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徳川光圀
悩み苦しみ、意志を貫いた人
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2015年1月
- 書店発売日
- 2015年1月31日
- 登録日
- 2015年1月23日
- 最終更新日
- 2015年1月23日
紹介
権威に屈せず、民に仁政を施したとする徳川光圀は名君として誉れが高い。しかし一方では、困難や矛盾を解決できず、煩悶したのである。本書では、光圀の世子決定事情、初政の人事、西山隠棲、寺社整理などを通して、悩み苦しみながらも意志を貫き通した生身の人間としての光圀像を描く。
目次
まえがき
第一章 世子決定事情
一 光圀世子決定の問題点
二 頼房と側室たち
三 頼重と光圀の誕生
四 世子決定
五 父に愛されなかった光圀
第二章 初政の人事
一 問題の所在
二 役方の人事
三 番方の人事
四 寛文三年九月一五日の人事
五 初政の人事の意義
第三章 苦悶の西山隠棲
一 西山隠棲の問題点
二 藩政の混乱
三 思想的挫折
四 綱吉批判
五 隠退事情1、綱吉の警告
六 隠退事情2、健康問題
七 光圀の隠居は処罰
八 苦悶の西山隠棲
第四章 寺社整理と村落
一 研究史と問題点
二 寺社整理の方針
三 寛文初年の上伊勢畑村の実態
四 整理事業の進行と民衆の抵抗
五 寺社整理の終焉と宗教統制政策の改正
あとがき
初出一覧
前書きなど
まえがき
本書は拙著『水戸光圀の時代――水戸学の源流』(校倉書房、二〇〇〇年)の続編です。もし前著をお読みでないとしたら、お読みになることを希望します。
前著において私は、光圀の思想の解明に力点をおいた。そのためには、政治史的分析や農村分析も行った。本書ではそれと違って、光圀はなぜ悩まなければならなかったのか、苦しみ、それにもかかわらず志を立て、それを貫いた点を考えてみた。光圀の個人的心情の問題である。この種の問題は、儒教的道徳主義者であった光圀は、偉人であり人格者であるとされて、ほとんどまともに考察されることはなかった、といえる。
光圀が矛盾に陥り、悩み苦しんだ点に関しては、前著においても一八歳のときの立志の分析や、思想的には南朝正統論を合理化できなかったなど、和漢の折衷という難問に突き当たったこと、藩主としては農村を荒廃化させ、財政を破綻させたことを指摘した。本書においては、以下の四章によって、一方では光圀が悩み苦しんだ理由とその実態、それにもかかわらず意志を貫き通した点を考察する。
第一章「世子決定事情」では、歌舞伎者であった父頼房は正室をもたずに八人以上の側室をもった。そして、公認されただけでも二六人の子をもうけた。そのなかで久昌院谷久子の生んだ兄頼重と光圀は、流産を命じられた。この問題を考察して、頼房には家庭的な愛情が欠けていたことを指摘した。(……)
第二章「初政の人事」では、儒教的道徳主義者にふさわしく、光圀は三年の喪を行って父の道を改めず、とくに人事には寛文三年(一六六三)九月一五日まで手を着けなかったとされるのに対して、水戸藩士の家譜集である『水府系纂』を厳密に分析することによって、そうではないことを明らかにした。すなわち、襲封直後の元年八月に老中の人事を行い、二年九月に奉行(若年寄にあたる)以下の役方の人事を行い、そして三年九月に番方の人事を行ったのである。(……)
第三章「苦悶の西山隠棲」においては、光圀の西山荘(現茨城県常陸太田市新宿)における隠棲生活は悠々自適であったとされる通説に対して、そうではなく苦悶の生活であったと論じた。藩主時代の光圀はさきにも述べたように、政治的に失敗し、思想的に矛盾に陥っていた。そのうえ、将軍綱吉の悪政である。光圀は政治的にも道徳的にも綱吉を批判したが、生類憐みの令以後は、それが日常化してしまった。そしてついに、光圀は事実上の処罰といえる隠居に追い込まれた。(……)
第四章「寺社整理と村落」においては、上伊勢畑村(現茨城県常陸大宮市上伊勢畑)の関連史料を使って分析した。その期間は、普通いわれているのとは違って、寛文三年(一六六三)から、寺社奉行を廃止した元禄九年(一六九六)までであると指摘した。この改革の目的は幕府の宗教政策に準拠して、一つには小寺の整理と宗門改の強化にあった。(……)
本書は、光圀の研究として新しい視点・新しい方法に立脚し、そして「義公行実」や『桃源遺事』などの光圀研究の基本文献とされてきたものに、厳密な史料批判を加えることによって作成されたものである。
上記内容は本書刊行時のものです。