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ドクター小鷹、どうして南相馬に行ったんですか?
- 初版年月日
- 2015年4月
- 書店発売日
- 2015年4月25日
- 登録日
- 2015年3月17日
- 最終更新日
- 2016年5月25日
紹介
「そのまんまこの街を楽しむことが、地元の人にとっても、支援をしている人にとっても勇気と希望を生む」──。
大学病院を辞めて、福島は南相馬にある原発からいちばん近い病院に務める神経内科医の小鷹昌明さんと、東京を拠点に“支援者支援”をおこなう精神科医・香山リカさんの、こころあったか往復書簡。
目次
プロローグ──香山リカ
Chapter1 なぜ南相馬に来たのか
vol.1 福島県南相馬市の医療現場から
vol.2 “乗馬”はじめました
vol.3 「地元の方々のいまの暮らしや思いについて教えてください」には答えにくいですが……
vol.4 南相馬市で、「感じ好くなりましたよねぇ」と言われております
vol.5 大学病院で、自分の能力の行き詰まりを感じました
vol.6 「男の料理」教室やってます
vol.7 “支援者支援”のための支援
vol.8 「やっぱり、なぜここに来たのか?」という話に戻りますが
Chapter2 被災地エイドから被災地シェアへ
vol.9 なんと“南相馬市物産振興会会長”に推薦されました
vol.10 「そのまんま南相馬を楽しむことが復興なんだなぁ」と気がつきました
vol.11 「どうすれば、“自分の役目”と言える現場を見つけられるか?」に対するひとつの回答例
vol.12 3年目の“3・11”を迎えて 「被災地だってこと、忘れてました」というキーワード
vol.13 悩み抜いて、本当に体を壊してしまったら何もならないんですけど、私の悩み解消法
vol.14 “孤独死”が、ひとつの死に方のモデルになるかもしれません
vol.15 “相馬野馬追”出陣
vol.16 南相馬市における医療者たちの新たなモチベーション
vol.17 “被災地エイド”から“被災地シェア”へ
エピローグ──小鷹昌明
前書きなど
南相馬市に来て、「感じ好くなった」!? 「心身ともに健康になった」!? 「胃が痛くなった」ではなくて、「胃が痛くなることはなくなった」ですって!? いったい、以前はどんなやねん!
……と思わずツッコミたくなってしまう今回のお手紙でしたが、実は気持ちはよくわかります。私も、30代前半までは北海道の病院にいましたし、その後も埼玉県とはいえちょっと奥まった地にある病院に勤務していました。東京都内の診療所で働くようになったのは40代になってからですが、実はいまだにときどき「医者の仕事は地方でやるに限るよなぁ」と思うからです。
とくに北海道の病院にいたときは、ホントに〝健康的〟でしたよ。始業前に職場対抗草野球大会の応援に出かけ、出勤すると医局のお手伝いをしてくれる女性がチャッチャッと作ってくれた、病院の敷地で取れたアスパラのバター炒めに舌鼓。それから外来(診療)に出ると「膝が痛いんだよ」という高齢女性が受診、「あのね、ここは精神科」「だから、神経痛を治してもらいに来たんだよ」「神経は神経でもそっちじゃないんだけどね。……まあ、いいか、レントゲン撮って整形外科の先生に診てもらうねー」などといった、のどかなやり取りが繰り広げられる日もありました。
そして、夕刻、仕事が終わっても何せ、小さな町でみんな通勤時間もごくわずかなので、時間はたっぷり残っています。しばしば看護師さんたちとカラオケなどに繰り出し、スナックで患者さんとバッタリ。常識的には精神医療では医療人と患者さんの病院外でのつき合いはタブーなのですが、「この町では繁華街ってここしかないもんね、会うなっていうほうがムリだよね」といっしょに演歌を熱唱したこともあります。
冬になると職員はみなスキーに興じ、中には勤務が終わってから近郊のナイタースキー場に出かけるグループもありました。私はさすがにそこまでする意欲も元気もなかったのですが、日曜は他の科のドクターやナースたちとスキーで山を越え、冬季は道路が閉鎖されている先にある温泉に出かけたこともありました。
……ん、待てよ? 小鷹さんはまさにいま、こういう生活をエンジョイしてる、ってことですよね。ということは、南相馬市はある意味、ごくふつうの地方の町、小鷹さんはごくふつうの地方のお医者さん、ってことにもなるのではないでしょうか。
前回は「いまやあまり報道されてないけれど、南相馬はまだまだ原発事故のリアルな影響下にある」というお話を聞き、今回は「南相馬はフツーの、自然豊かで素朴な人たちの住む地方の町」というお話を聞きました。
そのふたつ、一見、まったく逆のようだけど、どちらもホントってことですよね。
つまり、南相馬市は、原発事故による非日常が続く町でもあり、日本のどこにでもあるようなごくふつうの健全な地方の町でもある、ということ。
これきっと、復興についても同じなんじゃないでしょうか。
大震災や原発事故の被災地は、未来に向けて力強く復興している。これも事実。でも、あの日から時間が止まっていて一歩も前に進めていない。これも事実。
一般的に考えると正反対のふたつの状況が、矛盾なく両立してしまっている。
それが健全なあり方なのか、それこそが深刻な問題なのか、そこが私にもよくわかりません。
いえいえ、そんなにむずかしく考えることではなく、「ま、どっちもアリってことだよね」でいいのかも。
それにしても、えいやっと勇気を出して南相馬市に移り住んだ小鷹さんには、いまさらですが、尊敬の念とちょっとしたうらやましさを感じます。
──香山リカ(「vol.4 南相馬市で、『感じ好くなりましたよねぇ』と言われております」より)
何度も述べるようですが、ここはすでに県外から支援に来る人たちにとっての主役の場ではありません。だから、〝やりたいこと〟を探すというよりは、〝活動をしているいまの人たちをまず知る〟ということの方が先決です。去ったものも多くいる中で、新たな試みをはじめたものもいます。活動をはじめた人が、何を思って、何を目指して、何をやろうとしているのか。あるいは、あえて何もやろうとしていないのか。そういう現状を把握することです。同じ内容でも、対象を変えることで、まだまだその支援を必要としている人たちがいるかもしれません。
また、もう一言付け加えるならば、よく「疲弊した人たちを助けたい」という考えを持たれる方がいて、もちろんそういう部分もありがたいのですが、この時期に積極的な活動を展開している人たちは、もう疲れてはいません。やりたいからやっているのです。楽しそうだからやっているのです。そういう意味では、これからの被災地に必要なことは〝被災地エイド〟というものではなく、〝被災地シェア〟です。
実例で示したように、カフェ営業のスキルをコツコツと積み上げているような人たちを、どうか見守ってもらいたいし、ようやく起業へと踏み切った若者にも注目してもらいたいのです。それは、もしかしたら解りにくいことかもしれません。が、しかし、けっしてむずかしいことではありません。「自分でやろうとしていることは無駄ではないのか、本当に役に立つことなのか」という不安に対して、身近で励まし続けてあげればいいのです。「きっといいことだよ」と。そして、その価値を、でき得るならば、この地で一緒に体感して欲しいのです。遠隔地からではむずかしいというなら、せめて、そうした現状をどんなツールでも構わない、伝えて欲しいのです。被災地を見てくれている人たちがいることが、私たちにとって何より励みになるのですから。
──小鷹昌明(「vol.17 “被災地エイド”から“被災地シェア”へ」より)
上記内容は本書刊行時のものです。