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ヒトラー、ゾルゲ、トーマス・マン クラウス・H・プリングスハイム(著) - 彩流社
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ヒトラー、ゾルゲ、トーマス・マン (ヒトラーゾルゲトーマスマン) クラウス・プリングスハイム二世回想録

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発行:彩流社
四六判
389ページ
上製
定価 3,500円+税
ISBN
978-4-7791-1288-1   COPY
ISBN 13
9784779112881   COPY
ISBN 10h
4-7791-1288-5   COPY
ISBN 10
4779112885   COPY
出版者記号
7791   COPY
Cコード
C0023  
0:一般 0:単行本 23:伝記
出版社在庫情報
在庫あり
初版年月日
2007年11月
書店発売日
登録日
2010年2月18日
最終更新日
2014年12月19日
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紹介

ベルリン・東京・アメリカからカナダにふるさとを求めて漂流した、トーマス・マン夫人の甥で、高名な音楽家クラウス・プリングスハイム一世(東京芸大、武蔵野音大教授)の息子プリングスハイムの波瀾にとんだ自叙伝。

目次

口絵
はしがき 
プロローグ 
第 1 章 ベルリンの「憎まれ小僧」 
第 2 章 ドイツよ、さらば! 
第 3 章 お前のゲシュタポ・ファイルを見たぞ 
第 4 章 ニイタカヤマノボレ 
第 5 章 原子爆弾とはいったいなんだ 
第 6 章 大日本帝国陸軍から進駐軍へ 
第 7 章 ナオコ 
第 8 章 トーマス・マン家の居候 
第 9 章 タクシー運転手の女難 
第 10 章 お前は学歴がないな 
第11章 あの人はお父さんなんかじゃない 
第12章 押しかけ女房 
第13章 新妻の名はシューピン 
第14章 カナダにふるさとを求めて 
第15章 ハンス小父さん 
エピローグ 
附録 回想録余話──クラウス・プリングスハイム二世が語る戦前戦後の秘話 
原注 
参考文献と注釈 
関連年表 
訳者あとがき 
索引 

前書きなど

   はしがき

 これは激動の二〇世紀を生き抜いた一人の男、著名な指揮者でグスタフ・マーラーのアシスタントであったクラウス・プリングスハイム一世の息子、クラウス・プリングスハイム二世の生涯を描いた書である。彼はミュンヘン大学の高名な数学者アルフレート・プリングスハイムの孫であり、またノーベル賞を受賞したトーマス・マンの甥でもある。この物語は劇的な変転、スリルとサスペンスに満ちており、ユーモアと感動と悲劇もあり、個人の辿った人生行路のうちでも破格のものである。
 プリングスハイムはアドルフ・ヒトラー興隆時のベルリンで少年期を過ごした。兵役を逃れるために来日し、第二次世界大戦の勃発によって日本から出られなくなり、徴兵登録のため出頭せよとのドイツ大使館の命令を拒否し、欠席裁判で死刑判決を受ける。B29による東京猛爆撃のさなか、スパイ容疑で収監され、吊されるかも知れないという恐怖の末、広島・長崎への原爆投下に続く終戦によって一命を取り留め、進駐軍の新聞検閲班員として働き出す。
 一九四六年、彼はパシフィック・パリセーズに亡命していた叔父トーマス・マンを頼ってカリフォルニアへ移住し、タクシー運転手などの職歴を経てアメリカ陸軍での四年間に亘る兵役の末に米国市民権を獲得し、貿易会社員、真空掃除機のセールスマン、工員などを経てついに学者となり、カリフォルニア大学、ついでコロンビア大学を記録的に優秀な成績で卒業するに到る。
 プリングスハイム氏はオンタリオ州ハミルトンのマクマスター大学名誉教授であり、日加貿易協議会の理事長でもあった。原書の共著者であるヴィクター・ボーゼン氏はもとシカゴ警察担当の記者であり、八冊の書物の著者でもある。その後軍関係の記者となったのでプリングスハイムとは軍隊で知己となった。彼らは一九四五年の運命の日に出遇ったのである。


   プロローグ

 戦争が終わり、日本の占領が開始された。東京から約八〇キロメートル離れたところにある日本最高の機密に守られた海軍基地横須賀にアメリカ海兵隊が大挙して押し寄せ、迅速に上陸して警戒態勢を敷いた。
 陸上では、そうした奔流のような上陸軍からやや離れて、一人の青白いやせこけた白人がつんつるてんの軍服を身に着けて日本軍将校の一団と並んで立っていた。上着の袖が肘まで、ズボンが膝までしかないその男の格好は全く変てこなものだった。
 一台のジープが彼らの傍に来て停車した。後部座席にはもじゃもじゃの茶色い口ひげを生やし帽子に戦時特派員を表す「C」の記章をピンで留めた不恰好な男が乗っていた。「第四警備隊の第二大隊の宿舎はどこだ?」
 件のノッポ男がこの質問を日本軍将校に伝え、答えを返してやる。彼が話しているのを訊いて興味深げにひげの大男が身を乗り出して尋ねる。
「一体全体お前は何者だ?」
「私は通訳です」
「判っておる。だが、そんなおかしな日本の兵隊服なんか着て何をしておる? 何故日本軍で働いているのだ?」
「長い話になります」とノッポが答える。
 これがその物語である。

版元から一言

   訳者あとがき



 クラウス・フーベルト・プリングスハイムは一九二三年、アドルフ・ヒトラーの茶番に終わったミュンヘン・ビアホール一揆の年に生を享け、激動の二〇世紀を動乱と戦争の渦中に生き抜き、青少年期を母と別れ日本という異国で暮らして刻苦勉励し、そして初志を貫いてカナダを終生のふるさとと定めて学者人生を全うし、アメリカで同時多発テロが発生した二〇〇一年に他界した人物です。
 プリングスハイム二世の生まれた時代は、第一次世界大戦が終わってほどなく、ファシズムやナチズム、それにコミュニズムなどの運動が澎湃として起こってきたときです。一九二四年、イタリア総選挙でのファシスト党の勝利、一九二九年、ソ連におけるスターリン体制の樹立、一九三三年のヒトラーによる政権奪取に続き、一九三九年春、フランコ将軍によるスペイン市民戦争の勝利、などの事件を経て世界は再び大戦争へ突入しました。
 全体主義国家ナチ体制を逃れて、東京音楽学校の教師として単身赴任していた父プリングスハイム一世の許に身を寄せた青年クラウスの運命は苛酷なものでしたが、辛くも戦時下の日本で生き延び、連合軍に加わって通訳や検閲の仕事を通じて勝者の立場から日本のゼロアワーを体験後、米国に亡命中の叔父トーマス・マンの許に身を寄せます。自由の国と憧れてきたアメリカが「マッカーシーの赤狩り」に汚染されるや、マン夫妻もヨーロッパへ帰ってしまい、クラウスは刻苦勉励して学究としての道を歩み、カナダに帰化してマクマスター大学で教鞭をとり、名誉教授の称号を得て、オタワの日加貿易協議会の理事長職を花道に引退して著したのがこの自叙伝です。

          *          *          *

 次に自伝の内容そのものについてですが、ベルリン脱出、日本潜入、ゾルゲや東京ローズとの邂逅、終戦直後の日本軍から進駐軍への鞍替え、無政府状態であった関西方面への視察旅行、憧れの渡米を果たしてマン家に旅装を解いた時点までがハイライトで、その後の話はガクンと落ちるものと思っていましたし、マクマスター大で教鞭を執るようになってからは静かな学究生活が主な記述内容なので、後半は端折って要約したらという知人のアドバイスも受けたのですが、あに計らんや、最終章に到って俄然驚くべき出生の秘密を探り出す作業が詳述され、やはり全章を愚直に訳出してよかったと思いますし、起承転結の妙を得た素晴らしい自伝の雰囲気を少しでも日本の読者に伝えられたらと思っています。
 さらに経済往来の一九九六年八月号に掲載された三輪公忠先生(上智大学名誉教授、元日本カナダ学会会長)とクラウスさんの対談を日本版に加えると読者によりよい背景情報をお伝えできると考えて三輪先生にお願いしたところご快諾を得ましたので、この対談を付け加えることとしました。
 邦訳は英文を基にしていますが、前半と後半では原書の共著者V・ボーゼン氏の関与の度合が異なり、判り難い箇所もあったのでドイツ語版を諸所参照しました。因みに邦訳の題名について付記しますと、英文原書の原書名 “Man of the World―Memoirs of Europe, Asia & North America(1930s~1980s)” もドイツ語版の “Wer zum Teufel sind Sie?” Lenbenserinnerungen” も日本の読者にはやや唐突の感を持たれるのではないかと思いましたので、都内の有名書店主や学生諸君や若いビジネスパーソンに相談したところ、今の時代の若い人々に当時の時代状況を知ってもらうためには、いま少しパンチの利いた表題にした方がよかろうとの意見でありましたので竹内社長の同意を得て思い切って「ヒトラー、ゾルゲ、トーマス・マン││クラウス・プリングスハイム二世回想録」としました。

(社)日本図書館協会 選定図書

著者プロフィール

クラウス・H・プリングスハイム  (プリングスハイム,クラウス・H.)  (

1923年ドイツ生まれ。第二次大戦中、音楽家の父親クラウス・プリングスハイム一世(音楽家、藤山一郎などが東京で教えを請う。この父親についての本に…早崎えりな『ベルリン・東京物語 ~ 音楽家クラウス・プリングスハイム』音楽之友社、1994 /加藤子明『日本の幻想ーー芸術家クラウス・プリングスハイムの生涯』乾元社、1950 がある)を頼り、日本へ、その後、叔父のトーマス・マンが米国に亡命中のためアメリカへ。以後、刻苦勉励、カナダでマクマスター大学名誉教授。オタワの日加貿易協議会理事長職にて引退。2001年、逝去。

池内 光久  (イケウチ ミツヒサ)  (

昭和12年(1937年)東京生まれ、一橋大学経済学部卒。東京海上火災保険(株)、外資系損保勤務を経て、現在共立IBJ(株)顧問、損害保険事業総合研究所、多摩大学大学院、明治大学、大阪女学院大学で講師を勤める。日加協会、日本カナダ学会、日本リスクマネジネント学会、在日カナダ商工会議所、フォーラム・ジャポン・ケベック、オーロラ・クラブ各会員。
著書 『カナダ・ライフ』(彩流社、1993)
訳書 『第三帝国の社会史』(リヒアルト・グルンベルガー原著、彩流社、2000)
共訳書『カナダの旗の下で』(デイヴィッド・バーカソン著、彩流社、2003)

上記内容は本書刊行時のものです。