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ディープ・ブルー 虐待を受けた子どもたちの成長と困難の記録
アメリカの児童保護ソーシャルワーク
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2006年12月
- 書店発売日
- 2006年12月10日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2014年8月27日
紹介
虐待を生き延びた子どもたちを、だれがどのように支えているのか。彼らが大人になっていく過程で遭遇する、決別と出会いと困難を描き、米国・子ども虐待最前線の現場から、日本にいま必要なものは何かを問い返す。
在米日本人ソーシャルワーカーによる5人の子どもたちの記録。暴力と依存症にみちた家庭に育ち、あるときそこから救いだされた彼らが、司法と児童保護の「システム」のなかで、複数の大人のサポートのもと、好転と挫折をくり返しながら子どもから若者へと育っていくさまを描いた、書き下ろしノンフィクション。
各章末では、米国・児童保護施策の試行錯誤の歴史を解説するとともに、貧困、依存症、ドメスティック・バイオレンスと子ども虐待との密接な関わりをつまびらかにする。
目次
序──虐待から逃れた子どもたちと
第一章──アンジェラ
出会い/失踪から戻って/過去の軌跡/一月十七日の夜/一枚の絵/祖母の家/難題/期待と失望/行方不明
アメリカの子ども虐待の現状/児童保護システム ひとりの子どもがフォスターチャイルドになるまで/アウトオブホーム・プレースメント/里親という仕事/児童保護ソーシャルワーカーの仕事
第二章──ジェシー
ジェットブルー/七歳までのこと/アディクション/置き去り/LAへ/逃走と悪化/リカバリーセンター/リブアウト/回避/十八歳間近/ディープブルー
フォスターユースはいま/児童保護制度と少年司法制度/アメリカ連邦フォスターケア政策と予算の歴史/危機のフォスターケア
第三章──ヴェロニカとラクウェル
写真のなかのふたり/事の発端/ホセとソニア/失踪/双子帰還/マタニティーホーム/ラフィー誕生/ラクウェルの移動/ヴェロニカの苦悩/急展開/十六歳の父親/双子反乱/養育権/トニーとラクウェル/ナナ誕生/自立へのカウントダウン/十八歳の現実/最後の仕事/五回目のクリスマス
ドメスティック・バイオレンスと子ども虐待/アメリカのティーンマザーたち/母子家庭政策と子どもの貧困/監獄の母たち
第四章───ルーカス
暗い場所の記憶/フォスターダッド/脱走と暴動/精神科病棟/セントラル・カリフォルニア/システムエラー/未来ひとりぼっち
フォスターユースとメンタルヘルス/子ども虐待防止と児童福祉改革/パーマネンシー/破滅と再生 終章にかえて
解説───才村 純
前書きなど
序──虐待から逃れた子どもたちと
たとえば、七歳の子どもは夜、眠りにつくまえに何を心配するだろうか。
「もう三日も何も食べていないけど、明日は何か食べものにありつけるかな」
「今夜も母さんが家にいないけど、麻薬をやりすぎて、外で死んでやしないだろうか」
「どうか今夜は、義理の父さんがあたしのベッドに入ってきませんように」
アメリカでソーシャルワーカーとして仕事を始めてから、十三年がたった。何百人という子どもたちに出会い、彼らとかかわって仕事をし、彼らの多くが若者へ、大人へと成長していった。そして、その若者たちが何か月も、そして何年も、普通の子どもたちには考えもおよばないような心配事をしながら、毎日眠りについて育ったことを、私は知った。
ドミニクという十八歳の青年がいる。彼は七歳のとき、モーテルの一室で、愛犬といっしょに床に這いつくばって残飯を食べているのを警察に発見され、保護された。母親は飲酒だけでなく、ドミニクに処方されていたADHD(注意欠陥多動性障害)の薬を自分で飲んでしまう癖があった。一度はドミニクを車に乗せて街じゅうを走りまわり、言うことをきかないドミニクに腹をたて、怒りちらして殴りつけ、小さいドミニクは車のドアを開けて外に転がり落ちたこともあった。警官がドミニクを探しあてたときには、モーテルのカーペットにまきちらされた食べものや犬の糞尿の匂いで、息もつけないくらいだったという。施設に保護されたとき、ドミニクはスプーンの使い方を知らず、すべて手づかみで食べていた。
ナタリーは七歳のとき、母親が売春していることに気づいた。毎夜、違う男が家に出入りし、その後、母親はコカインを注射して眠ってしまうのだった。なにも食べさせてもらっていないナタリーは、母親の寝ているすきに売春で得たお金をくすねて、マーケットに一目散に走っていって、自分と小さな妹のために食べものとミルクを運んだ。ナタリーは学校にいるときも、つねに、妹がお腹をすかせていやしないか、そして母や母の恋人から虐待を受けていやしないか、心配だった。
ドミニクやナタリーのような子どもたちが青年へと育ったとき、どんな障害が彼らを待ちうけているのだろうか。
この本は、虐待を受け、親から離されて育った子どもたちの成長と、そして、彼らが大人になっていく過程で遭遇する、あらゆる決別と出会いと困難を描いたものだ。
*
私がこの国で初めて得たソーシャルワークの仕事は、カリフォルニア州立精神科病院のソーシャルワーカーだった。南カリフォルニア、カマリオ市の山のすそ野に位置するその病院には、子どもから大人までの最重度の精神疾患の患者が、最新治療を受けるために長期入院していた。私は、第七十病棟の十代の女の子たち十六名のセラピーとケースマネジメントをまかされた。(中略)
私はそれから、カリフォルニア州の少年院で働き、地域のカウンセリングセンターやティーンの救急相談センターでも働き、公立学校内の精神保健プログラムの仕事にもついた。私がこの十三年間に出会った子どもたちのほとんどが、なんらかのかたちで、精神的、肉体的、そして性的な虐待を受けていた。私は彼らとの仕事のなかで、アメリカが直面している「暴力」という問題を日々、考えさせられた。この豊かであるはずの国の、家庭というもっとも小さな核のなかで、傷ついている弱者のあまりにも多いことに、そしてこの国の子どもへの虐待の浸透に、あらためて驚かされていた。
二〇〇〇年一月、私はソーシャルワーカーとしての究極の仕事にめぐりあう。大学院で児童福祉を専攻し、かねてから郡の児童保護局での仕事を志願していたが、私の住むベンチュラ郡の児童福祉ソーシャルワーカーに空きができたことからその希望がかなった。郡の職員として採用された私は、すぐに、グループホーム・ユニットという部署に配属された。グループホーム・ユニットでは文字どおり、数人のソーシャルワーカーたちが、グループホームで生活している子どもたちのために仕事をしていた。
親の虐待がもとで里子施設などに保護された子どもたちの約半数は、いずれ親元に戻っていく。里親や親類のところに成人するまで住む子や、養子縁組される子も大勢いる。しかし、私が約四年間に担当した、三十人あまりのグループホーム・ユニットの子どもたちは、そうした「大半の里子」たちとは状況を異にしていた。
彼らは小さいときに最悪のケースの虐待を受け、児童保護局に身柄を引きとられ、里親家庭を転々とし、グループホームにやってきた。心傷の深さとトラウマの深刻さからひき起こされる行動の難しさのため、里親は彼らのニーズに応えきれず、施設で治療を受けることだけが、彼らのオプションとして残された。そして、多くは、ほかの郡やカリフォルニア州以外の州のグループ治療施設に移動させられた。彼らはやがて、施設で、十八歳という法的には「大人になる」年齢を迎え、施設を追われていった。この少数派の若者たちと日々をともにすることは、この国の、また地域の、チャイルド・アビュース(子ども虐待)や児童保護制度、里子に関する政策の縮図をみることでもあった。
*
私はここに、グループホームのソーシャルワーカーとして担当した、五人のフォスターユース(十代の里子)の記録を書いた。ここに書いてある話はみな、本当の話である。「小説より奇なり」という言葉どおり、彼らのことを書くために何かを創作したり、作り変えたりする必要はまったくなかった。彼らの人生の真実がしばしば小説より不可思議に思えるのは、彼らの生い立ち、おかれた状況そのものが、胸を貫くようなインパクトをもって訴えかけてくるからだった。そして私は、そんな子どもたちの鼓動と息吹が伝わるように書きたいと思った。
第一章「アンジェラ」では、四歳の少女・アンジェラがソーシャルワーカーの手で実親から離されたときから、数かずの里親家庭や施設を体験して思春期にいたるまでの過程を追い、ひとりの被虐待児が児童保護裁判所のシステムをくぐりながら、里子となるまでのプロセスを詳しく描いた。また、この章にはアメリカの子ども虐待の現状や、現在の里子措置の動向などもふくまれている。
第二章「ジェシー」では、幼年期に受けた暴力やネグレクトがしだいに彼の人格や行動に影響をおよぼし、やがて十八歳でフォスターケア制度の保護システムを追われるまでの、青年ジェシーの変貌を見つめることで、現在、アメリカのフォスターユースが抱える悩みやその政策を描いた。アメリカの児童保護制度と少年司法制度の密接なつながりのほかに、フォスターケア政策の歴史と児童福祉の方針・対策の問題点もふくまれている。
第三章「ヴェロニカとラクウェル」では、双子の被虐待児たちが、困惑と絶望、逃避と決断のくり返しのなかから、人生の答えと目標を見つけだしてゆく五年間の道程を描いている。このふたりの少女の体験の記録とともに、性暴力、ドメスティック・バイオレンス(DV)などのファミリー・バイオレンスと子ども虐待との接点を探り、十代の妊娠・出産・子育ての現状、母子家庭に対するアメリカの政策の過去と現在、そして子どもの貧困化と児童福祉の関係を、この章に織りこんだ。
第四章「ルーカス」では、精神医療と児童福祉システムのくり返すエラーの呪縛のなかで奮闘する少年ルーカスと、彼の未来への指針を描いている。現在のアメリカの被虐待児に対する精神科治療と、子ども虐待防止のための革新的なプログラムも紹介して、フォスターユースに、いま、本当に必要なものは何かを提起する。
*
日本でも頻繁に、虐待やネグレクトの事件が報じられている。子ども虐待が社会の深刻な問題になってきていることは間違いない。二〇〇〇年に児童虐待防止法が施行されるようになった日本は、いま、スタートラインに立っているといえる。
アメリカが虐待通報を義務づける法律をつくってから三十余年がたち、子ども虐待に関しては、この国はありとあらゆる経路をたどってきた。たくさんの間違いもおかした。あるときは子どもたちを危険な目にあわせ、あるときは親を見限り──。子どもを保護するというもっとも難しく複雑な仕事において、この国が試行錯誤してきたことを「アメリカの体験」としたとき、日本がその体験から学べることがあるはずだと私は思っている。
アメリカはいま、戦争をし、世界に強者としての姿を誇示しようとしているあいだに、国家のいちばんの財産であるべき「子ども」のことを、後まわしにしてしまっている。選挙権もない弱者としての子どもは、いっそう不利な立場に追いこまれてゆく。子どもに虐待を加える加害者の親たちも、自身が過去に虐待を受けた被害者であったり、貧困や子育ての困難にあえいでいたりする点からみれば、彼らもまた弱者の一員である。とり残された弱者をどうやって救い、どのように安全な環境をとり戻してゆくか。それは日米共通の課題だと思う。
虐待の半数以上が、統計上では女たちの手によってなされている。だが、その統計の数字は、女性たちのおかれている現実を説明してはいない。子育てをひとりで背負わざるをえなかった母親たちが、孤立し、援助も届かない密室のような状態のなかで、子どもを虐待するまでに追いつめられているという構図は、日本もアメリカと酷似してはいないだろうか。
最近、オフィスを離れたベテラン・ソーシャルワーカーのW氏は、私に児童福祉のあらゆる方法を教えてくれた同志だった。
「この国は、面目上は経済大国。この、世界でいちばん強いはずの国で、黒人の男の子の四人に一人が大人になるまえに殺されるか、拘置所に入れられる。そんな国の子どもと、ある名もない国の小さな村の子どもと、きみはどっちが本当に安全だと思う?」
それが、彼が私に言い残した最後の質問だった。W氏は、この国の児童福祉に未来はないという悲観のもとに児童保護局を去った。
私はW氏の言葉を真剣に受けとめた。だが、私がアメリカに住みつづけ、児童保護の仕事をすると決めた理由は、この国の人たちの楽観主義と、粉骨砕身して新しいアイデアを編みだしてゆく心意気に感心したからでもある。アメリカの児童保護活動は、いままたひとつの大きな転換期にいたっている。地域をあげて、人びとは防止対策に励みはじめた。日本もいま、子どもたちの安全に目を向けるとするなら、そんなアメリカから吸収できることはあるにちがいない。
私の勤めるベンチュラ郡・児童保護局のオフィスは、太平洋からの風が届く広大な二十四エーカーの土地に抱かれた、カーサ・パシフィカという児童保護と精神科治療の総合施設のなかにある。ベンチュラ郡の児童保護局には、千二百人あまりの虐待を受けた子どもたちのために、八十人のソーシャルワーカーが、四つのオフィスに分かれて働いている。(中略)
三十年間を児童保護の仕事に身をささげた私の上司、サリー・オブライアンは、このグループホーム・ユニットでの私の初仕事の日に言った。
「この子たちには、ほんとにだれもいないの。あなたがこの子たちの親になるんだよ」
その言葉を、少し強すぎる海からの風が入るオフィスの窓ぎわに座って、いま、思い起こしている。
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上記内容は本書刊行時のものです。