自然葬と世界の宗教
中村 生雄:編著, 安田 睦彦:編著, 寺尾 寿芳, 塩尻 和子, 三浦 國雄, 櫻井 治男, 廣澤 隆之
発行:凱風社
この版元の本一覧
四六判 256ページ 上製
定価:2,200円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-3211-8 C1039
在庫あり
奥付の初版発行年月:2008年04月
書店発売日:2008年04月15日
※送料は無料です
※版元より営業日2~5日でお届けします
※お支払いは郵便振替(到着後後払い)・クレジットカード(VISA、MasterCard、DC、JCB、AMEX、Diners、Nicos、UFJ)がご利用になれます

紹介

「千の風」に象徴される自然葬は、今や、広く世間に受け容れられている。死者を葬り、死後の世界をどう説明するかは、古来、宗教の大きな役割の一つだった。世界の宗教の多様な教義と歴史から見て、はたして自然葬は何らかの普遍性をもちうるのか。また、現代という大きな時代の変わり目にあって、それぞれの宗教はどのようにして、またどの程度まで自然葬という考えを許容し、実行できるのか——世界の宗教に自然葬の源流を探る。

目次

まえがき——編 者 中村生雄

自然葬の源流をキリスト教に探る——寺尾寿芳
  はじめに
一 自然はどのように理解されてきたか
二 天国はどのように思い描かれたか
三 葬送のあゆみ
四 自然葬の可能性を垣間見せるイギリスとスウェーデン
  おわりに

イスラームの死生観と葬送制度——生者と死者の共生の場——塩尻和子
一 自然も人間も神の被造物
二 世界の創造
三 死をかこむ二つの生
四 終末のとき
五 イスラームの葬送
六 イスラームの墓制
七 イスラームの葬送観から学ぶこと

「自然葬」の源流——中国の場合——三浦國雄
  はじめに
一 中国の墓
二 魂魄のゆくえ
三 土葬と火葬
四 厚葬と薄葬
五 自然葬の源流

神道の葬儀——櫻井治男
  はじめに
一 「神葬祭」理解の難しさ
二 現在の神葬祭の大要
三 神葬祭の成立
四 近現代における神葬祭の流れ
五 神葬祭の自覚について
六 固有の葬儀と旧儀
七 固有の葬法ということ
八 神葬祭と死生観の問題
  おわりに

仏教と自然葬——廣澤隆之
  はじめに
一 仏教ということ
二 自然ということ
三 死と生の共存について
四 新たな葬儀の形式を求めて

現代の問題としての「自然葬」——中村生雄
  はじめに——?自然葬?というネーミングの妙
一 「葬送の自由をすすめる会」の提起したもの
二 「自然回帰」を志向する時代
三 二つの?自然葬?
四 ?自然葬?というネーミングの功罪
五 生態系のなかの?自然死?
  おわりに——現代文明と?自然葬?の意義

市民運動としての自然葬——安田睦彦
一 葬送の自由を求めて
二 墓埋法を廃して葬送基本法を
三 自然葬を選んだ著名人の死生観

前書きなど


まえがき

 昨年の夏、韓国を訪問したとき、ソウルやプサンといった大都市部ではかつてのような儒教思想にもとづく父系先祖祭祀の原則が大きく揺らぎだして、土葬から火葬へと遺体処理の方式が急速に置き換わっている実状をつぶさに見聞できた。公営・民営の区別を問わず、大型の墓苑はどこも巨大な納骨施設をそなえ、基本的に夫婦でワンセットのロッカー式収納スペースに、陶製の骨壺が整然と安置されている。なかには、昨年初めに自殺して話題となった若手女優の遺骨を受け入れて、若者世代に向けて火葬をアピールする施設も出現していた。

 「身体髪膚これを父母に受く」と言い、親から受けた肉身を焼いて灰にするなどは不孝の最たるものであったはずなのだが、都市化が極端に進行した韓国社会では、もはやそれを顧みる余裕も失われ、行政が率先して火葬化の音頭取りをするようになったのである。

 そしてもうひとつ驚いたのは、そうした葬法の変化を加速するかのように、ほとんどの施設で樹木葬を積極的に採用し始めていることだった。

 知られるように、日本では岩手県の一寺院が里山保全の目的も掲げて樹木葬を実施し、それが好評裏に迎えられると、陸続としてそれを追う寺院があらわれ、また近年は自治体の墓苑にも樹木葬スペースがもうけられるようになった。

 九〇年代以来の「人と自然との共生」を謳う環境ブームの流れに乗って、樹木葬では「死者と自然との共生」が高らかに謳いあげられていると言っていいだろう。そしてその影響は、海を越えて韓国社会にも一気に及ぶことになった。

 なつかしい故人の面影を樹木や草花をよすがとして偲ぶ——、そんな現代人の心情において、日本人と韓国人のあいだに何の相違もない。そんなふうに感じ入ってしまったものだ。

 ところが、昨年夏の段階でいちはやく樹木葬を実施していた江華島の伝燈寺を訪ねてみると、韓国の樹木葬が日本のそれとは大いにちがっている点を垣間見ることになった。

 その一。韓国では遺灰を埋めるときに樹木も植えるというのではなく、すでに大きく育っている樹木の根元に遺灰を納めるだけで、植樹の行為はともなわない。

 その二。根元に遺灰を埋めた樹木(伝燈寺ではマツとサワラが主であった)には、幹に銅製のプレートが打ち付けられて、プレートには故人の姓名が彫り込まれる。

 この二点の相違は、日本と韓国との樹木葬が、その名称や形式の類似にもかかわらず、その背景をなす死生観や人間観において、かなりの懸隔をもっていることをしめしているようである。

 前者の相違にかんして言うと、韓国の人たちは、たとえ樹木葬をしたからといって、故人が死後樹木になって生きつづけるとは考えないのだそうだ。日本の樹木葬が、草花や樹木になって生きつづける死者のイメージを前面に押し出しているのとは、大きく異なるようである。

 次に後者の点。日本の樹木葬では、樹木に故人の名を記すということはいっさいしないし、遺骨を埋めた墓域を表示するための標識も目立たない木片にすぎず、死者の固有名は消される傾向にある。韓国ではその反対に、死者の固有名こそがいちばん前面に出ていて、樹木は墓石の代用、肝心なのはそこに銅版で彫り刻まれた墓碑名であるかのようなのだ。

 これはほんの一つのエピソードにすぎないのだが、ことほどさように、異文化間の相違というものは生半可ではない。韓国で樹木葬が盛んになり、中国ではもう以前から長江での散骨が一般化しているというふうに、自然葬を通じた東アジアの交流や連携が視野に入ってきたとはいえ、表面だけを比べて一喜一憂する愚は避けなければならないだろう。ましてや、欧米社会の自然葬の潮流に摺り寄ったり過大評価したりするのも禁物だろう。

 表面的な一致にだけ気をとられて、その背後にひそむ文化伝統や宗教教義を軽視/無視するのは、大いに危ういということなのである。

 さて、本書は当初、「世界の宗教に〝自然葬〟の源流を探る」という目的をかかげて企画された。その趣旨は、あらまし次のようなことであった。

 死者をどのように葬り、死後の世界をどのように説明するかということは、古来、宗教の大きな役割のひとつであった。土葬や火葬という死体処理の方法から始まって、どのような墓をつくり、どのような死者儀礼を実行するか、世界の宗教はそれぞれの救済論、霊魂観念・死後観念の相違に応じて、じつに多様である。また一方、現代世界を強引に巻き込んでいるグローバル化の嵐が、それぞれの宗教に特有の葬法や死生観を大きく変えつつあることも間違いない。

 では、そのような世界の宗教の多様な教義と歴史から見て、はたして自然葬は個々の宗教の差異を越えて何らかの普遍性をもちうるのか。そしてまた、現代という大きな時代の変わり目にあって、それぞれの宗教はどのようにして、またどの程度まで自然葬という考えを許容し、実行できるのか。

 おおよそそんな問題関心から、世界の宗教に〝自然葬〟の源流を探ろうとする試みが始まったのである。

 もちろん、その〝源流〟がはっきりと見出せる宗教もあれば、それが非常に困難な宗教もある。そのことは、本書に寄せられた各章から即座に読みとれるはずである。

 が、何よりも大切なことは、それら諸宗教のあいだの教義上の共通性や差異を既定の事実として学ぶというのではなく、その背景にある人間観や自然観、さらには死後世界のイメージにまで踏み込んで、それぞれの宗教の奥行きを身をもって受けとめることではないだろうか。

 本書の各章が、そのための良質のガイドブックになっていることは、編集にたずさわったものとして大いに自負できるところであり、それぞれに論考を寄せられた執筆者各位に感謝したい。(以下略)

 二〇〇八年二月 編 者 中村生雄

版元から一言

老人の比率が相対的に増大する日本で、山を崩し木を伐採して墓地を造りつづけていいのだろうか。「葬送の自由をすすめる会」は「自然葬」という言葉を発明し、日本初の自然葬を相模灘で実施したNPO法人。

著者プロフィール

中村 生雄(ナカムラ・イクオ)

1946年静岡県生まれ。静岡県立大学国際関係学部助教授、同教授、大阪大学大学院文学研究科教授を経て、現在学習院大学教授。専門は、日本思想史・比較宗教学。
著書に『カミとヒトの精神史』(人文書院)、『日本の神と王権』『折口信夫の戦後天皇論』『祭祀と供犠』(ともに法蔵館)、共編著に『いくつもの日本』(全7巻、岩波書店)、編著に『思想の身体・死の巻』(春秋社)など。

安田 睦彦(ヤスダ・ムツヒコ)

1927年愛知県生まれ。東京大学法学部卒業。朝日新聞記者として社会部デスク、編集委員などを経て1986年に退職後は、フリージャーナリストとして水問題に取り組む。1991年に「葬送の自由をすすめる会」を結成して会長に就任し、日本における自然葬実施に道を拓く。
著書に、『節水革命』(新時代社)、『墓なんかいらない』(悠飛社)、『お墓がないと死ねませんか』(岩波書店)、共著に『墓からの自由』(社会評論社)、「お墓大討論」(季刊『仏教』38、法蔵館)、『葬送の自由と自然葬』(凱風社)など。

寺尾 寿芳(テラオ・カズヨシ)

1961年大阪府生まれ。南山宗教文化研究所非常勤研究員、南山大学非常勤講師。博士(文学)。神学(諸宗教の神学)・宗教学・人間学・比較文明学専攻。
著作に「文化と霊性——現代カトリック教会宣教論の分水嶺」(『宗教研究』326号、日本宗教学会)、「英霊信仰と聖徒の交わり——和解の人間学」(『人間学紀要』33号、上智人間学会)など。

塩尻 和子(シオジリ・カズコ)

1944年岡山市生まれ。筑波大学大学院人文社会科学研究科哲学・思想専攻、教授。筑波大学北アフリカ研究センター長を経て、筑波大学特任教授。
最近のおもな著書に、『イスラームの人間観・世界観』(筑波大学出版会)、『イスラームを学ぼう』(秋山書店)、『リビアを知るための60章』(明石書店)、『イスラームの倫理——アブドゥル・ジャッバール研究』(未來社)、共著に『イスラームの生活を知る事典』(東京堂出版)、『グローバル時代の宗教間対話』(大正大学出版会)、など。

三浦 國雄(ミウラ・クニオ)

1941年大阪生まれ。大阪市立大学文学部・中国学科卒。現在、大東文化大学文学部・中国学科教授。中国思想史、道教、東アジア比較文化論専攻。
著書に『朱子』(講談社)、『王安石』(集英社)、『易経』(角川書店)、『中国人のトポス』(平凡社)、『朱子と気と身体』(平凡社)、『不老不死という欲望』(人文書院)、『風水・暦・陰陽師——中国文化の辺縁としての沖縄』(榕樹書林)、『風水講義』(文春新書)、共編著に『風水論集』(凱風社)、監訳に『通書の世界』(凱風社)など。

櫻井 治男(サクライ・ハルオ)

1949年京都府生まれ、皇學館大学社会福祉学部教授、博士(宗教学)。日本近代における神道・神社と地域社会の関係について調査研究を行なうと共に、近年は神道と福祉文化、宗教の社会貢献活動の研究を進めている。
著書に『蘇るムラの神々』(大明堂)、共著に『鎮守の杜を保育の庭に』(学習研究社)、論文に「神社神道と社会福祉」(『現代宗教2002』、東京堂)、「家郷社会の変貌」(『岩波講座 宗教6 絆』)など。

廣澤 隆之(ヒロサワ・タカユキ)

東京都八王子市生まれ。大正大学人間学部教授。大正大学大学院博士課程で宗教学専攻を修了、後に仏教学を志す。瑜伽行唯識派の教理とそれに関連するインド大乗仏教の宗教哲学的研究を中心に、日本仏教の展開にも関心をもつ。
著書に『図解雑学 仏教』(ナツメ社)、『《唯識三十頌》を読む』(大正大学出版会)、『瑜伽師地論 梵—蔵—漢対照 蔵—梵—漢対照 仏教語辞典』(山喜房仏書林)、共著に『曼荼羅図典』(大法輪閣)、『梵—蔵—漢対照 瑜伽師地論総索引』(山喜房仏書林)など。

※送料は無料です
※版元より営業日2~5日でお届けします
※お支払いは郵便振替(到着後後払い)・クレジットカード(VISA、MasterCard、DC、JCB、AMEX、Diners、Nicos、UFJ)がご利用になれます


タグで関連している本:

コメントとトラックバック »

まだコメントとトラックバックはありません

TrackBack URI : http://www.hanmoto.com/bd/isbn978-4-7736-3211-8.html/trackback/

コメントをどうぞ

お寄せいただいたコメントは、当サイトに掲載されますが、内容によっては削除させていただく場合がございます。なお、コメントへの回答は原則としていたしておりません。当サイト・著者・各版元へのお問い合わせの際は、お問い合わせフォームをご利用下さい。

▲ページの上端へ