,科学技術関係の要素を付加する」ということでよい,と進言してくれた。そうであれば今後,政治,経済,国際関係,社会,その他の要素を付加していけば,おのずからジャーナリズム大学院となるだろう。ジャーナリズム大学院をつくる気なら,プログラムはそのよい出発点となるだろう。他方で,それはプログラム自身にとってもよいことであった。なぜなら文部科学省はプログラムの終了後,事業の継続を求めていたからである。ジャーナリズム大学院はプログラムのよい受け皿となりえる。政権は科学技術ジャーナリストの教育だけを継続することはできないけれども,ジャーナリスト教育の一環としてならできるだろう。
 文部科学省の募集要項のなかにある表現が,応募を意図していた多くの大学関係者を悩ませた。大学院修士「相当」の研究者・実務者養成が課題,ということばである。それはプログラムを修了した学生に修士号を出すことを要件としているのか,それとも修士号「相当」の修了証書を出すだけでよいのか。修士号「相当」の証書とは何か。それは世間で通用するのか。われわれもおおいに悩まされたが,上記のような経緯があったので,最初から本格的な修士課程のプログラムを組み,修士号を出すつもりであった。残された問題は学生から授業料をとってよいかどうかであった。とってよいとすると,国からの委託事業をやりながら授業料収入をあげるということになる。他方で,授業料がとれないなら,プログラムに関与する大学の正規教員はただ働きとなってしまう。事前に文部科学省に問い合わせたら,授業料はとってよいということであった。この情報は多くの応募校に共有されなかったようである。けっきょく,正規の修士号を出し,授業料もきちんといただくというかたちにしたのは早稲田だけだった。開設後,早稲田は誇り高く「MAJESTy」,すなわち「科学技術ジャーナリスト教育のための修士号プログラム(Master of Arts Program for Journalist Education in Science and Technology,MAJESTy)」を名乗ったが,それにはそれなりの理由があったのである。
 私に担当常任理事から一件が伝達されたのは2004年12月10日,政研で合意ができたのが翌年1月11日,書類の締め切りが2月7日,ヒヤリングが3月29日,4月半ばに仮決定,10月から試行プログラムの開始,翌年4月から学生受け入れ,という嵐のようなスケジュールであった。政研事務所,教務主任のY先生,それに私はこの間熱病にかかったように働いた。あのように密度の高い日々を送ったのは私の人生において後にも先にもなかった。
 このような機会を与えてくれた文部科学省におおいに感謝したい。文部次官が採択校のプログラム代表者を招いて語った次のことばが耳に残っている。「3つの大学がおたがいに相談せずにそれぞれのプログラムをつくったのはたいへんよいことです。非常に個性的なプログラムができあがりました。今後はおたがいに連絡をとってもよろしいですが,どうか模倣し合うのだけはやめてください」。とかく画一性を求めたがる国の役所ではあるが,文部科学省のこの太っ腹,懐の深さ,気前のよさにはつくづくと感銘を受けた。
 上記のように,早稲田大学本部の理解ある態度がなければ,MAJESTyはけっして実現しなかっただろう。また,政治経済学術院執行部も非常に協力的な姿勢を示してくれた。記して心から謝したい。
 プログラムの理念,カリキュラム,人事編成などについても語りたいことは多いが,けっこう長くなってきたので,それは次の機会に譲るとして,今回はこのあたりで筆を擱くことにしたい。

上記内容は本書刊行時のものです。