発行:明石書店
この版元の本一覧
四六判 452ページ 並製
定価:3,200円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7503-2672-6 C0098
在庫あり
奥付の初版発行年月:2007年11月
書店発売日:2007年11月22日
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紹介
英国・アフリカ・カリブ・合衆国からなる「ブラック・アトランティック」。その複数の文化の狭間にある存在の複雑さから紡がれる「自分は何者なのか」をめぐる思想、文学、映画、音楽のポストコロニアル文化批評。欧米圏にその名をとどろかせる作家の待望の本邦初訳。
目次
目次
日本語版序文 エグザイルのたのしみ
序章 新しい世界のかたち
合衆国
序 人種という重荷
リチャード・ライト『アメリカの息子』
ジェイムズ・ボールドウィン『ジョヴァンニの部屋』
マーヴィン・ゲイ
ジョン・エドガー・ワイドマン『父遠く』
ジェイムズ・ボールドウィン——ハリウッドの誘惑
アミスタッド
アフリカ
序 アフリカからの特電
アマドゥ・ハンパテ・バー『ワングランの不思議』
ナディン・ゴーディマ——歴史の鼓動
J・M・クッツェー——ジョン・Cの人生とその時代
ウォレ・ショインカ『記憶の重荷、赦しの女神』
カリブ
序 故郷喪失の恵み
セント・キッツ——一九八三年九月十九日
ジャメイカ・キンケイド『小さな場所』
デレク・ウォルコット『アーカンソー州への証言』
C・L・R・ジェイムズ——船乗り、反逆者そして漂泊者
エドゥアール・グリッサン——雑種と混合
V・S・ナイポール
パトリック・シャモワゾー——逃亡奴隷の帰還
後に続いて——ラミングとセルヴォンの遺産
英国
序 小さな荷物
イグナティウス・サンチョ——黒いイギリス文人
リントン・クウェシ・ジョンスン——予言者を待つもうひとつの土地
パイオニアたち——カリブ移民の五十年
ゼイディー・スミス『ホワイト・ティース』
法外なよそ者たち
リーズ・ユナイテッド、人生と僕
終章 帰属への「大いなる不安」
邦訳一覧
訳者あとがき
前書きなど
序章 新しい世界のかたち (前半抜粋)
空港ターミナルは行き交う人々であふれている。ついに来た。サハラ以南のアフリカに足を踏み入れるのは初めてだけれど、自分がどこにいるのか直感でわかる。予防接種の証明書とパスポートを差し出す。今、僕の旅が始まる。込み合った税関を抜け、むせるような夜の熱気のなかへ。あちこちからわらわらと伸びてくる手、そして押し合いへし合いする汗ばんだ体。騒音と叫び声との不協和音。カーキ色のスーツを着たブリティッシュ・カウンシルの職員に出迎えられる。彼はアフリカ人の運転手を連れて立っている。「アフリカへようこそ。こちらへはたしか初めてですよね」。僕は笑顔を返すが、運転手は目をそらす。彼の視線をとらえようとするけれど、あちらのほうが賢くて目を合わせない。ポーターが荷物を持っていこうとする。一つはしっかり握りしめていたが、もう一つは諦める。僕たちはジープに乗り込み、荷物もちゃんと積み込まれた。ポーターが傍らで手を差し出していて、僕を出迎えてくれたイギリス人のホストがこれみよがしにチップを手渡す。男は礼を言って走り去り、ホストは僕に笑いかける。僕が今のやりとりを見ていたか確かめたくてならないらしい。言いたいことはわかっている。そうしてエンジンがうなり始め、ヘッドライトが闇を照らし出すと、何百という光る顔が浮かび上がる。突然の眩しさ、その光の角度に合わせて手をかざし、目を覆う。ジープは埃を巻き上げ、軍のチェックポイントを通過する。ホストは律儀に手を振るが、返ってくるのは疲れのにじんだ半端な敬礼だ。僕らは闇のなかを突進する。スラムを、人々の間を、轟音とともに駆け抜ける。この都市のはずれで僕はアフリカに出会う。感じるのは馴染み深さだ。僕は三十二歳。この場所は知っている、自分の場所だと感じる、けれど僕はここに属してはいない。僕はここの者であって、ここの者でない。
飛行機に乗るのはこれが初めてだ。通路を通り、キャビンに乗り込む。あっけにとられる。座席がびっしり並んでいる。狭いチューブ型の映画館に入ったようだ。自分の席をみつける。周りの人は誰も彼も落ち着きはらっているように見える。新しい世界。シートベルトがあって、これは後で締める。目の前の座席ポケットには読み物が入っている。座席は狭いが、快適だ。やがて一つ一つ席が埋まっていく。人々が僕の頭上の物入れに荷物を詰め込みはじめる。前の座席の下に荷物を押し込む人もいる。突然、窮屈な感じがして、居心地が悪くなる。そしてエンジンが動き始めた飛行機は、滑走路上で長いこと眠っていたかと思うと、ついにうなり声をあげて羽ばたく。僕は周りを見回すが、みんなこの大音響にも平然としている。僕は二十歳。アメリカ、ニューヨークへ向かっている。八時間後、僕は初めての飛行機の旅を無事に終えた。食事をし、映画も見た。座席ポケットの読み物を読み、無料の酒も飲んだ。トイレと書いてある小さな部屋に入るのに列に並んだりもした。ニューヨークに着いたのは、土曜の暑い夜。マンハッタン、アッパー・イースト・サイドにある友達の友達のアパートまでどうやって行ったものか見当もつかない。アッパー・イースト・サイドがいったいどのあたりかもわからない。到着が十時間も遅れたから、その友達の友達は今頃僕はいったいどうしたのかと思っているはずだ。いや、僕のことなんか忘れているかもしれない。ターミナルから外へと出る。息がつまるほどに蒸している。明るいネオンの光、騒々しい話し声、絶え間ない車のクラクション。ニューヨーク・シティの土曜の夜。僕は荷物を持って、あたりを見渡す。新世界、アメリカにいるのだ。右も左もわからずに怖じ気づいても当然だ。けれどまったく不安はない。この場所は知っている、自分の場所だと感じる、けれど僕はここに属してはいない。僕はここの者であって、ここの者でない。
ロンドンからアンティグアまで、空の旅は沈黙のうちに過ぎる。母と僕は何か読んだり映画を見たりで、あれこれ話はしない。時は僕らの友。アンティグアで飛行機を乗り換える。空港ターミナルということになっている粗雑な造りの建物から、英国航空のジャンボジェットが空高く舞い上がり、バルバドスの方向へ飛んでいくのをみつめる。そしていよいよ僕らも小さなターボプロップ機に乗り込んで、セント・キッツへ向かう。僕たちの生まれ故郷。母も僕もそこには二十二年帰っていない。いま、時は僕らの敵。母が語りはじめる。僕は窓の外を見やる。アンティグアの乾ききった大地が視界から遠ざかり、カリブ海の信じられぬほどに深い青がそれにとって代わる。海は波も立てず、鏡のような静けさだ。母はこの短いフライトのなかにすべてを詰め込もうと必死になる。どうすればこれまでの人生を二十分で説明できるというのか。母は、正確に言っていなかったことはきちんと正し、伝えるべきことを伝え、黙っていたことも打ち明けなければと懸命だ。けれど彼女は諦める。この短い言葉の嵐がはじまった時と同じく、優雅な落ち着きと狼狽とがまじりあった様子で。飛行機は過去へと降りていく。僕は窓から外の景色を見る。背の高いさとうきびがそよ風に揺れている。みどりにこれほど多くの色合いがあるとは。整然と刈り込まれた畑の合間を縫って道が蛇行している。車がしずくのように流れていく。教会。町の広場。ごちゃごちゃとかたまっている家々。子供のままごとの町のようだ。となりの母に目をやる。彼女のなかには、語るべき過去がまだ山ほど詰まっている。ついに飛行機が停止する。地上係員がドアを開けると、暑い風が一気に機内に流れ込んできた。僕はシートベルトをはずし、立ちあがろうと身構える。母はまだ座ったままで、この最後の数歩をためらっているかのようだ。僕は待ちきれない。窓の外を覗き、到着ホールに目をこらす。ガラスの向こうに、早く僕の顔を見たいと待ちかまえている親戚たちがいるのだ。ほんの二、三分前まで聞いたこともなかった血縁の人たちが。僕は二十二年前にこの島を離れた。たった四ヶ月の赤ん坊だった。いま、僕は自分の生まれた島を見ている。この場所は知っている、自分の場所だと感じる、しかし僕はここに属してはいない。僕はここの者であって、ここの者でない。 (後略)
著者プロフィール
キャリル・フィリップス(フィリップス,キャロル)
1958年カリブ海のセント・キッツ生まれ。生後まもなくイギリスに移住。現在まで、ブッカー賞最終候補に残ったThe Nature of Blood(1997)、PEN/Beyond Margins Award受賞のDancing In the Dark(2005)をはじめとする8作の小説があり、作品は主要なヨーロッパ言語に翻訳されている。また、本作品を含めて3作のノンフィクション(2007年10月末に4作目のForeignersが刊行される)がある他、作品集の編集も手がけている。詳しい情報は公式HP(www.CarylPhillips.com)を参照されたい。現在はニューヨークとセント・キッツを主な居住地としながら、大西洋を行き来している。
上野 直子(ウエノ ナオコ)
獨協大学外国語学部英語学科教授。主な翻訳に『NASA/トレック——女が宇宙を書きかえる』(工作舎)、『マクミラン世界女性人名事典』(国書刊行会、翻訳監修)などがある。本書の最終章「帰属への『大いなる不安』」は『世界』2003年4月号に掲載。ディアスポラ文学に関するエッセイは、「語る女の植民地/語りえぬ物語」(『ポスト・フェミニズム』作品社)、「特集カリブの英語作家たち」(『英語青年』2003年12月号)、「不確かな歴史の海へ——キャリル・フィリップス『ケンブリッジ』」(同2006年2月号)など。
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