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「とじていない」出版物

 前回の版元日誌で、電子書籍ではページ概念が固定していないということを書きました。
 紙の書籍や雑誌は文字の連なりをページごとに区切って印刷し、それを綴じることで成り立っています。
 いま、人々の情報取得手段として、紙の書籍や雑誌から着々と可処分時間を奪っていっている電子書籍やwebサイト、SNSといったメディアの表現形式は、そうしたページの区切りから解放された「新しい巻き物」といえるでしょう。

 webサイトはさまざまな制約や計測上の要求などから、擬似的にページで区切られたものもありますが、いっぽうでページ長に物理上の制約がないことを象徴するような、「無限スクロール」という手法も使われるようになりました。どれだけスクロールしても終わりなくコンテンツが更新されて出てくるさまは、まさに魔法の巻き物です。
 決まった順序にしたがって「綴じられていない」コンテンツは、自由自在にワンタップであちこちにジャンプしていける「閉じられていない」コンテンツでもあります。その魅力が、電車内のみんながスマホに向かってうつむいている風景を生んでいるのでしょう。
 しかし、この綴じていない形式、紙の出版物でも可能です。それも、よりダイナミックな経験ができるかたちで。
 今回の版元日誌では、小社で出版している「綴じていない」出版物から2種、紹介させてください。 (さらに…)

すこし未来に向けてつくる

砂川秀樹さんの『新宿二丁目の文化人類学──ゲイ・コミュニティから都市をまなざす』を電子書籍化しました。
浩瀚な本ですが、幸いにも専門分野からもセクシュアル・マイノリティの当事者からも大きな反響をいただき、当初想定したメインターゲット層以外にも広がってきています。書店店頭で、特産品による地域コミュニティづくりの本などと並べられているのをみたときには「そういう文脈もありうるのか」と驚きました。
電子化の希望は、とくに入手の難しい海外在住者から強く来ていました。物流からも決済からも、電子化はそういった需要に対して大きなメリットがあります。 (さらに…)

書籍販売の未開拓地

 書店がおこなう読者へのプレゼントに、つねづね疑問があります。あのアイテムの選び方って、どうなんでしょう。上のほうが電子辞書で、下は栞やブックカバーというのが定番で、このへんは本にちなんでいるけど、ほかはDVDプレーヤーや自転車など、お年玉年賀ハガキのような不統一なラインナップ。使い勝手はいいけど身もフタもないのが商品券で、図書券や図書カードならまだしも、旅行券やQUOカードの場合もあります。少数でもいいからもっと夢のある賞品が選べないものでしょうか。
 書店の読者にマッチする、夢のあるプレゼント。つらつらと考えるに、それは「本棚」だとおもいます。

 5月の連休に、「SFセミナー」という催しがあり、そこで「あなたの本棚の物語」なる企画がおこなわれました。何人かのパネラーの「書籍の整理術」が紹介されるとのふれこみだったのですが、じっさいには「収納術」に近いものでした。 (さらに…)

2007年版元ドットコム総会レポート

 版元ドットコムが2006年4月に有限責任事業組合として活動を開始してから、1年が経ちました。その1年間の活動をふり返り、これからを展望し、会員・会友の交流を深めるための総会が、5月28日に神保町の学士会館でおこなわれました。「研究集会」「会員集会」「懇親会」の3部構成でおこなわれた模様を報告します。

学士会館会場となった学士会館
昭和3年築の重厚な建物でした

(さらに…)

印刷屋さんはエラい!

3月の3連休、印刷屋の真似事をした。
手づくりの漢字教材を自社内の簡易デジタル印刷機で印刷したのだ。
A4判300部、全11巻総計1020ページ。大仕事とはおもっていたが、考えた以上にたいへんだった。

最初は、著者が40ページていどずつのものを自宅で刷って、教員に頒布していたのだが、小学校配当漢字全1006字のワークブックの印刷となると、ちょっとすごい作業量になってしまう。
話を聞いているうちに、スキャン→PDF化→面付け→自動製版・印刷という流れをつくれば、かなり省力化できるのでは? と考え、ソロバンをはじいたら、諸々の協力もあって、なんとかできそうだ、と浅はかにも考えてしまったのだ。

まずは、もとの手書き原稿のスキャニング。当初は1枚1枚フラットベッド・スキャナでスキャンして、補正をかけて、とやっていたが、さすがにラチがあかない。オートフィーダのあるビジネスコンビニに外注した。
そこからの面付けは、折よくAdobeのAcrobatが7.0にバージョンアップして、トリミングなどの機能が大幅強化されたので、かなりラクにできた。

問題は、印刷だった。

まず、速度の問題だ。小社で使っている簡易印刷機の説明書を見ると、「1分間最大120枚」と書いてある。つまり、1時間7200枚しか刷れない、ということだ。300部×1020ページは約30万ページ。それを2面付け両面印刷するので、予備を入れて8万枚16万通し。ぶっ通しで刷っても20時間以上かかるということだ。この速度はプロの印刷屋が使っているオフセット枚葉機でも大きくは違わないようだ(もちろんサイズが違うので生産量は4倍だ。両面機なら8倍。輪転機ならケタ違いに速い)。
印刷ドラムの加減速の時間や製版時間など考えると、物理的に30時間以上はかかる。しかし、3連休というのは72時間しかないのだ。機械を最大効率で働かせようとしないかぎり、完了はおぼつかない。

ちょうどこの3月は、印刷屋のスケジュールがとても混んだ。聞く話によると、中学の指導要領改訂がらみで、印刷需要が急増したらしい。そんななか、ふだん2週間足らずでできる重版がいくらたっても日程のメドがつかず、ずいぶん印刷屋の営業さんをせっついたものだ。
自分が刷る立場になればわかる。「物理的に機械の日程がどうしてもとれません」とは、こういうことか。彼らも、「そんなこと言ったって、ムリなもんはムリだよ!」とおもっていたことだろう。

印刷をはじめてみると、紙の補給が手間になる。印刷の助手を「フィーダー」というらしい。紙やらインキやらを印刷機さまに遅滞なくお渡し申しあげることが重要になる。紙を適量いい位置に用意しておき、版替えのあいまにすかさず投入しなければならない。かといって手荒く扱えばたちまち印刷曲がりや折れの原因になる。
最初は、「印刷のあいだにほかの仕事もこなそう」なんて思っていたけど、そんな時間はありゃしない。

今回、用紙はA判22連を4裁して用意した。つまり88,000枚。1割の通し予備に、さらに8000枚の予備をつけたが、まったく安心はできない。じっさい、用紙セットの前後を間違える、面付け処理前データを印刷する、下巻のウラに上巻を刷る、データ転送のエラーを見逃す、エラーで電源を再投入したとき位置調整を忘れる……考えられるあらゆる事故をおこした。
こうなると、予備の枚数をケチって、事故に備えた用紙を手元に確保しておきたくなる。ふだん自分では「予備は均等に刷ってよ。製本側にだって予備は要るし、発注数以上にできればそれに越したことはないんだから」とか要求しているくせに。

5万枚を越したあたりから、紙送りモーターに熱を持ったらしい印刷機がエラーを出しはじめ、また、ローラーの摩耗や調整ズレも起こりかけて、ヒヤヒヤしながらの印刷だった。ここで機械に故障が起これば、納期は絶対に守れない。

さんざん苦労してつくったこの刷り物だが、A4判30万枚というのは考えてみれば、A5判240ページ5000部という、ごく一般的な単行本1点の分量にすぎない。
注文された印刷物を毎回毎回、規定の枚数、納期通りに、きっちりキレイに仕上げていくというのはどんなにタイヘンなことか。印刷屋さんの苦労を垣間みた気がした。印刷屋さんはまったくエラい! ちょっと刷りが遅れたとか、用紙予備の要求が多いとか、そのくせ刷られた予備が少ないとか、そんなことで文句は言わないようにしよう。とりあえずこれから10日くらいは。

今回の話、刷り物を丁合いをとって製本するのは、はなからプロの製本屋さんにまかせる計画だった。シロウトのこんな無茶な印刷ができたのも、最後にプロのチェックがはいる安心感があったからだ。製本屋さんもエラい!

太郎次郎社エディタスの本の一覧:版元ドットコム

書籍が総額表示にできない3つの理由

 先日、書店で見た光景。
 レジで初老の男性客が、多量の本を買って精算を待っている。手持ちぶさたに、書店員に話しかける。
「本は総額表示じゃないんだね。」
 書店員は、「ええ、まあ」と口をにごしている。
 気持ちはわかる。下手な受け答えをして、お得意さんの機嫌を損ねたくはないし、「なんで、版元の表示の都合に私が言いわけしなくちゃならないんだ」という気分もあるだろう。でも、ちゃんと答えてほしいとおもう。本には、総額表示にできない理由があるのだから。

 もとより、「総額表示義務化」はこれからの消費税増税に向けて痛税感を緩和するためにおこなわれた。「価格表示に混乱がある」「レジでわかりにくい」などという、絶無とまではいかないまでも、普遍性も切実性もない理由がつけられているが、そこに正当性はない。
 私が小出版社の営業として見聞した範囲から言うと、この正当性のない理由づけに諾々と従えば、書籍流通、とりわけ既刊流通は近い将来に大きなダメージを受けることになるだろう。書籍の流通は以下の3点の理由によって、まったくもって総額表示には向かないからだ。

●理由1 点数が多い。

 現在、書籍の入手可能点数は70万点ほどと言われている。なかなかの点数だ。
 店舗あたりの点数も多い。たとえばコンビニエンスストアの一般的なアイテム数は40坪弱で3,000品目くらいといわれるが、3,000点しか置いてない書店というのはほとんどない。書店によって開きはあるものの、だいたい坪あたり400点くらい置いている。駅前10坪強の書店でも4,000点はある。コンビニの6倍の密度だ。
 中規模(1,000坪ていど)なスーパーストアで25,000アイテムだそうだ。書店で1,000坪といったら、それは大きい。日本最初のメガブックストアといわれた八重洲ブックセンター本店が現在1,200坪、在庫点数は40万点以上となる。
 一方で市場規模はと言えば、書籍のみなら1兆円、雑誌とあわせても2.5兆円に過ぎない。コンビニ業界は主要13チェーンで7兆円、スーパー業界なら 14兆円だ。16倍の密度に14分の1の売り上げ。書籍業界の負担はスーパー業界の200倍以上になる勘定だ。

 とはいえ、点数の多い業界はほかにもあるかもしれない。手元にある50ccオートバイの部品リストを見てみると部品点数は1台で約1000点、それぞれに希望小売価格が付いている。機械部品は点数が多そうだ。しかし、書籍の流通にはほかにも特徴がある。

●理由2 メーカーが価格を決めている。

 コンビニやスーパーでは、商品に値札が付いていることが少なくなった。かなりの店で、ハンディターミナルとPOSレジのシステムが導入されている。バーコードをキーにして、店で決定した小売価格をデータベースに登録し、価格を棚の表示に反映させ、レジでの表示にも連動させている。
 生鮮食品が閉店間際に半額になったり、ある棚のものがタイムセールで20%引きになったりするのを見ればわかるとおり、小売価格は小売店が決定する。逆にメーカーが小売価格を統制することは独占禁止法で規制されている。
 出版業界は、この独占禁止法の規定から適用除外を受けていて、メーカーが小売りの末端価格を指定することができる。再販売価格維持制度、略して「再販制度」と呼ばれるものだ。出版社はほとんどすべてがこの再販制度を利用し、個々の書籍のカバーに「定価」を印刷することでアイテム毎の販売価格を指定している。
 日本の出版界がもつ、「再販制」と小売店が仕入れた書籍の返品をおこなうことができる「委託制」との組み合わせは、小売店のリスクとコストを下げることで、多品目の書籍を店頭に流通させることを目的につくられたものだ。種々の弊害は指摘されてきたが、おおむねその目的に成功してきた。
 このシステムでやってきたため、書店は小売価格を自分で決める裁量をもたないし、もてるだけのマージンも受け取っていない。そのため、書店は価格表記を変える機能をもっていない。ハンディターミナルとPOSレジのシステムを持った書店も増えてきたので、原理的には書店が価格表記を変えることもできる。その場合、前述の取り扱い点数が邪魔をする。書店の棚は多くが1点1冊なので、棚に価格表示をすることはできない。したがって、かつてのスーパーでよく見られたように、ラベラーを使って価格ラベルを1枚1枚手貼りするということになる。しかも1枚ごとに価格設定を変えて。そのコストは膨大なものになる。書店にはとても負いかねる。
 したがって、「再販制」と「委託制」のなかで、価格表記が変更されるときには、いったんメーカーである出版社に品物が差し戻される。ここに流通コストが発生する。これは、消費税の導入時にじっさいに起こったことだ。

●理由3 長期にわたって流通する。

 現在、書店の店頭には多くの書籍が本体価格表示のまま並んでいる。「当面、本体表記のものも混在します」という店頭の貼紙を見た人も多いだろう。しかし、いまの混在が過渡期のものとおもったら大間違いだ。2002年の書籍新刊点数は7万6千点。現在の流通点数が前述のとおり70万点。つまり、いったん世に出た書籍は平均10年に渡って流通する。その間、幾度かに渡って出版社と店頭を往復するわけだが、その出荷のされかたは、新刊や重版で一度に配本されるだけではない。1冊1冊を読者に届ける客注や店頭の棚に並ぶ常備品の入れ替え、書店のフェアへの出荷などは、在庫品から出荷することになる。在庫品を出荷するのに価格表示の確認の手をかけられない出版社もあるだろう。
「当面の混在」はどのくらい続くだろうか。仮に、店頭にある書籍の98%くらいの価格表示が改まるのを「混在の解消」と考えるのなら、店頭在庫が代謝してその状態になるのに、すべての出版社が協力しても2年以上はかかるだろう。
 政府税制調査会は、消費税を2025年度までに20%ていどまで引き上げるとしている。小泉内閣が来年には倒せたとしても、20年で15%だ。2%きざみとして7〜8回、ほぼ3年に1度の増税がある勘定になる(増税がなかった場合は国債の濫発からハイパー・インフレが起こるので、定価うんぬんの論議はいっさい不要になる)。
 3年ごとに、この4月のような混乱が起こる。しかも、「定価1800円(税込)」だけしか書いていないような表記では、実際の支払い金額がいくらなのか、たしかめようもない。いつのまにか「定価表示カード」という名前をつけられた書籍スリップの上部への総額表示は上記のような税込み総額のみの表記が多い。(5)などと書いて税率5%を示唆しているものもあるが、そんな符牒を読者に判れといっても無理だろう。
 財務省の言うような「わかりやすい表記」は、「スリップへの表記を随時変更」という方式では向こう20年以上は無理ということになる。その間に、再販制維持とのバーターをちらつかせた「カバーに総額表記せよ」という公権力からの圧力があらわれるだろう。書店が出店しているショッピングモールやデパートも「他業種と足並みを揃えよ」と言ってくるかもしれない。書籍への総額表示の必要性を認めてしまったら、そこに反論する根拠をどこに求めればいいのか。

 以上の3点の理由の組み合わせによって、書籍を総額表示にするのはとても難しい状況にある。逆に言えば、総額表示を強行しようとすれば、3点のうちいくつかを犠牲にしなければならない。さしあたり「理由3 長期にわたって流通する」が犠牲になるだろう。
 ただでさえ、既刊の流通はコストとの闘いである。新刊がもつ「手をかければ火がつくように売れだすかもしれない」という希望が既刊には薄い。これまでの売上実績から予測売上を出し、倉庫費用などの維持経費との兼ね合いで在庫量を決定することになる。死蔵させておいても売上が伸びることなどまずないが、やみくもに店頭に出荷しても、返品率を引き上げる結末になる。流通各所にかけてしまった負担と失った信頼も気が重いが、目の前で発生する入出庫経費や改装費もバカにならない。
 そんななか、「意義があるとおもって世に問うた本だから」「まだ読みたいと言ってくれる読者がいるから」、出版社は在庫を維持しようとする。「この本がなければ、社のラインナップが崩れてしまう」という本もある。そこに総額表示の負担だ。1点の書籍が10年間で経験する増税は3回。カバーの変更なんてムリ、奥付表記なんてもってのほか、スリップの表記ですら「やせ馬の背にわら一本」、品切れへのきっかけとなってしまうかもしれない。
 出版社が本を品切れにするのに、書店が本を返品するのに、「価格表記が古いから」という本質からまったく遠い理由を発生させてはいけない。「古い本=重版ができない本=売れない本」という等式はいつでもどの書店でも正しいとは限らない。読者・場所・時によって、求められている本はちがう。
 新刊・重版ごとにスリップを入れ替えていけば、「新価格表記のあるものは売れスジ本」となる。しかし、そのような本だけが残って日本中の書店が「ランキンランキン」になってしまうような状態に、あなたは耐えられるだろうか?

 5%への増税時に導入した本体価格表示こそ、本の安定流通のために書籍業界が公取委に対して勝ち得てきた権利ではなかったのか。それをこうも簡単に打ち捨てて、ほんとうにスリップだけで妥協が済むのか。早々にカバーに総額表示を入れだしている出版社もある。いまこそ、「本は総額表示にできない理由がある」とはっきり言い、読者や周辺業種への理解を求めるべきだろう。
 スリップ表記に妥協することで「花を捨てて実を取った」気になって説明を怠れば、将来に痛い目を見ることになる。

埼玉県内の独立運動

 先週の本欄で、吉備人出版の金澤さんが地方の話題、市町村合併と題して、岡山県内の市町村合併について取り上げていたが、この動きは、都下・首都圏でも関心事となっている。行政の一貫性、市町村名、役所の位置など、当事者のメンツと利害がからんで、多くの軋轢が生じている。
 私は、「さいたま市」なるケッタイな名前の市から逃げ出すように移住したのだが、その先でも合併の問題があった。

 現住の鳩ケ谷市は、1950年に川口市から分離独立したという、珍しい来歴をもっている。1940年に総力戦体制の一環として、行政簡素化のために吸収合併させられたのを、住民運動によって再独立したのだ。合併は県の発案・指導のもと、反対派議員の逮捕拘禁をふくむ「ムチとムチ」によるものだった。この記録をみると、地方の役人が中央に迎合したとき、こんな無法をおこなうものかと憤りが湧いてくる。
 戦後の独立運動のほうは、めっぽう面白い。鳩ケ谷地域を二分する論戦・文書戦がかわされ、分離独立派が川口市政の中央部優先・不公平を言えば、合併存置派が「戦中・戦後の窮乏の怨嗟を市政の問題にすりかえている」とやり返す。双方とも経済的メリットを主張し、相手の試算を攻撃する。街頭に掲示板がならび、川口市長が反対声明を出し、デモでは「(独立)賛成音頭」が踊られる。よくもまあ、地域行政の区割り問題にここまで熱くなったものだとおもう。住民投票の投票率は87パーセントだった。

 現在、鳩ケ谷市は経済的な苦境にありインフラ整備も進まないことから、今回の「平成の大合併」で川口へ再合併したほうが得策、という声が高まっている。しかし、その声は1950年に交わされたような熱い声ではなく、地域への強い愛着が感じられる言葉でもない。
 鳩ケ谷の合併と独立にまつわる事柄を、私は市の図書館で知った。転入時に市からもらったパンフレットには江戸期以前の風俗と1967年の市制施行以降の年表しか載っておらず、近現代史が抜けているのを不審に思って調べてみたのだ。
 たしかに分離独立の歴史は、川口市や県との対立の歴史でもあり、計画している合併の妨げとなるかもしれない。しかし、地域の記憶を知り、どんな街に住みたいかを語りあうことこそが、住民参加のまちづくりの出発点ではないだろうか。
 そういう意味で、市町村には「行政効率の適正規模」のほかに、「住民が地域の記憶を共有して、まちづくりに参加していくための適正規模」というものがあるのではないかとおもう。

 図書館には『鳩ケ谷市史・通史編』(1993年、鳩ケ谷市)のほかに、分離独立運動の中心人物であった高木利泰氏の著作『鳩ケ谷と私の昭和史』(1993 年、聚珍社)が複本で所蔵されていた。2000年までの貸し出しは日付が捺されていて、手元にある本は『通史編』が45回、『私の昭和史』が29回、どちらもコンスタントに貸し出されていた。公共図書館が「地域の記憶を受け継ぐ」という大きな役割を果たし、それに関心を持つ住民がいる。あとは、その関心をどうやって繋げていくか、である。

 太郎次郎社では先月、『変革は、弱いところ、小さいところ、遠いところから』と題した新刊を刊行しました。全国各所のまちづくりを世話する著者による、地域からの社会再生の実践がつまった本です。第1章は、「まちづくりは、『まちを知る』ことからはじまる」という項から始まっています。どうぞ、ご覧ください。

見つからない……

 世の中、どんどん便利になっている。そのせいだろうか。自分がどんどんちょっとした不便にもイラだつようになってしまったような。

 平日の夜、帰宅したところでFAXが送られてきた。1枚目が出てきたところで止まる。インクリボン切れのようだ。送信相手にコールバックして、用件を確認する。
 これで用は済んだのに、FAX電話機は「メモリージュシン3マイ」と「インクリボン テンケン」の表示を明るく交互に点滅させている。でもインクリボンの買い置きはない。

 機械に急かされるのは嫌いだ。夕食を食べながら、電話機の説明書をイライラとめくる。しかし、「インクリボンを交換してください」という指示があるだけで、メモリー受信の内容をプリントせずに消去したり、FAX機能を殺したりする方法は見つからない。
 どうやらこのピカピカ表示は、インクリボンを買ってくるまで処置なしのようだ。

 住んでいる町のなかでは普通紙FAX用のインクリボンは売っていそうにない。職場の近くで買おうかともおもうが、きっと日中はそんな用事は忘れてしまうだろう。それで連日帰宅するたびに電話機を見て、自分のまぬけさに悲しくなる羽目に陥るのだ。
 機種名をメモしていくのも手間だし、ネット通販で買うことにした。

 まずはメーカーである「三洋電機」にアクセス。メーカーからの直販はなかったが、純正リボンの品番はわかった。
 つぎにその品番をgoogleで検索にかける。機種対応表ばかりで売っているところはひっかからない。
 yahoo!から文具通販の「アスクル」をたどる。しかしインクリボンは対応のあわない一種類しかない。
 会社で使っているコクヨ系文具通販「カウネット」にアクセス。購入はIDを郵送で発行してからという。そんな悠長なことはやってられない。

「FAX」「インクリボン」でyahoo!を検索。企業間取引のサイトしか出てこない。それではとgoogleへ行くと2000件ほど出たが、FAX電話の機能概要ばかり。「楽天市場」でもダメ。
 googleに戻って2000件をつらつら見直してみる。事務機・文具系のサイトが多いが、カタログばかりでショッピングバスケットのあるところがない。
 それでもカタログからFAX用のインクリボンはメーカー問わず、だいたいCタイプとSタイプの2種類で、ウチのはCタイプということはわかった。そんな一般的なものが、なぜ見つからない!?

 すでにネットに向かって40分が経過。こうなると意地でも探しだしてやるという気になってくる。
 それなら電器屋系を、と「ビックカメラ」へ行くとFAXはあっても消耗品はない。「ヨドバシカメラ」でついに発見! しかしショッピングバスケットがビジーで止まっている。
 とりあえず〈あった〉という事実に希望を抱きつつ「ソフマップ」「さくらや」「コジマ」と探す。みんなFAXの消耗品は感熱紙、トナーばかり。家庭用普通紙FAXに使うインクリボンはない。イラだちがつのり乱暴になる操作に堪えかねたように、iCab(ブラウザ)が何度もフリーズする。

「ラオックス」「オノデン」「サトームセン」「石丸電気」……どこにもない。本体は売ってるのに、消耗品はない。単価が安くて利幅がないからか? こんな売りっぱなしはリアルショップじゃ許されないんじゃないか? 「インターネットはからっぽの……」なんて言葉が浮かんでくる。

 FAX電話機は「家電→通信機器」というカテゴリにはいることがわかってきた。もっと大きなカテゴリで探せばいいのでは、と「家電 消耗品」を yahoo!で検索。あっけなく、電化消耗品専門サイト「ウェビー・ショップ」が出てきた。そのトップページに「今 売れてます! 普通紙ファクス用インクリボン」という記事がある。ああ、みんな探してるんだなあ。ほかの人はもっと賢くたどり着いているんだろうか……。

 購入申し込みをした翌日、メールが届いた。翌営業日に出荷するとのことだった。

追記……「売ってない」と書いたショップですが、探し方が悪い or サイトレイアウトが悪い という理由で見つからなかっただけ、という可能性もあります。
追記2……会社のビジネスホンを買い替えようとしたら、意外に高価でビックリしました。工事と機械が安い業者を探して、似たような苦労をしています。よい業者やよい探し方を知ってる方、メール(suda@tarojiro.co.jp)にお知らせください。

運動と販売の距離

 商売ごとは2月と8月は売上が悪い。俗に「ニッパチ」と言われるやつだ。今年は8月にはいって書店からの注文の落ち込みがとくに激しい。あの暑さでは無理もなかったんだろうけど。
 ウチのような教育書の版元にとっての救いは、夏は教員向けの研究集会や講演会が多数あるということだ。これで落ち込んだ収入を若干カバーできる。とはいえ、出張費が出るほど売れるわけでなし、人手もなしで、たいがいは主催者か地元書店に販売を委託することになる。
 その、集会販売を熱心におこなっている書店から、悲しい話が聞こえてくる。

 最近、販売に制限がつくことが多すぎる、というのだ。制限というのは、
○講演者・パネラーの著書以外は販売できない。
○会場から離れた人通りのないところに販売場所が設定される。
○主催者の紀要や雑誌に広告を掲載した版元の本しか販売できない。
といったもので、こうなってくると、出かけていって出店料を払った甲斐のあるほどの売上はなかなか上がらないという。

「この会場で現金の授受はできないので、注文だけとって、あとで精算してください」などと言われたこともあるという。
 多くの場合、表面的には会場側(とくに公民館・学校などの公的設備)の都合で、販売が制限される。しかし、役人が商売人を見下して居丈高な命令をするのは昔からあったことで、むしろ制限は緩くなりつつあるのが現状だろう。
 むしろ問題なのは、主催者が販売者の立場に立って、会場側との交渉にあたってくれなくなっていることらしい。

 主催者側の教員は多くが公務員だが、以前は「関連する書籍を販売するのも、運動の一部」と考えてくれていたのが、最近は「書店や版元は、ウチの集会の動員人数をあてこんで商売にくる業者」と見る人が多くなったという 。
 私も直接間接に経験のあることだが、公務員の「業者」蔑視には目にあまるものがあり、そのくせ供応に慣れていて便益を要求するから、教科書などもちろんつくっておらず、大規模採用をねらいようもない版元にとっては、ギブ&テイクの関係がつくれない。
 逆に商才ゆたかに主催者自ら販売を請け負い、版元に条件交渉し、利益で主催費用の一端をまかなおうという会もある。これは尊敬できる姿勢だ。この商才がべつの方向に行くと、前述の広告費や出店料での「業者食いもの路線」に行ってしまう。

 ともあれ、私は、話を聞いた書店さんが懐かしんでいた「同志的連帯」の時代が、必ずしもいい時代だったともおもえない。そこに巣くっていた「運動ゴロ」たちがつくった馴れあいの関係が、下り坂の時代には不良債権となっていくのをすこしは見聞してきたからだ。
 しかし、「イベントプロモーターと提携業者」の関係となって、売れる本を仕掛け、一時の熱気で著者サイン本を売りまくる、という「参加者食いもの路線」もなかなか寒い構図だ。
 なんとか、販売ブースが集会の一部として成立しながら、日々の衣食に足るだけの利益も出る、という関係をつくりたい。本を売ることはその内容を広める運動であり、この両者は矛盾しないはずだ。
 本も売れない「研究集会」なんてロクなものではないのだから。

 次回は、同時代社の川上さんです。