被差別民衆と天理教中山みきの足跡と群像
池田 士郎
発行:明石書店
この版元の本一覧
四六判 232ページ 並製
定価:2,500円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7503-2485-2 C0014
在庫あり
奥付の初版発行年月:2007年01月
書店発売日:2007年01月31日
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紹介

天理教教祖,中山みきの実践や教説の中心に焦点をあて,彼女をとりまく家族や信者たちの信仰の姿を描く。聞き取りや伝承を掘り起こし,被差別民衆の生きた世界から教祖の「ひながた」(宗教的生涯)の深意を読み取る。前著『中山みきと被差別民衆』に続く労作。

目次

はじめに
1 教祖とその周辺
 一 中山みきとその時代
 二 庄屋善兵衞とその妻
   ——天理教立教当時の精神史点描
 三 秀司と足の悩み
2 教祖の教え
 一 踊りは希望の蘇る現場である
 二 からだのコスモロジー
   ——中山みきの身体観
3 教祖を慕う人びと
 一 被差別部落と天理教
 二 「大逆事件」を背負った女の一生
   ——高木顕明とその娘
  【高木加代子関係資料集】
 三 天理教ハンセン病布教史の一齣
   ——成田喜九郎氏の信仰の歩み
  【成田喜九郎関係資料集】
あとがき

前書きなど

はじめに
 天理教の教祖中山みきは一九世紀を生きた一人の女性である。二一世紀の今日となっては、二〇世紀という一つの世紀を跨いだ歴史上の存在になった。ある意味では、それだけ遠い過去の存在となったのだが、それだからといって、教祖の生き方や教説が色あせた過去のものであるとは言い切れない。むしろ「戦争の世紀」とも言える二〇世紀を経験した私たちにとって、その生涯は示唆に富むことの方が多い。そして、それは天理教の信者にとってのみ意味があるということではなく、信仰をもつともたないとにかかわらず、時代のなかで人間の生き方を悩みつつ求める人びとに各人各様のヒントを与えてくれる宝庫であると言えるだろう。
 とりわけ、偏見と差別は現代社会にもなお根強く息づいており、さまざまな社会問題や国際紛争を生み出している。二一世紀の劈頭(へきとう)に起こったアメリカでの同時多発テロ以後、中近東や南西アジアの人びとに対する偏見と差別は新たな相互不信と対立抗争を煽(あお)り立てている一面がある。残念ながら、グローバリゼーションとはこのアメリカ発の偏見と差別を共有することだとも言えるのではないだろうか。その偏見と差別が不幸にも武力衝突を引き起こしている世界の現実を目の当たりにする時、「むほん」の根を切ることの困難さと個人の力の無力さを痛感する。力の横暴に力で対抗することは正当な権利であるとは言え、一歩間違えば、それは暴力の連鎖を招きかねない。今こそ暴力の横行に対して暴力以外の手段で毅然(きぜん)と立ち向かう姿勢が求められているように思われてならない。そのためには、何よりもまず偏見と差別にからめとられて生きている人びとと同じ目線に立つことが求められるのではないだろうか。それは虐げられた他者への想像力の問題でもある。
 筆者が、前著『中山みきと被差別民衆』において確認したものは、教祖の「ひながた」(宗教的生涯)の前半を貫く「貧に落ち切る」という生き方の「貧」とは、たんに貧乏という状態ではなく、むしろ「被差別」という人間性を貶(おとし)められた人びとの側に立つということであった。つまり、貧とは被差別であるという構図を明確にすることであった。
 じっさい、教祖の救いの実践は徹底して「被差別」の地平に立つことから始まっている。教祖の不思議な「たすけ」(癒しの業)の評判が広がるにつれて、多くの人びとが救いを求めてやって来たが、村社会のなかでは教祖の癒しの能力は必ずしも歓迎されなかった。それは、教祖の病気直しの不思議な力にすがる思いで寄り来る病人のなかには、性の病や「らい病」と呼ばれたハンセン病を患う一群の人びとがいたからである。つまり、社会的に穢(けが)れた病と意味づけられ、接触を忌避された人びとが村の日常生活の空間に入ってくることへの嫌悪感が教祖を疎ましい存在と感じさせた。普通ならば、病気直しの優れた力をもつ人が身近にいることは、いざという時のためにも心強く思われるはずだが、周囲の村びとたちからそう思われなかった史実を理解するためには、差別/被差別の視点を入れて考えなければ理解することができないだろう。そこに「ひながた」を差別/被差別のまなざしで見直してみる意義がある。
 その時以来、教理としての視点から「ひながた」を解釈するだけではなく、被差別民衆の生きた世界の側から、教祖の「ひながた」を読み取る視野を重ねてみることも必要ではないだろうか、との思いが強く迫ってきた。それを実行するなかで、「谷底せりあげ」の道を歩まれた教祖の「ひながた」の深意が共感をもって理解できるようになるに違いない。こうした思いに駆られて、筆者は教祖の「ひながた」を被差別民衆史の視点から読み解く試みを重ねてきた。それがどこまで成功したかは心もとないが、少なくとも、「ひながた」のいくつかの場面が筆者の胸には得心できることがあった。さらには、偏見と差別の視線を浴びて生きてゆかざるをえなかった人びとが「ひながた」を頼りに希望を見出したことを、わずかにではあれ再発見することができた。
 こうした思いは、キリスト者のなかにもあることを知り心強く感じた。たとえば、

 もし解放の神学が被抑圧者のための神学をめざすというのなら、それは非キリスト者である被抑圧者にも、ある程度の説得性をもっていなければならない。非キリスト者が圧倒的多数である日本の被差別部落民に、イエス・キリストの意義を、信仰をもつ・もたないにかかわらず、〈幸いであり〉〈祝福され〉〈慰められる〉ことを明らかにしてこそ、福音は力あるものとなる。

 という見解は、筆者の思いそのものであると言っても過言ではない。
 本書は三部構成になっている。1部では、教祖とその家族に焦点をあてて、教祖の同時代に「ひながた」を慕うことがいかに困難なことであったのかを見ることにした。2部では、教祖の教えの中心的な部分に焦点を合わせて、教祖の実践の一端にふれることとした。そして、3部では、「ひながた」を慕った教祖以後の信者たちの信仰の姿を描いてみた。全体として、教祖の「ひながた」がどのような意味で人びとに希望の灯火(ともしび)となったのかを思いめぐらす契機にしていただければ幸いである。

著者プロフィール

池田 士郎(イケダ シロウ)

1946年生まれ。
現在、天理大学教授。
主要著書・論文
「ベルクソン宗教思想の一側面」(澤瀉久敬編『フランスの哲学』第2巻、東京大学出版会)
「デカルトの人間平等論」(『天理大学同和問題研究室紀要』第3号)
「ひながたと貧」(石崎正雄編『教祖とその時代』天理教道友社)
「人間平等の思想——中山みき論」(内山一雄・山田光二編『現代の差別と人権』明石書店)
「教祖と貧」(岡田重精編『日本宗教への視角』東方出版)
『中山みき・その生涯と思想——救いと解放の歩み』(共著、明石書店)
『中山みきと被差別民衆——天理教教祖の歩んだ道』(明石書店)

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