発行:凱風社
この版元の本一覧
四六判 192ページ 上製
定価:1,500円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7736-3104-3 C0016
在庫あり
奥付の初版発行年月:2007年02月
書店発売日:2007年02月28日
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紹介
ユダヤ、キリスト、イスラムに共通する旧約聖書のなかから、子供たちに読み聞かせようと19世紀ロシア正教神父が選んだエピソード集。トルストイやドストエフスキーなどの文豪も、子供のころにこうした話を聞いて育った。ロシア文学に影響を受けた団塊世代にとっては聖書入門の書であり、若い夫婦なら子供に読み聞かせることもできる。上巻は「創世記」のノアの洪水や「出エジプト記」など、いわゆる「モーセ五書」が中心。
目次
1 世界をつくったのはだれでしょう?
2 人間をつくったのはだれでしょう?
3 最初の罪
4 カインとアベル
5 セツ、セツの子供たちとカインの子供たち
6 ノア
7 箱舟
8 洪水
9 セム、ハム、ヤペテ
10 バビロンの塔
11 アブラムとロト
12 神がアブラハムに、イサクという息子が生まれることを約束します
13 アブラハムは三人の旅人をもてなします
14 ソドムとゴモラが滅びます
15 イサクが神に捧げられます
16 イサクの結婚
17 エサウとヤコブ
18 イサクはヤコブを祝福します
19 ヤコブの逃亡
20 ヤコブの結婚
21 ヤコブの帰郷
22 兄弟の再会
23 ヨセフ
24 兄弟はヨセフに何をしたか
25 ポティファル家のヨセフ
26 牢屋のヨセフ
27 ヨセフが自由になります
28 兄弟たちの最初のエジプト行き
29 兄弟たちが帰ってきます
30 二度目のエジプト行き
31 告白
32 ヤコブはエジプトに向かいます
33 ヨブ
34 ヨブの苦しみ
35 ヨブはほめたたえられます
36 イスラエル人が奴隷になります
37 モーセの子供のころ
38 モーセは逃げ出します
39 モーセが神に呼ばれます
40 エジプト人に罰が与えられます
41 紅海
42 苦い水
43 ウズラとマナ
44 神はイスラエル人に水を与えます
45 十のいましめ
46 金の子牛
47 神のいましめ
48 いましめの石板を収める箱
49 わがまま者たちの墓
50 物見たち
51 モーセは岩を杖でたたき、ユダヤの民に水を与えます
52 青銅の蛇
53 モーセの死
54 砂漠をさまよっていたときのイスラエル人に神が与えた恩恵
55 イスラエル人はカナンに入ります
56 ヨルダン川を渡ります
57 エリコの街を奪い取ります
58 泥棒のアカン
59 約束の土地が十二の部族に分け与えられます
前書きなど
訳者まえがき——ロシアの文学と正教について
次の引用はドストエフスキー『カラマーゾフの兄弟』の一部です。
グリゴーリーはスメルジャコフに読み書きを教え、十二歳から宗教史を教え始めた。しかしこの仕事は無駄だった。まだ二、三回目のある日、少年が突然、せせら笑ったのである。 「なんだ?」
グリゴーリーは怖い目をして尋ねた。
「べつに。だけど神が光あれといったのは最初の日で、太陽と月と星は四日目でしょ。じゃ初日の光はどこからきたんです?」
グリゴーリーは然とした。少年は軽蔑したように先生を眺めた。生意気そうな目をしていた。グリゴーリーはこらえきれずに、「ここからだ!」と叫び、生徒の頬げたをぶん殴った。
次はアンリ・トロワイヤ『ドストエフスキー伝』(村上香住子訳、中央公論社)から。
ドストエフスキー家の子供たちの教育は早いうちから始められた。(中略)最初のテキストとして選ばれたのは『旧新約聖書一〇四の物語』だった。貧弱な挿絵が、天地創造、楽園のアダムとイヴ、大洪水を表していた。(中略)子供たちが『旧新約聖書』の物語が読めるようになると、ミハイル・アンドレーヴィチ(作家の父)は、聖人伝記を教えてもらうために、博学な補祭に家庭教師をしてもらった。(中略)彼の雄弁な話術には、家族全員が魅きつけられた。
これらの引用から、ドストエフスキーを含む十九世紀のロシアの子供たちが、一部であっても家庭で大人から聖書の物語を教わったり、読んだりしていたらしいということがわかります。
日本ではドストエフスキーはよく読まれました(一九七〇年代に学生時代を過ごした世代までは、と限定したほうがいいかもしれません)。けれども、特にその最後の世代の少なからぬ部分は、「転向した革命家」の言葉としてこの作家を読みました。それは時代状況と関係があったためでしょうし、もう一つは、作家が信じていたロシア正教の情報がほとんどなかったためでもあります。もっとも、作家が若いころに夢中になった社会主義とは、実は独特の解釈を施されたキリスト教にすぎなかった、との指摘もあります(コマローヴィチ『ドストエフスキーの青春』中村健之介訳、みすず書房)。
ドストエフスキーやトルストイに代表される十九、二十世紀のロシアの文豪の創作活動の基礎には、ロシア正教があります。そして、作家たちが初めて正教と接するときのテキストとなったのが、聖書物語です。もちろん本ばかりではなく、家庭や教会、学校で年長者たちから教わり、村々にやってくる巡礼から聞く聖人の物語、そして灯明の向こうにぼんやりと浮かび上がるイコンに描かれたキリスト像などが渾然一体となって、聖書の物語のイメージが形成されていったのでしょう。この本はドストエフスキーが『作家の日記』の中で、子供のころに繰り返し読んだと書いた聖書物語そのものではありません。しかし内容はほぼ同じとみて差し支えないでしょう。三十年前と比べると、現代は調べようと思えば格段に多くの情報に接することができる時代です。けれどもまだ、隣国であるにもかかわらず、このロシアの伝統的宗教に関する情報は不足しています。この本を翻訳した意図の一つは、そこにあります。
原著は一八九六年に三刷が出た古いもので、一九九一年に復刻されました。復刻版を出したモスクワの出版社の説明によれば、二〇世紀初頭まで幅広い読者の支持を得ていたということです。
ロシアにはイスラム教徒や仏教徒、カトリック教徒もいます。ソ連時代は正教会と同様に迫害を受けました。ソ連崩壊後、世界中に多くの信者がいるイスラム教徒やカトリック教徒には多くの支援が寄せられました。正教会にはそうした支援はなく、すべて自前で教会の再建を始めました。ソ連崩壊は正教会にとり、「喜ばしい」出来事ではあったのですが、それと同時に新たな困難が始まりました。ソ連崩壊と同時に、カトリック教会やイスラム教と並んで、信者の家族関係を破壊したり、麻薬を使うような妖しげな宗教団体も、日本を含め世界中からロシアにやってきて活動を始めました。正教会の前にこのような問題が大波のように打ち寄せました。けれども、これらの困難の中で最大の問題は、ドストエフスキーが「マモニズム」と呼んだ拝金主義の台頭でした。
ソ連がなくなったとき、そこに暮らす人々が受けた衝撃はどれほど大きかったことでしょう。国家という枠組みが崩れ、社会が混乱し、家族の基盤が揺さぶられたとき、人々はどんな思いにさらされたでしょう。大切にしていたものが、ある日突然、なくなってしまうとき、自分の力ではどうにもならない激しく冷たい激流に足をすくわれるとき、人は何かにすがりつき、救いを求めます。
キリスト教を信じているわけでも社会主義を信じているわけでもない、ごく普通の人々の生活は、それまではともかく安定していました。それは、ぜいたくさえしなければ、まずまず生きていける賃金、月々のささやかな年金、小さなアパートなどから成り立っていた、つつましい暮らしでした。ひょっとしたら、小さな自動車もあと何年かすれば手に入るかもしれない。そういうささやかな希望もありました。そしてこつこつと働き続け、社会の役に立ってきたという自分の人生の充実感と誇らしさ。その半生に社会が払う尊敬。ソ連時代の多くの人々の生活は、そうした基礎の上に組み立てられていました。
その基礎がある日突然、がらがらと崩れました。何十年も働いて、もう少しで自動車を買えるまでになった貯金は、あっという間に乳母車も買えない紙くずになりました。年金給付は滞り、給料がもらえないこともありました。まともな仕事の口はないのに、金もうけがいちばん大事なこととされ、貧乏は恥だという風潮があらわれました。何より堪えられないのは、ごろつきのような連中が金持ちになり大きな顔をする一方で、まじめに働いてきた人々が踏みつけにされだしたことです。
作家ソルジェニーツィンは一九九八年刊の『崩壊するロシア』で、「今日の破壊的な状況の中で、人々は何らかの力強い精神的な支えを必要としている」と書き、社会の中での教会の役割が不十分だと指摘しました。また「正教徒であるということが、ロシアの文化をかたちづくった。私たちの心に残り、習慣の中に残る正教こそが、私たちロシア人を一つに結びつけている」とも書いています。この言葉は、「ロシア人とはまず第一に正教徒のことだ」というドストエフスキーの言葉を思い起こさせます。ソルジェニーツィンの警告から約十年を経て、ロシアの状況はむしろいっそう、深刻化しているように見えます。
自分はいったい、何者なのか。なんのために、どう生きればよいのか。そう思うとき、人は支えを求めます。こうした人々の精神的危機を深く感じ取ったからこそ、この本が再び世に出されたのではないでしょうか。そしてこの精神的危機についていえば、歴史も文化も違うとはいえ、ロシアばかりでなく、現在の日本にもあてはまるのではないか——私にはそう思えるのです。
版元から一言
美醜善悪を超越する『悪霊』の主人公スタヴローギンや、おなじく『悪霊』のキリーロフの「自殺論」、『カラマーゾフの兄弟』の「大審問官」、『白痴』の「無条件に美しい」ムイシュキン公爵を取り巻く粗暴と憎悪と汚辱——。ドストエフスキーは常に「神がいなければ」というテーマに回帰する。
一方、ドストエフスキーと並ぶ文豪トルストイは晩年の作品『復活』でロシア正教会と対立して破門されている。アナーキスト的社会運動家として大衆の支持が厚かったトルストイだからこそかもしれないが、現在もこの破門は取り消されていないという。
このほかゴーゴリやブルガーコフにも旧約・新約両聖書はきわめて深く影響している。ロシア文学は聖書なしには語れない。
本書は、大人なら改めて旧約の世界にひたってみることができるだろうし、同時に孫や子供に静かに語り聞かせることもできる。むろん子供が読めるよう、文字も大きくルビもたくさん振ってある。目を背け耳を覆いたくなるような親殺し・子殺し・兄妹殺し・通りすがりの殺人が連日報道される「今」だからこそ、ぜひ、多くの方に読んでいただきたい。
関連リンク
著者プロフィール
アレクサンドル・ソコロフ(ソコロフ,アレクサンドル)
19世紀のロシア正教の聖職者。長司祭。サンクトペテルブルクで一八九六年に刊行された『学校や家庭で読むための神様のお話——旧約・新約聖書』(本書の原著)の編者。
高橋 龍介(タカハシ・リュウスケ)
1960年、東京都生まれ。高校2年生のときに、ドストエフスキーの「虐げられた人々」を読み夢中になる。しかし古文と漢文が苦手だったため文科系の望みはなく、筑波大学自然学類入学。3年次で人文学類に移り、ロシア語の勉強も始める。卒業後、同大学院修士課程地域研究研究科でドストエフスキーとその時代について学ぶ。1985年、同大学院修了。紆余曲折の末、89年、毎日新聞社入社。1995〜2000年、モスクワ支局勤務。現在、静岡支局次長。
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