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仏教とお金

ビジネス ラノベ

松岡 幹夫(著)
発行:柏艪舎

B6判   224頁  並製
価格 1,400円+税

ISBN 978-4-434-23172-8   C0095
在庫あり(出版社情報)

奥付の初版発行年月 2017年5月
書店発売日 2017年5月17日
登録日 2017年4月20日

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紹介

お金が好きな方―必読の書!
僧侶であり仏教研究者である著者が
仏教の目から見て、お金のありがたさ、
その危うさを解き明かす。
日本人の多くが、目からウロコ……
を経験されることだろう。

目次

はじめに

第一章 お金には顔がある
お金は「みんなで生きている」という証である
お金は理性の産物である
紙幣は「紙」なのに力を持っている
お金は社会の生命の表れである
お金には繁殖力がある
お金には欲望が宿っている
お金には公共心が宿っている
お金は人の自由を広げる
お金を通じて人々の恩を受けている
前世とお金の関係を知る
人はお金に縛られている
お金は怒りの顔も見せる
お金は単純なものではない

第二章「何が仏教か」を知る
ブッダは宇宙的個人である
仏教研究者は「所有」の観念に縛られている
上座部仏教も大乗仏教も
 ブッダが説いたままの教えではない
仏教は「体で知る」が基本である
仏教学による仏教理解は周辺的である
経典は本来、信じて読むものである
アメリカの仏教学界で文献学への批判が起きている
解釈学を超えた「修行学」を展望する
修行学が「宗学」として仏教学の中に取り込まれた
仏教学を修行学に取り込む

第三章 お金の呪縛を解く
資本主義に近づく仏教、反資本主義の仏教
上座部仏教と大乗仏教ではタイプが違う
人生を「苦」と見る上座部仏教
上座部仏教は徹底した道徳主義を唱える
お金は預かり物である
どんなにお金があっても自分のものではない
多くの物を持っていても一つしか使わない
「お金の宿」になる
心にまさる財宝はない
お金を盗むと貧乏になる
気前がよすぎる人はお金に逃げられる
ケチと節約は違う
お金を欲しがるのは怠け者が多い
「憎まれっ子世にはばかる」はウソである
「無私」の精神がエゴの解毒剤になる

第四章 お金を生かす
人生を楽しむ自由が眠っている
欲を制した人は欲があってもいい
ブッダは一般人に「よく世間を生きよ」と教えた
お金の力が仏教を支えた
仏教は利息を禁止しない
仏教は財産を尊重する
前世の行いで金持ちになる
自分のお金ではないから金持ちになってもいい
金儲けと信仰は別ではない
「お金を生かす」に決まった道はない


第五章 活金主義の理念
大きな利益を追えば小さな利益はついてくる
活金主義は「大きな個人主義」である
活金主義は自分自身に勝った人の生き方である
活金主義は感化によって身につく
活金主義はチャリティーと考え方が違う
活金主義は天の助けを借りる
活金主義で運命を乗り越える
活金主義は運命を作り出す
活金主義は智慧の中道を歩む
活金主義のモットーは「徳は得なり」である
活金主義は悪人からお金を取り上げる
活金主義は悪人を生かして使う


第六章 活金主義の実践
他人でなく自分を変える
生命力でお金の恐怖に勝つ
怒りを生かす
智慧の決断力をつける
人生の師を持つ
信用力をつける
皆のために働く
自分のために恩返しはする
多少の贅沢はいい
宇宙的責任感を持つ

第七章 日本の仏教に学ぶ
世間虚仮唯仏是真(聖徳太子)
道心の中に衣食あり、衣食の中に道心なし(最澄)
径寸十枚、これ国宝に非ず。
 一隅を照らす、これ則ち国宝なり(最澄)
利行は一法なり、あまねく自他を利するなり(道元)
人のために火をともせば、我がまへあきらかなる(日蓮)
まことのみちは世間の事法にて候(日蓮)
三方よし(近江商人)
みんなむかしからのきやうだいなのだから
けつしてひとりをいのつてはいけない(宮沢賢治)
言葉を捨てて事実に帰る(鈴木大拙)
もっとも不幸を味わった人こそ、
 もっとも幸福になる権利がある(池田大作)

おわりに
主要参考文献

前書きなど

はじめに

「お金って何ですか?」―こう聞かれて、あなたはどう答えますか。日常生活の中で、お金ほど身近なものはありません。けれども、改めて問われてみると、どうもよくわからなくなってしまいます。それは、お金があまりに多くの顔を持つからです。人の数だけお金の感覚は違う。そう言ってもおかしくないでしょう。
ただし、大まかな傾向としては、三つの考え方が見られます。「道具」「力」「悪」―この三つです。
まず「お金は道具である」という考え方があります。経済学では、お金に「尺度」「交換」「保存」の三つの機能があると言います。お金は価値の尺度となり、交換の手段となり、価値の保存に使われます。経済生活を円滑に進める道具がお金です。そして、信用というものがないと、お金が社会的な道具として成り立ちません。国家に対する信用が、貨幣に価値を与えます。その貨幣の価値を使って、個人に対する信用が表現されます。そうしたことから、「お金とは信用だ」と言う人も多いのですが、これはお金を信用を表す道具と見なしているのです。
次に、「お金は力である」と主張する人たちがいます。「お金は力だ。より多くのお金を持っていれば、それだけ多くの選択肢が与えられるからだ」―アメリカの著名な投資家R・キヨサキ氏の言葉です。お金があれば、大きな家に住んだり、海外旅行に行ったり、他人からサービスを受けたりできる。環境を思いのままにする力が、お金にはあるのです。
他方で、「お金は悪である」というネガティブな考え方も、昔から根強くあります。お金を「道具」や「力」と見る人は、社会的な観点からそう言っています。お金を社会現象と見て、その機能を分析した結果が「お金は道具」「お金は力」なのです。これに対して、「お金は悪だ」という人は、お金を心理的な方面から見ています。お金が表すもの、それは客観的に見れば労働の価値ですが、心理的に見ると人の欲望に他なりません。お金とは、人間のあくなき欲望が生み出した産物だ。もとから汚くて悪なのだ。近代以前は、むしろこんな考えが主流でした。例えば、江戸時代の武士階級は、お金を賤しみ、お金について論じること自体を避けたと言われています。
まとめると、お金は社会的には肯定され、心理的には否定されてきたと言えるでしょう。世間では、お金に対して肯定派と否定派がはっきり分かれる傾向にあります。けれども、お金を社会的に見るか心理的に見るか、という見方の違いは注意されていません。マルクスはお金を社会的にしか見ないし、武士はお金を心理的にしか見ていません。本当は両面から見る必要があり、それでこそ「お金とは何か」がわかるのではないでしょうか。
そう考えた時、現代の私たちは、経済学や経営学など、お金の社会的な説明ばかりに熱心であって、心理的な面からの探求をなおざりにしている、という実態が浮き彫りになってきます。つまり、現代人は、お金の社会的な分析に偏りすぎているのです。
お金の心理的な面は、人間の内面に深くかかわってきます。哲学、心理学、宗教などの領域です。中でも、最も根源的な探求が期待できるのが宗教でしょう。本書では、筆者の専門である仏教の思想を取り上げ、その金銭哲学を語ってみたいと思います。
お金で笑う人、お金で泣く人、お金で命拾いする人がいれば、お金で命を落とす人もいます。朝起きてから夜寝るまで、お金はずっと私たちについて回ります。当然、人生を語る者はお金の問題を避けて通れません。
ところが、宗教の多くは、お金の話をしたがりません。ことに仏教は、お金嫌いの宗教で有名です。東南アジアの一部の仏教などは、お坊さんがお金に触れることを戒律で禁止しています。「お金は悪」という心理的な見方が強くなりすぎると、そうなるのです。
ならば、「お金とは何か」を真正面から論じた仏教の理論書はあるのでしょうか。色々と調べてみました。しかし、自分の知る範囲では、どこにも見当たりません。仏教にはお金の理論がない。このことに改めて気づかされました。
私は、僧籍を持つ仏教の研究者です。二〇一六年の五月、北海道で柏艪舎の山本光伸代表に会い、「『仏教とお金』というテーマで本を書かないか」と本書執筆の依頼を受けました。じつはこの時、少なからず困惑しました。「坊主がお金の本を書くなんて……」といった周囲の冷たい視線が、すぐに脳裏に浮かんできたからです。実際、身内の何人かにこの話を伝えると、「あなたのイメージが悪くなるから、やめたほうがいい」との反応もありました。その一方で、「十代の頃からお金の問題を考え続けてきた」「損得だけで動く今の風潮を変えるような本を書いてほしい」と語る山本代表の真摯な態度に、強く胸を打たれました。
さあ、どうしようか。私は考えました。宗教は「絶対」を唱える。絶対の次元はすべてを包み込む。俗世間にかかわらないのは、絶対を放棄することだ。世の中には、お金に振り回されて苦しんでいる人たちが、たくさんいる。それなのに、お金の問題は低次元だと軽侮する宗教があるとしたら、あまりに無慈悲ではないか。絶対の悟り、絶対の慈悲を掲げる仏教は、「お金とは何か」に真剣に取り組むべきだ。こう結論したのです。
そういうわけで、仏教でお金の意味を知る一つの試みとして、この本を書きたいと思います。お金の指南書は、本当に人生の辛酸をなめた人でないと書けるものではありません。学者や坊さんが、自分の生ぬるい経験に基づいてお金がどうこうと書き連ねるようでは、身を切る思いで日々お金と格闘している人たちに失礼です。私は、お金の指南書を書く気などありません。あくまで仏教の金銭観を伝える本にするつもりです。具体的な指南ではなく、精神的なアドバイスを心がけます。それなら、仏教を生涯のテーマとする私でもできるでしょう。
世の中の出来事に意味を与えるのが宗教の仕事です。世の中で最も長く影響を及ぼすものは、おそらく宗教でしょう。イエスを見ても、ムハンマドを見ても、ブッダ(釈尊)を見ても、まことに巨大な存在です。彼らほど、世界の人々に強く、そして長期にわたって精神的な影響を与え続けている存在はないでしょう。本書のような小さな存在も、宗教的な内容である以上、意外な効果を及ぼすかもしれません。
仏教の金銭観は非常に多様です。いくつもの側面を持っています。決して単純な「お金は悪」の思想ではありません。仏教の本義に照らせば、お金は善にも悪にもなる生きた存在です。そして、私たちがお金から自由になる方法、お金を自在に生かしていくための主体的な生き方を、仏教は教えてくれます。
お金は世の中そのものです。お金の正体を知れば、世の中の正体がよくわかる。人生の意味もわかってくるでしょう。仏教を通じて、そうなるためのヒントを提供したい。これが著者の思いです。
また、「わかる」と「かわる」は違います。「わかったけど、できない」では元も子もありません。そのような自己啓発書が、巷にあふれています。少しでも「かわる」ための力を与えていける本、仏教の達人たちの偉大な精神に読者がダイレクトに触れ、心の感化を受けられるような本にしたい。そう願っています。なお、本文中、故人に関しては敬称を略させていただきました。
最後に、本書の編集を担当してくださり、何かとご尽力をいただいた柏艪舎の可知佳恵氏に心から感謝申し上げる次第です。

版元から一言

「お金とは何か」を真正面から論じた初の仏教の理論書。
仏教研究の第一人者が「仏教とお金」というタブーに切り込む。

著者プロフィール

松岡 幹夫(マツオカ ミキオ)

松岡 幹夫(まつおか みきお)
1962年、長崎県に生まれる。1986年、僧籍に入る。2004年、東京大学大学院総合文化研究科博士課程修了。博士(学術)。東日本国際大学教授。同大学東洋思想研究所所長。著書に『日蓮仏教の社会思想的展開―近代日本の宗教的イデオロギー』(東京大学出版会、2005年)、『超訳 日蓮のことば』(柏書房、2013年)、『京都学派とエコロジー―比較環境思想的考察』(論創社、2013年)、『宮沢賢治と法華経―日蓮と親鸞の狭間で』(昌平黌出版会、2015年)、『創価学会を語る』(佐藤優との共著、第三文明社、2015年)など多数。

上記内容は本書刊行時のものです。