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記憶の川
在日二世を生きる
- 出版社在庫情報
- 品切れ・重版未定
- 初版年月日
- 2004年10月
- 書店発売日
- 2004年10月25日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2024年2月26日
紹介
著者の父は韓国の済州島でうまれ日本へ。戦後アルミ加工の会社を設立、財をなした。愛子はその裕福な家庭に生まれる。豊山愛子からチェ・エジャに至る精神形成過程とガン手術後、復帰までの壮絶なたたかい…。
目次
まえがき
1父と母の島―済州島
刃の風―ソウルにて
農場と諏訪の街
長島愛生園
2父とハーレーに乗って
自分の旗
ビートルズとベトナム戦争と文化大革命
午後の書斎
3平野川の流れとともに
秋涼雑感
生きる力
朝鮮語と私
いま、私は
前書きなど
私は日本名から本名を名乗るまで、長い時間を要した。それは一言で言うと人間の尊厳について無知であったからだ。自分は何者なのかと問う長い旅路の末、二六歳のとき祖国のことばを取り戻すため、朝日新聞カルチャーセンター朝鮮語講座に入った。しかしそのときも日本名・豊山愛子で登録した。そして最初の授業の日、自己紹介が始まり私の番が来た。私はふと「祖国のことばを学ぶなら、祖国の名前がいいんじゃないか」と思い、「崔愛子」をはじめて使った。
こうして韓国語と格闘しているうちに一年が過ぎた頃、「ことばだけ勉強しても身につかない。その国の水や空気にふれながら、生活しないと語学は習得出来ないのではないか」と思うようになり、その気持は日増しに強くなり、三〇歳を目前に私はソウル留学を決意した。そして父から学費と生活費の援助を受けて、一九八〇年九月延世大学韓国語学堂に入学すべく、ソウルへと旅立った。
このようにして私は豊山愛子から崔愛子となり、祖国のことばを自在に話せるようになった。そこまでに至る私の精神の形成、それは、とりもなおさず弱者の眼を通して、日本社会を映し出したものと言えるだろう。
日本で生まれた朝鮮人二世である私が朝鮮人でありつづけるという、この当たり前のことが、強い勇気だけでなく日常生活のなかで、たゆみない努力を必要とするものだと思いしらされた。しかしまた、この社会で私は同胞・日本人を問わず、多くの人との出会いを通して、生きる喜びを得たのも事実である。
振りかえれば、挫折につぐ挫折の日々であったが、そのたびに〈あの高いところ〉を目指して再び立ちあがれたのは、父と母のことばである。「ええか、わたしらは何も悪いことはしてない、いつも堂々とせなあかんで。人間はまっすぐに生きていかなあかん」
崔 愛子
版元から一言
豊山愛子からチェ・エジャに至る精神形成過程とガン手術後、復帰までの壮絶なたたかい…在日二世として生きる著者の魂の叫び。感動の自伝エッセイです。
上記内容は本書刊行時のものです。