発行:明石書店
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四六判 280ページ 上製
定価:2,800円+税 総額を計算する
ISBN978-4-7503-2338-1(4-7503-2338-1) C0036
在庫あり
奥付の初版発行年月:2006年06月
書店発売日:2006年06月06日
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紹介
障害者が社会のメインストリームから孤立化させられ,排除されてきたのはなぜなのか……。障害者が無力化されてきた要因,すなわち個人主義イデオロギーと医療化イデオロギーを明らかにし,無力化への対抗としての障害者運動の可能性を示した画期的論考。
目次
謝辞
イントロダクション
第一章 障害の定義——意味の政治
第二章 文化的産物としてのインペアメントとディスアビリティ
第三章 障害と資本主義の到来
第四章 障害のイデオロギー的構築
第五章 無力化されたアイデンティティの構築
第六章 ディスアビリティ問題の社会的構築
第七章 無力化の政治——その存在可能性
第八章 無力化の政治——新しい社会運動
後記 風は吹いている
訳者あとがき
参考文献
索引
前書きなど
訳者あとがき(横須賀俊司)
本書はOliver, M.,1990, The Politics of Disablement, Macmillanの全訳である。著者のマイケル・オリバーは一九六二年に頸随損傷者となり、それ以来四肢麻痺の障害者として生活をしている。グリニッジ大学における障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)担当の教授であり、かつてはケント大学でも教鞭を執ったことがある。現在ではグリニッジ大学を退職し、同大学名誉教授になっている模様で、ロチェスターに在住している。彼はこれまでにイギリス障害学会の学会誌であるDisability and Societyの編集にも携わるなど、障害学における指導的役割を果たしてきたといえる。オリバーは研究だけにとどまらず、脊髄損傷者協会やイギリス障害者協議会といった障害当事者団体の運営にも携わり、障害当事者運動にも積極的な関与を行っている。このように障害学の主要なメンバーが障害当事者運動とコミットし、両者が連動しながら展開されているところに、イギリス障害学の特徴を見てとることができる。単著に、Social Work with Disabled People(一九八三年初版。一九九九年に改訂されて、Bob Sapeyと共著になっている)、Walking into Darkness: The Experience of Spinal Injury(一九八八年)、Understanding Disability: From Theory to Practice(一九九六年)がある。編著としてはSocial Work: Disabled People and Disabling Environments(一九九一年)、Disability Studies Today(二〇〇二年、Colin Barnes, Len Bartonとの共編)があり、共著としてはSocial Policy and Disabled People: From Exclusion to Inclusion(一九九八年)、Personal Asistance Schemes in Greenwich: An Evaluation(一九九二年)などもある。
原著との出会いは今から九年ほど前にさかのぼる。当時、私は日本における障害学研究の第一人者である杉野昭博氏(関西大学社会学部教授)が主催するDisabilty, Culture, and Society研究会に参加をしていた。そこでは障害学という言葉こそ使われていなかったが、まさに障害学の研究が行われていた。そのようななか、杉野氏がイギリス留学をすることになり、一年後に帰国した際にお土産として手渡されたのが原著である。
その頃には関東と関西に障害学研究会を立ち上げていこうという動きがあり、私もその末席に着かしてもらっていた。不勉強な私は障害学を担っていくだけの自信などまったくなかったが、何らかのかたちで貢献はしていきたいと考えていた。そこで思いついたのが、原著の翻訳であった。今から振り返ってみても、何と無謀なことをしようとしていたのか赤面の限りである。案の定、翻訳作業は遅れに遅れ、私一人ではいつになるのか見当もつかない状況が続いた。そのような状況を打開するには翻訳を分担してもらえる誰かを探すことが早道だと考え、三島に手伝ってもらうことにした。彼女は早々に作業を終わらせてくれたのであったが、怠惰で不勉強な私は依然として翻訳が進まず、とうとうさらなる分担者を探すこととなった。それが山岸と山森である。本来ならば、する必要のなかった作業をやらされることになってしまった三人には申し訳のなさと感謝の気持ちでいっぱいである。これが出版が遅れてしまった経緯である。早くから紹介され、明石書店にも問い合わせが来るなど、本書の出版を心待ちにしていた方々には大変ご迷惑をおかけしてしまった。この場を借りてお詫びしたい。
このような事情から本書の翻訳作業を進めるにあたっては、結果的に次のような役割分担となった。イントロダクションから第四章までを三島が、第六章と第七章を山岸と山森が、謝辞、第五章、第八章、後記を私がそれぞれ分担下訳した。それから三島担当分と山岸・山森担当分を私がチェックを行い、それを再び下訳者が自分の担当分について再チェックをした。私の担当分については山岸がチェックを行い、同様に私が再チェックを行った。参考文献に関する邦訳の参照については山岸が中心的な役割を担っている。その後に全文について表現、表記の統一を私が行っている。また、邦訳のあるものについては一部参考にした。したがって、誤訳などに関する責任はすべて私にある。ちなみに、主要な用語や表現の訳については、下訳の途中に三島、山岸、私の三人が集まり検討をしている(山森は留学中のため不在であった)。
翻訳を進めていくうえで、「disability」という言葉をどのように訳出するかについてはかなり悩まされた。そのようななか、本書よりも先に障害学に関する訳書が出版された(Barnes et al., 1999=二〇〇四)。翻訳者の一人である杉野氏らもその訳出に苦労しながら、最終的には「明らかに『impairment』と区別して用いられている時は『ディスアビリティ』と訳し、判然としない場合は『障害』と訳す方針で臨んだ」(四頁)としてあった。そこで、われわれも杉野氏らの方針を基本的には受け継いで訳すこととした。ただし、たとえば、「disability movement」といったように用いられる際には「障害者運動」というように訳しており、必ずしも「障害」や「ディスアビリティ」という訳語だけを当てているわけではない。「disability」と関連する「disabling」、「disablism」などについては「ディスエイブリング」「ディスエイブリズム」とカタカナ表記の方法を踏襲しおり、「disable」、「disablement」については「無力化する」「無力化」といった訳語を当てている。「disabled people」については、「社会により無力化された人」というニュアンスが伝わりにくいが、「障害者」を当てることにした。
本文ではこのような訳出を心がけたのであるが、本書のタイトルだけは、そこから逸脱した体裁になっている。The Politics of Disablementというタイトルであるから、本来ならば、『無力化の政治』とされるべきところである。しかし、本書のタイトルは『障害の政治』となってしまった。当初、われわれは本文の訳の通りに『無力化の政治』とネーミングすることを希望した。しかし、早くから『障害の政治』として紹介されているという明石書店の説得に応じて、最終的にこのようなかたちに落ち着いたわけである。
この訳の違いは、実はかなり大きなことといえる。本書の内容は次のようにまとめることができる。資本主義の到来によって、働ける人と働けない人が区別されるようになった。働けない人の中には、さらに働く能力があるのに働かない人とインペアメントのある働くことができない人(=障害者)に分けることができる。その峻別の役割を担ったのが医療化イデオロギーであった。また、個人主義イデオロギーによって、障害者の問題は個人的な問題として認識されるようになる。このことから障害者は社会に適応していくことを求められ、その結果、無力化されていくのである。さらに、福祉サービスのありようが障害者の依存状態を助長し、障害者はますます無力化状態へと落とし込まれてしまう。この社会からの無力化への対抗として、障害者運動の意義が見いだせるというものである。したがって、オリバーは資本主義社会が仕掛ける無力化の過程と、それに対抗する障害者自身の対立、調整、超克を描いたものといえる。その意味で、「無力化」というのは本書における重要なキーワードなのである。こう考えると、『障害の政治』としてしまうことは、オリバーの主張を不明確にしてしまうものであり、本来ならば避けるべきことであった。しかし、本書は訳者と出版社との共同作品でもある。上記のような出版社の意向をまったく無視することは難しい。その結果、導き出したのが、タイトルのみを『障害の政治』とし、本文中については「無力化の政治」とすることであった。読者にはこの点をご了解いただければと思う。
イギリスにおける障害学の動向や内容については、先に記したBarne et al.(ibid)、石川(二〇〇〇)、杉野(二〇〇〇、二〇〇二)などを参照していただき、ここでは日本における障害学の状況について簡単に触れておこう。
二〇〇三年一〇月には東京大学駒場リサーチキャンパスで障害学会設立に向けた障害学会設立総会が開かれた。そして、翌年の六月には静岡県立大学で第一回大会が開催された。学会では手話通訳や要約筆記を取り入れることはもちろん、報告者には読み上げ原稿の提出を求めるなど積極的に情報保障に取り組んでいる。このように学問と実践が一体化となった他の学会とはひと味違うところが、まさに障害学というものの性格を表しているといえるだろう。関西大学における第二回大会も多数の参加者を迎えることができ、今年の六月三、四日には第三回大会が長野大学で開かれる予定である。
学会が設立されるまでにも障害学といえる研究はいくつもあった〈たとえば、山下(一九七七)、安積ほか(一九九〇)、石川(一九九二)、立岩(一九九七)など〉。しかし、「障害学」と銘打った出版物としては石川・長瀬編(一九九九)が初めてのものである。その後、「障害学」という言葉が入ったものとしては、倉本・長瀬編(二〇〇〇)、石川・倉本編(二〇〇二)、大阪人権博物館(二〇〇二)、石川(二〇〇四)、倉本編(二〇〇五)といったものが続く。もちろん、「障害学」という言葉の入っていない障害学の著作も次々と出版されていることは言うまでもない〈たとえば、要田(一九九九)、土屋(二〇〇二)、立岩(二〇〇〇、二〇〇四a、二〇〇四b)など〉。こういった書籍だけではなく、障害学関連の論文も散見されるようになってきている。障害学会の学会誌に障害学関連の論文が掲載されるのは当然のことであるが、それ以外の学会誌や雑誌などにおいても、若手研究者(大学院生)による研究が登場してきている〈たとえば、後藤(二〇〇五)、西村(二〇〇三)、星加(二〇〇四)、松波(二〇〇三)など〉。障害学が研究者の間で認知され、研究業績が積み重ねられ、そして、障害学がさらなる発展をしていくことは喜ばしいことである。これからも論文が増え続けていってくれることを切に願うばかりである。
このように障害学は順調に滑り出したといえる。しかし、私には障害学の広まりに対して気になることがある。まず、研究者には広まりをみせてはいるものの、障害当事者(運動)の間では広がりが感じられないということである。イギリス障害学は障害者運動の中から誕生してきたという経緯があり、障害学と障害者運動は連携し合いながら進展してきているといえる。日本では両者の間にほとんど接点のないような状況であり、このまま交わることなく進んでしまうことで、単なる知的遊戯や机上の空論となってしまうことを危惧するのである。障害学は「障害者がよりよく生きる」〈石川(二〇〇〇:五九九)〉ことに貢献できなければ存在意義はない。障害当事者(運動)との関係を抜きにして貢献などできるはずもなく、したがって、それとコミットすることは必要不可欠なことなのである。これからは障害学と障害当事者(運動)をどのようにリンクさせていくかを射程に入れて展開していくことが求められるだろう。
今ひとつは、障害者だけが対象化されて、それで終わってしまうのではないかということである。障害学は健常者中心社会に異議を唱え、現在の社会を変革していこうとする志向性がある。そのために、障害者としての経験を拾い集めていく作業が必要とされる。社会を読み換え、新たな姿を創造していくためには、このように障害者を対象化せざるを得ないところがあるのは事実である。しかし、そのままでよしとしてしまうことは、健常者を不在のものとしてしまわないだろうか。どうして障害者だけが語ることを求められるのだろうか。健常者の抑圧性や健常者であることの不自由といったことも語られるべきではないだろうか。やがて、それが「健常学」として結実していく必要があると思われる。しかし、それだけで終わらせてはならない。ちょうど、女性学と男性学がジェンダー学へと統合されていったように、将来的には健常学と障害学も統一されて新しく生まれ変わる必要がある。
日本の障害学はようやく歩みを始めたばかりである。他にも課題はいくつも存在しているだろう。たとえば、インペアメントをどのように扱うか。オリバーの功績は、問題発生の原因は社会にあるとする「障害の社会モデル」を社会科学的に分析したところにある。しかし、そのことによってインペアメントを不問にしてしまったという批判がイギリス障害学内部からなされている。当然のことながら、日本においても同じ批判が突きつけられている。とりあえずは、このような課題や批判に答えていくためにも、本書がその一助となってくれることを願うばかりである。
本書はわれわれ四人の力だけではこの世に出ることはなかった。本書ができあがるまでには、障害学会、障害学研究会、障害学メーリングリストなどで交わされたやりとりを見たり、聞いたり、また実際にそのなかに入ったりした経験が、翻訳作業を進めるうえでの礎となっている。その意味で、たくさんの方々から協力をいただいたといえる。そのなかでも、とくに杉野氏には感謝したい。原著との出会いをもたらしてくれただけではなく、公私にわたっていろいろとご指導をいただいた。また、私が訳文をチェックをする際には再三にわたり相談に乗っていただき、数々のアドバイスをいただいた。杉野氏の協力がなければ、本書は日の目を見ることがなかっただろう。
二〇〇六年二月
訳者を代表して
著者プロフィール
マイケル・オリバー(オリバー,マイケル)
元グリニッジ大学教授。
一九六二年に頸随損傷者となり、それ以来四肢麻痺の障害者として生活をしている。グリニッジ大学における障害学(ディスアビリティ・スタディーズ)担当の教授であり、かつてはケント大学でも教鞭を執ったことがある。現在ではグリニッジ大学を退職し、同大学名誉教授になっている模様で、ロチェスターに在住している。
単著に、Social Work with Disabled People(一九八三年初版。一九九九年に改訂されて、Bob Sapeyと共著になっている)、Walking into Darkness: The Experience of Spinal Injury(一九八八年)、Understanding Disability: From Theory to Practice(一九九六年)がある。編著としてはSocial Work: Disabled People and Disabling Environments(一九九一年)、Disability Studies Today(二〇〇二年、Colin Barnes, Len Bartonとの共編)があり、共著としてはSocial Policy and Disabled People: From Exclusion to Inclusion(一九九八年)、Personal Asistance Schemes in Greenwich: An Evaluation(一九九二年)などもある。
(本書訳者あとがきより抜粋)
三島 亜紀子(ミシマ アキコ)
大阪市立大学大学院生活科学研究科博士課程退学。現在、東大阪大学こども学部講師。専攻は社会福祉学、社会学、障害学。主な著書に『児童虐待と動物虐待』(青弓社、2005年)、『学問と専門職(仮題)』(勁草書房、近刊)。
山岸 倫子(ヤマギシ トモコ)
現在、東京都立大学大学院社会科学研究科社会福祉学専攻博士後期課程在学。専攻は社会福祉学、障害学。
山森 亮(ヤマモリ トオル)
京都大学大学院経済学研究科博士課程修了、東京都立大学人文学部講師(休職中)。ケンブリッジ大学研究員。専攻は社会政策。興味のある分野は障害者運動と基本所得構想。主な論文に「必要と公共圏」(『思想』2001年6月号)、「基本所得」(『現代思想』2003年2月号)がある。
横須賀 俊司(ヨコスカ シュンジ)
関西学院大学大学院社会学研究科博士課程後期課程単位取得退学。現在、県立広島大学保健福祉学部助教授。専攻は障害者福祉論、障害学。主な著書として、『構造的差別のソシオグラフィ』(共著、世界思想社、2006年)、『セクシュアリティの障害学』(共著、明石書店、2005年)、『障害者福祉論』(共著、ミネルヴァ書房、2002年)などがある。
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