ハンセン病問題に関する検証会議 最終報告書
財団法人日弁連法務研究財団ハンセン病問題に関する検証会議:編
発行:明石書店
この版元の本一覧
A5判 1864ページ 上製
定価:45,000円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7503-2613-9 C0036
在庫あり
奥付の初版発行年月:2007年08月
書店発売日:2007年08月27日
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紹介

患者を強制隔離し、社会的な偏見を助長した国家の責任はどのようなものだったのか。被害者の声に耳を傾け、国会、医療、法曹など関連機関の責任を徹底的に解明し、被害の回復をはかる。二度と同様の問題をくり返さないための最終報告書。【上下二分冊:分売不可】

目次

【上】
刊行にあたって
ご挨拶
はしがき
第一 熊本地裁判決と真相究明
第二 1907年の「癩予防ニ関スル件」——強制隔離政策の開始と責任
第三 1931年の「癩予防法」——強制隔離の強化拡大の理由と責任
第四 1953年の「らい予防法」——強制隔離の強化拡大の理由と責任
第五 らい予防法の改廃が遅れた理由
第六 ハンセン病に対する偏見・差別が作出・助長されてきた実態の解明
第七 ハンセン病政策と優生政策の結合
第八 ハンセン病強制隔離政策による被害の全体像の解明
第九 全国の国立療養所に残された胎児標本に関する検証
第十 ハンセン病医学・医療の歴史と実態
第十一 ハンセン病強制隔離政策に果たした医学・医療界の役割と責任の解明
第十二 ハンセン病強制隔離政策に果たした各界の役割と責任(1)
第十三 ハンセン病強制隔離政策に果たした各界の役割と責任(2)
第十四 ハンセン病強制隔離政策に果たした各界の役割と責任(3)
第十五 国際会議の流れから乖離した日本のハンセン病政策
第十六 沖縄・奄美地域におけるハンセン病政策
第十七 旧植民地、日本占領地域におけるハンセン病政策
第十八 アイスターホテル宿泊拒否事件
第十九 再発防止のための提言
第二十 療養所における検証会議実施報告等
資 料
 資料1 近現代日本ハンセン病関係年表及びハンセン病文書等
 資料2 検証会議設置及び活動等関係
おわりに

【下】
はじめに
一、国立療養所入所者を対象とした調査(第1部)
二、国立療養所入所者を対象とした調査(第2部)
三、療養所退所者を対象とした調査
四、私立療養所入所者を対象とした調査
五、家族を対象とした調査
資 料
 国立療養所入所者被害実態調査 単純集計表
 療養所退所者被害実態調査 単純集計表
 被害実態調査 調査票(国立療養所入所者・療養所退所者用)

前書きなど

おわりに
 1000ページを超える本報告書の膨大な編集作業を終えるにあたり胸に去来することは多い。なかでも、本検証作業に協力して語りづらいことをあえて語ってくださった方々の“今”は最たるものの1つである。
 2004(平成16)年8月18日(水)〜19日(木)、駿河療養所での現地検証会議において、国の対応に対してのみならず入所者の運動についても手厳しい意見陳述を行った西村時夫氏は、わずか1カ月半後の同年10月2日、ガンのため62歳で還らぬ人となられた。陳述の折に述べられた「間もなく私たちはこの世からいなくなります。私たちがいなくなった時、ハンセン病に対する偏見と差別だけは残ってほしくない。もう患者はいないけれど、あの病気は怖い病気だった、という残り方だけは絶対にしてほしくない。ハンセン病回復者の人権が回復されて、私たちは死にたい」という言葉は文字通り遺言になった。
 辛酸を極める人生を強いられたにもかかわらず、訪ねた検証会議委員に自分はもはやひとりぼっちではないと次のように語ってくれた在宅治療患者の遺族は今、受刑者として厳寒の刑務所にある。

 母死亡後も私は、鳥取県や保健所のこれまでの不親切な対応が理解できず、繰り返しその理由を尋ねていました。「菌が検出されなければ入所の必要性はない」といいながら、在宅治療となった患者について何の指導も援助も行わなかったのが何故なのか、真相を知りたかったのです。患者を社会の中で生活させれば、ハンセン病に対する偏見差別に患者も家族も直接さらされるのです。それがわかっているのに、行政はなぜ偏見差別をなくす活動に取り組まないのか。また、誰にも相談できない悩みだからこそ、行政の相談窓口が必要となるのに、なぜそれを教えてくれないのか、わからないことだらけでした。私がハンセン病の母をもって一番つらかったのは、相談できる人が誰もいないということでした。ところが、今度の私の刑事事件のことで、ハンセン病患者の家族会のひとを始めたくさんの人たちが、減刑嘆願の署名を集めてくれました。わたしは、自分が欲しかったのはこれだ、と思いました。家族会の人たちにめぐりあえて、ようやく気持ちがらくになりました。自分はひとりぼっちではないとわかったからです。

 日本の統治下、誤った日本のハンセン病政策によって小鹿島に強制隔離され、今も同島に住む1921(大正10)年生まれの男性は、訪問した検証会議委員の聞き取りに応じてくださった。15歳のとき発症し、巡査が来て「小鹿島に行けば病気は治る」「食料も十分にある」といわれ、1941(昭和16)年に隔離に応じたが、食料は乏しく、毎日、星を見て労働に出かけ、星を見て帰るという生活であった。労働の内容は、レンガ作り、たきぎ集め、叺(かます)作りなどで、看護長は「患者10人より松の木1本の方が大事」といって憚らず、この強制労働で傷を負っても、働かされ続け、それが原因で、手の指10本と両足を失った。食事の量は、男性ひとりが1日、米2合とサクラ麦で、それを3回に分けて食べた。このような内容であった。日本文化の全面開放が進む韓国にあって、彼が描く日本、ならびに日本人とはどのような像であろうか。
 また、次のように苦衷を吐露してくれた三重県の元「専門職員」の“今”も忘れることはできない。

 国家賠償の裁判が起きてから、まるで自分が責められているような気がしていた。ただ、俺は30年専門職員をやってきてどうだったのか、無理強いだったのだろうか、強制したのだろうか、と自問してきた。本当の強制収容はしたことはないと思っても、結果的には強制してきたことになるのではないか、という思いがある。

 私たちは、本検証会議を通じて多くの真実に接することができた。この真実は、ハンセン病強制隔離政策を生み出した「悪魔的な精神」を際立たせるものである。だが、真実にもまして人々の心を動かすのは人間の魂の叫びである。すでに国等に提出した『被害実態調査報告』および『胎児標本等調査報告』と同様、本『最終報告書』の編集において私たちがもっとも留意したのは、この真実と魂の叫びを伝えることであった。西村氏の遺言を私たちは正しく伝えることができただろうか。もはやひとりぼっちではないという遺族の今の心境を正しく伝えることができただろうか。日本海の向こうからの訴えについても、日本国内のそれと同様に正しく伝えられただろうか。元「専門職員」の苦衷はいかがであろうか。
 本検証作業を通じて私たちは多くのことを学ぶことができた。被害観も一変した。被害を語ることの難しさを繰り返し教えられた。被害は死ぬまで続くのだということも実感した。被害者という決め付けに抵抗があるということも知った。被害が新たな差別・分断を招きうるという視点をもつこともできた。それでは、本報告書にこの学びの成果をも十分生かすことができただろうか。
 不安は少なくないが、これらのことを行いえたとすれば、検証会議一同の喜び、これに勝るものはない。
 2005(平成17)年3月末をもって検証会議は任務を終える。ハンセン病問題の解決に進むための役割をより広く国、そして社会へと引き継ぐこととなる。本報告書はその引き継ぎのためのバトンの役割を担うものともいえる。私たちのまいた1粒の種が芽を出し、やがて木にまで育ち、病者とその家族を覆う豊かな癒しの森がこの国に実現することを心より願いながら、本事業を委託された厚生労働省ならびに国民の皆様に対し、ここに私たち検証会議の活動をご報告するものである。

2005(平成17)年3月1日
財団法人日弁連法務研究財団 ハンセン病問題に関する検証会議
一 同

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