発行:凱風社
この版元の本一覧
四六判 402ページ 上製
定価:4,000円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-3207-1 C3022
在庫あり
奥付の初版発行年月:2008年03月
書店発売日:2008年03月15日
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紹介
1941年末に日本軍が占領するまで、香港の大学生・中学生・小学生は11万人を数えたが、45年の敗戦時にはわずか3000人になっていた。本書は、当時就学期の児童だった18人が共に暮らした家族のことや、占領期に見たり体験したことを語った口述記録であり、歴史学研究や教育学研究の基本素材として、また、学校教育を通じた人格形成に戦争や占領がどんな響を与えたのか、体験を通して考えるための貴重な記録である。原著はオックスフォード大学出版局刊行。
目次
【序】
(一)陸鴻基[カナダ・ヨーク大学歴史学部元教授、香港教育学院元副学長]
(二)蔡宝瓊[香港中文大学教育学院副教授]
(三)關禮雄[香港占領史研究家]
【はじめに】
【証言 十一万から三千へ】
●蔡松英[女性。主な居住地——新界・烏蛟騰。祖籍地は広東省・仏山。一九二五年、香港生まれ]
●劉錦文[男性。主な居住地域——新界・西貢。先祖代々、西貢・沙角尾村に暮らす。一九二〇年、西貢生まれ]
●譚月華[女性。主な居住地域——九龍・深水ホ。祖籍地は広東省・開平。一九二二年、廣華病院にて出生]
●霍ケイ馨[女性。主な居住地域——九龍・深水ホ。祖籍地は広東省・南海。一九二九年、広州で生まれる]
●周 奕[男性。主な居住地域——九龍・深水ホ。祖籍地は広東省・中山。一九三三年、香港生まれ]
●彭秀歓[女性。主な居住地域——九龍・旺角。祖籍地は広東省・東莞。一九二八年、香港で一人娘として生まれる]
●李妙卿[女性。主な居住地域——九龍・旺角。祖籍地は広州市白雲区・石井。一九二五年、香港で生まれる]
●彭永福[男性。主な居住地域——九龍・旺角。祖籍地は広東省・番禺。一九三四年、香港生まれ]
●李崇健[男性。主な居住地域——九龍・油麻地。祖籍地は広東省・開平。一九二〇年、香港で生まれる] 179
●麦穂林[男性。主な居住地域——九龍・油麻地。祖籍地は広東省・東莞。一九二九年、香港生まれ]
●黄樹芬[女性。主な居住地域——香港島・西営盤。祖籍地は広東省・中山。一九三一年、香港・国家医院で生まれる] 200
●李広林[男性。主な居住地域——香港島・中環。祖籍地は広東省・高要。一九三七年、広州生まれ] 216
●麦淑堅[女性。主な居住地域——香港島・上環。祖籍地は広東省・鶴山。一九二七年、香港に生まれる] 223
●呉志倫[男性。主な居住地域——香港島・上環。乳名は阿蝦、またの名を呉志麟。一九三四年、広東省・順徳生まれ]
●?雪芬[女性。主な居住地域——香港島・湾仔。祖籍地は広東省・三水。一九二七年、香港生まれ]
●列航飛[男性。主な居住地域——香港島・湾仔。祖籍地は広東省・増城。一九三〇年、南京で生まれ、幼時は南京で教育を受ける]
●黄子玲[女性。主な居住地域——香港島・湾仔。祖籍地は広東省・順徳。一九三二年、香港に生まれる]
●董煥流[女性。主な居住地域——香港島・湾仔。祖籍地は広東省・肇慶。一九三六年生まれ]
【原注+訳注】
【写真提供者一覧】
【付録 報道資料選】
(一)戦前
(1)香港の教育
(2)香港の書店
(3)香港所在の中国認可校の生徒募集一覧
(4)香港教育司署発表は計画す 中文初等教育を発展
(二)占領期
(1)香督令第十五号
(2)香督令第十六号
(3)授業再開の各校は英語授業を徹底廃止せよ
(4)各日本語学校校長、昨日長尾課長を歓送
(三)抗戦勝利後
(1)各校責任者、目前の苦境訴え
(2)戦後学生が激増、総数八万名を超える
【参考文献】
【訳者あとがき】
【索 引】
前書きなど
はじめに
抗日戦争に勝利して以来、ちょうど六〇年が経った。この間、香港の被占領史にまつわる一次資料は決して豊富とは言えない。本書はインタビュー形式を採り、教育をめぐる個人の経歴を主題に、失われ行くオーラル・ヒストリーのデータを救い出して抗日戦争の歴史に関する証言をひとつでも多く残そうとする試みである。それを通じて、日本の軍国主義が香港住民を含む幾千万の中国人、ひいてはアジアの人民にもたらした種々の災難を、次の世代に忘れずにいてほしいと願うものである。
一九三一年、日本は「九一八事変」[柳条湖事件=満洲事変のこと]を発動して中国東北部に侵略した。一九三三年二月にはさらに熱河を占領し、同年四月になると長城領内に侵攻した。一九三五年には「華北事変」を起こして、華北の併呑を企てた。一九三七年七月七日の「盧溝橋事件」により、全面的な抗日戦争が始まる。抗戦初期においては、一部の沿海地域の大都市が不幸にも相次いで日本軍の手中に落ちた。一九三七年一一月の上海陥落に続き、一九三七年一二月一三日には日本軍は南京に侵入し、六週間に及ぶ「南京大虐殺」を繰り広げた。一九三八年一一月には、広州も陥落する。
日本軍による絶え間ない侵攻の結果、大量の難民が南の香港へと押し寄せ、香港の人口は一九三七年の約一〇〇万から一九四一年の一六〇万余りへと急増した。同時に、香港は中国内地への重要な物資中継基地として、内地の抗戦を支援する役回りをも帯びた。
三〇年代の香港の学校には、伝統的な塾師が主宰する私塾、私立の中文学校、それに官立英語学校などがあった。クイーンズ・カレッジ、ベリリオスなどの官立英文中学はイギリス式の八年制の学制を採用し、最高学年は大学予科の学年であった。中文学校は多くが内地の教育部の政策に沿って小学校六年・初級中学三年・高級中学三年の「六三三」制を採用し、香港での登録のほか、多くは広東省教育庁または僑務委員会の認可を受け、教育部に登録されていた。抗戦が一段落すると、大量の知識人や教師が内地から香港に南下して来て、培正、培道、華英、嶺南などといった内地の学校も続々と香港に移転し、香港の教育と文化の発展を推進した。当時、香港の学生の多くは、寄付や合唱団などの活動を通じて抗日救国事業に積極的に身を投じた。
一九四一年一二月八日、日本軍は香港を襲撃した。一二月二五日のクリスマスに、当時のヤング香港総督は日本軍に降伏し、一八日間の香港攻防戦に終止符を打った。こうして、香港は三年八ヶ月の被占領期に入ったのである。それは香港の歴史上、最も凄惨な暗黒の一ページであった。人口は激減し、あらゆる産業は冷え込んで活気を失い、至るところ戦災の被害に遭って流浪する人であふれた。また、香港の教育はほとんどすべて機能を停止してしまい、多くの校舎は破壊の憂き目にあった。小中学校の数は大幅に減少し、児童生徒数も一九四一年の一一万二〇〇〇人余りから一九四五年の約三〇〇〇人へと激減した。児童生徒の大多数が、学校生活を奪われてしまったのである。そして、高等教育も全面的に機能を失った。
被占領期における香港の教育は、明らかに奴隷化教育を特徴とし、いわゆる「大東亜の聖戦」を宣伝する色彩を帯びていた。当時の日本軍は総督部管轄下の民治部に文教課を設置し、ここが教育行政を主管するとともに、日本の軍国主義を美化する新たな教科書を編纂し、各学校に採用を命じた。同時に英語の使用を禁じ、すべての学校に対して日本語科目の必修化を規定し、さらに「日本語教員養成所」を設立して日本語教員の養成に当たった。各種の私立日本語学校も続々と誕生した。
一九四五年八月一五日、日本の天皇が無条件降伏を宣言し、艱難の抗戦はようやく終結した。その後、香港の人口は回復し、教育も徐々に復興の道をたどった。一九四六年一〇月には、児童・生徒数は八万人以上にまで増加している。
本書に登場するインタビューの語り手は、若干高齢の数名の方を除き、皆さん占領期には幼少で、ちょうど学齢期にあたる年齢であった。教育とは本来、人間が成長する上できわめて重要な段階を占めるものであり、また子ども時代とは楽しく純真な時期であるべきである。しかし本書に登場する皆さんは戦火のただ中、日本軍の銃剣のもとで、あるいは千里の道のりを逃げ延びる流転の生活を強いられ、あるいは学業の中断を余儀なくされ、あるいは生計を立てるため身を粉にしてきた。しかもその間、死や飢餓や疾病の恐怖に絶えず直面していたのである。
インタビューに応じて下さったこれらの方々とは、主に個人や社会団体の紹介を通じてお目にかかることができたが、皆さんはかつて抗戦期の苦難の日々を身をもって体験しており、そして占領期前後に香港で教育に携わったか、あるいは教育を受けた経験を持っている。本書のインタビュー原稿は、筆者が整理すると同時に歴史資料との対照を行っており、その後語り手本人による校閲を経て刊行への同意を得ている。それぞれのインタビューは、一八名の語り手が当時おもに生活していた地区ごとに並べた。蔡松英、劉錦文の両氏は、当時新界地区で活躍した東江縦隊港九大隊の元隊員である。九龍市街地区に住んでいたのは譚月華氏ら八名、香港島にいたのは黄樹芬氏ら九名である。また、本書では教育の定義を若干広げ、正規の学校における教育のほか、余暇を利用した学習などの非正規教育をも含めている。インタビューに応じて下さった語り手たちが当時学んだり教えたりした学校は、香港の官立学校・私立学校・教会学校・義学[庶民を対象とした無償または低廉な授業料の学校]・夜間学校・私塾・ゲリラ隊の識字教室など多岐にわたり、かつ、広東・広西・貴州など各省にまたがる内地の学校を含む。
本書の付録として、四〇年代の香港の主要な活字メディアが報じた教育に関する報道をいくつか紹介した。占領前、占領後、そして戦後の香港における教育の状況について読者の理解の一助となれば幸いである。
本書の完成は、ひとえに語り手の皆さんのご協力による。皆さん高齢にもかかわらず快くインタビューや原稿校閲に時間を割いて下さり、さらには当時の写真など貴重な資料を快く提供して下さった。ここに厚くお礼を申し上げたい。(以下略)
版元から一言
著者・張彗真は中学教員の経験を持ち、現在は香港バプティスト大学で教育学を教える研究者である。彼女はこのような惨状を呈した日本軍政期の教育状況を掘り起こそうと考え、当時を知る人への聞き取り調査を二〇〇三年より開始した。そして、友人の洪強生(ニューヨーク中国近代口述史学会会員)とともに、軍政期香港の教育を主題とする本書を完成した。——「訳者あとがき」より
著者プロフィール
日野 みどり()
1962年生まれ。大阪外国語大学を卒業後、地方自治体で国際交流業務に携わり、広東省佛山市に計2年3か月駐在。退職後、香港中文大学に3年間留学。修士(人類学)。帰国後、大阪外国語大学博士後期課程修了。博士(学術)。
神戸商科大学非常勤講師を経て、現在、金城学院大学現代文化学部国際社会学科教授。中国の高学歴者の就転職について研究しているが、調査に行くと食事のほうについ関心が向いてしまう。食べた料理の紹介は著者ウェブサイト「双喜臨門」に掲載(http://member.nifty.ne.jp/midoriHINO/)。
著書に『香港・広州 菜遊記』(2003年)、訳書に『香港回帰』(1998年、凱風社)。
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