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出版者情報
内乱の政治哲学 忘却と制圧
- 書店発売日
- 2017年10月20日
- 登録日
- 2017年9月11日
- 最終更新日
- 2023年12月8日
書評掲載情報
2017-11-26 |
読売新聞
朝刊 評者: 納富信留(東京大学教授、ギリシャ哲学研究者) |
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紹介
西洋古代哲学専攻でありながら、その学識は西洋哲学史全般、ひいては現代思想にまで及んだ希代の碩学・神崎繁。政治と哲学の境界に立って、最期の際まで続けた思索をついに刊行。プラトン、ホッブズ、カール・シュミット、ハイデガーなどを縦横無尽に論じる文章は、まさに「これが哲学だ」というべきもの。巻末に付した中畑正志「「解題」にかえて」、熊野純彦「思想史家としての神崎繁』も必読!
著者・神崎繁は、日本の哲学界が生んだ「最後の碩学」と言えます。
専攻は、西洋古代哲学、とくにアリストテレス研究ですが、ひろく哲学史全般を渉猟し、現代哲学の最先端までカバーしたうえで、古典を論じる哲学者でした。
惜しくも2016年10月に逝去しましたが、その最晩年、哲学的考察を傾けたのが、政治と哲学の関係でした。
本書は、「政治と哲学の境界(メトリア)」を哲学し続けた、神崎最晩年の哲学の集大成です。
第一部では、「内乱」と、「許し」の関係が、プラトンとホッブズを導きの糸に語られます。そこで鍵になるのが、カール・シュミットの匿名の資料、という趣向です。
第2部は、マックス・ウエーバーの有名な講演「職業としての学問」を、カール・レーヴィットが聴講していた、というエピソードを機縁に、ハイデガーの「良心」に向かっていきます。
補論では、「アリストテレスの子ども」としての、ヘーゲル、マルクス、ハイデガーを考察。一筋縄ではいかない展開が、まさに「哲学と政治」の境界(メトリア)なのです。
ともに哲学者であり朋友でもあった、中畑正志、熊野純彦両氏の、味読すべき解題を付す。
目次
第1部 内乱の政治哲学
――プラトンとホッブズの《アムネスティ》
第2部 「始まり」の制圧に向けて
――「思慮」「賢慮」「良知」「良心」
補論 アリストテレスの子供たち
――ヘーゲル・マルクス・ハイデガー
「解題」のかわりに 中畑正志
思想史家としての神崎繁 熊野純彦
上記内容は本書刊行時のものです。