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私の中の三島由紀夫
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2017年3月
- 書店発売日
- 2017年3月17日
- 登録日
- 2017年2月21日
- 最終更新日
- 2017年7月12日
紹介
1970年11月25日、楯の会を率い、陸上自衛隊市ヶ谷駐屯地で森田必勝とともに自決した三島由紀夫。当時はもちろん今もなお、三島を“神”と崇める人もいれば、“狂人”と嘲る人もいる。しかし、日本を震撼させたあの“事件”もいまでは確実に風化しつつあるようだ。散る花と散らぬ花とを一身に兼ね備えなければならない“文武両道”。一方が実態であれば、他方は虚妄であらざるを得ないこの二つの世界を同時に生き抜いた一人の天才は、死後およそ50年という時の流れの中で、かつての若き著者にどのような試練をもたらしたのか……。
目次
目次
1 私は今、とんでもない航海に出ようとしている。 8
2 すでに三島が亡くなってからのことである。 13
3 そして運命のあの日、一九七〇年十一月二十五日がやって来る。 21
4 三島の死後、私の人生は微妙に変化した。 26
5 一九六八年三月より、自衛隊富士学校の滝ヶ原分屯地で、
楯の会の体験入隊が始まった。 39
6 ここで武士道について考えてみよう。 44
7 三島はある日の楯の会例会で、次のように発言した。 50
8 三島の密葬は事件翌日の一九七〇年十一月二十六日、
三島邸にてしめやかに営まれた。 55
9 三島は、『「楯の会」のこと』の中で次のように書いている。 62
10 これまで述べてきたことに関連して、国土の防衛について考えてみたい。 67
11 少し角度を変えて、三島と太宰について考えてみよう。 73
12 次に、生長の家について触れておきたい。 80
13 一九七〇年十一月二十五日。快晴。 84
14 三島が優れた文芸評論家でもあることはよく知られている。 93
15 三島は、楯の会会員で最後に行動を共にした四人…… 96
16 私は、三島はあそこで死にたがっていたと書いた。 107
17 ここで、あの〝三島事件〟の主役の一人、三島と森田を
介錯した古賀浩靖に触れておきたい。 116
18 さて、最終項である。 121
補遺 【檄】 128
【三島由紀夫の遺書】 134
【命令書】 136
【辞世】 138
【三島由紀夫 年譜】 140
七十五歳の独り言 149
お金と〝生き方〟 151 /またしても、お金の話 155 /最近気になること 158 /損得勘定のいろいろ 162 /自己責任 164 /老人 167 /良寛和尚 169 /信じること、について 171 /岩谷時子の「眠れぬ夜の長恨歌」 173 /五千万円? 176 /命名権 177 /歴史に学べ? 178 /表と裏 180 /嗚呼、伊藤整文学賞 182 /怒りの矛先 184 /売り言葉に買い言葉 186
あとがき 190
前書きなど
あとがき
ここまで書けたことが奇跡のように思える。しかも、内容にはまったく自信がない。何をつまらない、寝言のようなことを、とお叱りを受けるような気がしてならないのである。
それでも、私なりには〝成果〟がなかったわけではない。その第一はもちろん、三島から受けた影響を明確にできたことである。それは、三島の死後、ずっと私の胸の中に蟠っていたことだった。一言で言えば、三島から受けた恩義をどのようにお返しすればいいのか、ということである。
三島が私の生き方を〝是〟としてくださるかどうかはわからない。しかしそれはもう致し方のないことである。私としては、次の世でお会いしたときに、破顔一笑、よく来た、と言ってくださることを祈るのみである。
また、望外の喜びをもたらしてくれたこともあった。それは、去年(二○一六年)の暮れ、私の誕生日のことである。すでに原稿はほぼ書き上げ、私は手元にあった村松剛著『三島由紀夫の世界』を読み終えようとしていた。(因みに、同書には啓発されることが多く、本書を書く上でも大変お世話になった)
言うまでもなく、私は三島由紀夫について書こうとしたわけだが、三島と同時代の作家、太宰治についてもずいぶん触れてきた。牽強付会であると、奇異に思われた方もいらっしゃることだろう。私としては、三島と太宰の相似性、補完性を言いたかったのだが、確信を持っていたわけではなかった。
それがその日、『三島由紀夫の世界』の中で次のような文章に出会ったのだ。日時は事件前の十月七日。四谷の蔦屋において、村松を相手に三島は言う。
―それがこのごろでは、みんな危機意識なんか忘れて生活に満足している。その安心しきった顔を見ていること自体に、おれは耐えられない。政治家は左も右も、平和憲法を守りましょう、文士の話題といえばゴルフのはなしと、こんどの文学賞をだれにやろうかという相談ばかりじゃないか。
そして同席者を交えた短いやり取りの後、二人の会話は次のように続くのである。
―おれはねえ、村松君、このごろはひとが家具を買いに行くというはなしをきいても、嘔気がするんだよ。
―家庭の幸福は文学の敵。それじゃあ、太宰治と同じじゃないか。
―そうだよ、おれは太宰治と同じだ。同じなんだよ。
―太宰の苦悩なんか、器械体操でもすればなおるはずではなかったの?
この村松の質問に、三島は答えなかったという。しかし私は思わずソファから立ち上がっていた。三島自身が、おれは太宰と同じだ、と言っているのである。まさかそんなことがあろうとは。私にはまったくの初耳のことだった。
この事実が、私が〝証明〟しようとしていることを裏づけているのかどうかはわからない。それでも、私は大いに驚き、この一節は私にとって最高の誕生日+クリスマス・プレゼントになったのである。
今さらのように思うのだが、人生にはどうやら、グレーゾーンにしたまま、突き詰めて考えないほうがいい部分もあるようだ。本書を書き終えた今、私は満足感とともに曰く言いがたい虚脱感を覚えている。
最後に、三島先生の御冥福を心から祈りつつ。合掌。
山本光伸
二○一六年十二月三十一日
上記内容は本書刊行時のものです。