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大惨事(カタストロフィー)と終末論
「危機の預言」を超えて
原書: Du bon usage des catastrophes
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2014年4月
- 書店発売日
- 2014年4月10日
- 登録日
- 2014年4月3日
- 最終更新日
- 2014年4月10日
紹介
突如、襲う天変地異や産業的大事故。こうした大惨事(カタストロフィー)に乗じ、動揺する人々を利用すべく、繰り返し登場する終末論的言説の本質とは。危機の時代、ショック・ドクトリンを乗り越える智慧はもてるのか。伝説的な革命家レジス・ドブレが語る。
目次
日本の読者へ
第1章 回帰
第2章 覚書
第3章 最悪は最善に
第4章 若き預言者への手紙
第5章 短い方法序説
第6章 反歌
訳注
解説 カタストロフィーと未来への責任[石田英敬]
前書きなど
日本の読者へ
日本の読者には前もって言っておかねばならないが、醒めていると同時に醒めさせもするこの小著のタイトルは逆説である。問題を風刺的な反語をもって人々に投げかけるのは、ヴォルテール以来の極めてフランス的な伝統だ。タイトルの「正しい用法」が指しているのは、新しい神学者や預言者、占い師、哲学者、イデオローグによる、自然的・産業的カタストロフィーの擁護論的濫用のことである。これらの不幸の預言者たちは、天変地異や災禍を直接、映し出すことで引き起こされる感情に乗じて、黙示録――ヨハネがその預言の書において描き出し、西洋の集団的無意識に存続している世界の終わり――の超自然的な太古の神話を現代のニュースで再利用しているのだ。このような千年王国思想の観点では、災害は天罰となり、罪を贖い、一刻も早く、キリスト教に改宗するよう命ずるものである。その場合、被害者は、知らぬ間に罪ある者となり、生き残った者はみずからの罪を認めねばならなくなる。本書は、このようなイデオロギー的な恐怖のやり取り、そして、災害の誘惑に対して立ち上がったものである。その意味で、カタストロフィーそのものというより、カタストロフィーをめぐる現象(破局論 catastrophisme)を対象としている。
しかしながら、わたしは、このような極めてフランス的な議論を超えて、カタストロフィーの正しい用法が存在するのを確信している。ここで問題にしているのは、復興から利益を得る財界人や公共事業者にありがちな「創造的破壊」なのではない。わたしが指摘しているのは、ひとつの歴史的事実である。それは、人間は目も眩むような想定外の恐るべき不幸からかならず復活しえたということだ。エルサレムやローマ、アレクサンドリア、カルタゴ――戦争や大火、洪水、旱魃によって何度も破壊され大被害を受けてきた――は、記憶の場であるだけでなく、生の場であり続けている。一七五五年以後のリスボン、一九三九年以後のワルシャワ、一九四五年以後のヒロシマ、一九六二年以後のアガディールは再建されたのだった。フクシマもまもなくそうなるだろう。これらの恐ろしい災厄が果たす警告的で教育的な役割は、集団的な無意識に終止符を打ち、既存の権力の秘密や誤った展望を暴き出し、新しいテクノロジーが生み出す陶酔を鎮めることができるのならば、救済と考えることさえできるものだ。予防原則だけでなく、地上のあらゆる生命に内在し、都市システムの複雑さや巨大さとともに増大する一方のリスクの現実を思い出させることは、この繁栄を謳歌する都市のただ中で、熟考するにふさわしい教訓となるものだ。肉体の弱さと魂の力。この相反するものの結びつきについて、日本はわれわれすべてに素晴らしい模範を示してくれたのである。
上記内容は本書刊行時のものです。