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きこえない子の心・ことば・家族
聴覚障害者カウンセリングの現場から
- 出版社在庫情報
- 在庫あり
- 初版年月日
- 2004年10月
- 書店発売日
- 2004年11月5日
- 登録日
- 2010年2月18日
- 最終更新日
- 2015年8月22日
紹介
きこえない子どもたちの成長過程における困難とは?絶対多数の聴者社会の中できこえずに生きるとは?「きこえ」の異なる親と子の関係形成とは? 臨床心理士としての数多くの出会いや体験から,聴覚障害者の人格形成における言語=手話の重要性を訴える。
目次
はじめに――親子喧嘩
[1]手話という「話しことば」
1 ウルトラマンタロウとウルトラマンレオ
2 「人とかかわる能力」の始まり
3 せつない やるせない くるおしい
4 ぼく、大きくなったらきこえるようになるの?
5 「関係性」を生きる
6 ゴミ箱に散ったお弁当の「傷」
7 問題の顕在化・低齢化と「手話」
[2]きこえない人々の心に触れて
1 「きこえなかったら言いなさい!」
2 コーラス大会の朝
3 爆発的な行動化
4 私はあなたの身体には触れないわよ
5 底なし沼の暗闇
6 きこえない「事実」
7 鎖につながれた象
8 「本人」から学ぶ
[3]きこえの異なる親と子
1 ママはきこえないの。だから、おててで話そうね
2 親への同一化
3 世代間伝達――コーダの心を守りたい
4 マンハッタン・スクール47
5 心の安全基地
6 ぼく、きこえない人になってもいいの?
7 意味を生きる
おわりに――臨床心理学という視点
あとがき
前書きなど
はじめに――親子喧嘩 ある会合でお会いした手話通訳士の方から、「親子喧嘩の通訳を依頼されることがある」という話を聞いた。何とも複雑そうな表情に映った。本来ならば他人が踏み込むことのない状況に、立ち会ってしまった「後味の悪さ」だろうかと感じた。 きこえる親ときこえない息子、きこえない親ときこえる娘――。どんなかたちにせよ、親子が喧嘩をするのに通訳を求めなければならないという実態は、何とも悲しく、寂しい事実である。けれども、たとえ通訳を介してではあれ、「言い争ってみよう」と思える関係にある親子は、ある意味では、まだ幸いだと言えるのかもしれない。そこには、「伝わればわかり合えるはず」という希望が存在するからである。 筆者は、心理カウンセラーとして多くの聴覚障害者とその家族に触れるなかで、そんな希望からはほど遠い、わかり合えるはずもない「関係」を目の当たりにしてきた。きこえの異なる親と子の間で交わされた会話の多くは、残念ながら、コミュニケーションと呼ぶにはお粗末すぎた。 インテグレーションで私立の高校を卒業した息子は、大学受験に失敗したのをきっかけに、すっかりやる気をなくして自室に閉じ籠もってしまった。ろう学校高等部を優秀な生徒として卒業し、大手の工場に勤め始めた娘は、入社後間もなく「同僚がいじめる」と言って出勤しなくなり、その後、家庭内暴力が始まった。このような話は、あとを絶たない。 親たちは困っている。当事者である子どもたちは、もっと困っているだろう。けれど、カウンセラーの前に座る親と子は、信じられないほど「語り合えない」。手話通訳を介してすら、難しい。どちらか片方が、一方的に不満や苦情を訴えることはある。だが、親子の間には、話しことばとして双方が自由に使いこなせるコミュニケーション媒体がない。対等な立場で伝え合い、話し合う体験をしたことはないのだろうと想像される。 多くの親たちが、「この子は、口話でわかります」と言う。「すべてわかります」という意味のときもあれば、「だいたいわかります」という意味の場合もあるが――。きこえない子どもたち自身も、「ぼくは、手話は必要ありません」と言う。けれど、それならばなぜ、彼らの話はかみ合わないのか。親が必死でしゃべっている内容は、なぜ青年には伝わらないのか。 母親と筆者が話し始めると、たとえ最初は一所懸命に母親の口元を見ていた青年も、まもなくあきらめて、遠い目であらぬ方向を見つめ出す。絵に描いたように、みんな同じである。そして、母親と筆者が話している文脈とはまったく異なる話題を口にし始める。独りで笑ったり、怒ったりする青年もいる。 この情景はいったい何を意味するのか。このような状況を作り出した教育とは何なのか? 親と子が喧嘩もできない「現実」と引き替えに、「きこえなくても、努力次第で、健聴者と同じように話せます」という謳(うた)い文句が聴覚障害者に与えたものとは何なのか。 ろう教育において手話が否定されるようになったのは、一八八〇年にミラノで開催された「第二回ろうあ者教育国際会議」以来であるという。この会議は、それまで百年にわたってつづいてきた手話での教育を排し、口話教育に移行すべきであると決議した。手話はろう者を「聾唖の世界」に閉じこめるものであり、音声言語の習得なくして彼らの幸福はないと考えられたのである。以後、世界的な規模で口話法が広がっていった。 日本では、欧米より約半世紀遅れた大正年間以降、手話を全面否定する口話第一主義が主流となった。聴覚障害教育の目標は日本語の習得であり、それは、日本語の発語訓練と読話訓練を通じてはじめて可能となるという考え方だった。きこえない子どもたちの自然な「話しことば」であったはずの手話を厳しく禁止し、ときには体罰も与えられた。「簡単に意思疎通のできる手話を許してしまえば、子どもたちは安きに流れ、口話をおろそかにしてしまう」というのが手話禁止の主な理由であった。 戦後になって体罰こそ和らいだものの、手話否定の論理は生きつづけた。補聴器の進歩も手伝って、一九六〇年代からは聴覚口話法が主流となった。音をきき分けること、きれいな発音ができるようになること、口話力に基づいて書記日本語を習得することが、聴覚障害児教育、とりわけ幼児期の教育の目標となったのである。その結果、ろう学校幼稚部で訓練を受ける子どもとその親たちにとって、地域の小学校にインテグレーションできるだけの口話力を獲得できるかどうかが重大な試金石となった。 一九九〇年の春、ひとりの臨床心理士がろう者の存在に気づき、手話を習い始めた。そして、ろう者の生活や教育史に触れ、生まれてはじめてろう者と話をした。そして、手話を否定してきた口話教育のことを知った。その瞬間、手話のない健聴者家庭のなかにぽつんと独りで存在しているろう児の姿が、筆者の胸に焼きついた。「どうして!?」と問いかけながら――。 あれから十数年。臨床心理士として聴覚障害者に出会ってきた体験は、筆者自身の抱いた疑問にどんな答えを与えてくれたか。それを、この本をとおして書きつづってみたいと思う。
上記内容は本書刊行時のものです。