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切手、語りに偏りあり。

切手が伝える第二次世界大戦切手が伝える第二次世界大戦
メディアとしての切手
著者(編者)印南博之
彩流社
本体価格・・・1600円
ISBN・・・4-7791-1144-7

本書は、切手で第2次世界大戦を振り返ってみるという無茶な企てを本にしたものである。
2004年の6月、軍事史学会の年次大会に関連書の販売に出向いた際、著者の印南博之さんから声をかけられたのがきっかけである。
軍事専門版元でもないのにそんな学会にのこのこ出かけてゆく私も物好きなら、そんな私に声をかけてくれた印南さんはそれに輪をかけた立派な物好きであった。 (さらに…)

出版社にとっての返品激増問題

(2005.11.8 新文化通信紙 に寄稿したものを転載)

263_2.gif返品がとまらない——。
今年8月、小社は創業26年の歴史の中でも未曾有の返品量となった。それ以前に売れるものがあって市場在庫が増えていたというような要因はまったくなく、返品の内容を分析してみても既刊本がやや多いくらいで取り立てて特徴もなく、新刊の返品が全体的に早く、多くなっている、という頭の痛い状態であった。
筆者は9月から10月にかけて、おもに返品をテーマにした版元中心の集まりに3度出席する機会を得た。一つは9月28日に流通対策協議会の経営委員会主催で「どうなってるんだ!?返品」と題して行われた返品問題情報交換会。もう一つは版元ドットコム主催で10月11日に行われた「返品問題研究会」、三つ目が10月14日に、100社ほどの版元と関係者が集まり行われた小社が業務委託している倉庫会社、大村紙業の「庄和流通センター開設に伴う説明会」である。
中小・零細版元の団体が主催した前二者の集まりには筆者も主催する側として多少関わっていたのだが、呼びかけから開催までの期間が非常に短かったにもかかわらず、予想を越える人数が集まり、関心の高さを証明する結果となった。 (さらに…)

美術館にて——本をめぐる事ども

 9月末、東信濃、塩田平にある「無言館」と「信濃デッサン館」という小さな美術館を訪れた。村山槐太の絵を観たかったのだ。私の郷里から車で30分ほどのかの地には、たびたび足を運ぶ機会があったものの、美術館に立ち寄ったのはこれがはじめてであった。
  実は3年前にも行ってみたのだが、正月休みで閉館中だったのだ。仕方なく隣接する未完成の三重塔で有名な前山寺に参詣し、ついでに美術館のグッズを販売している喫茶店で、窪島誠一郎氏の『鼎と槐太』という評伝、森口豁の『最後の学徒兵』を購入。せめてもの慰めとしたのだった。もっともそのときは「槐太」という限定発売の地酒(辛口安価美味)もその店で手にいれ、帰り際の路傍では地元で試みに栽培しているという「ヤーコン」なる南米原産の不思議な野菜(その後ミニブーム)を100円で分けてもらったりし、思わぬおまけがあり、冬の塩田平をじゅうぶん堪能したのだけれど。
 
  『鼎と槐太』と『最後の学徒兵』はすこぶるおもしろく、とくに『鼎と槐太』は槐太の奔放な天才ぶりが鮮烈で、どうしても絵を観たくなり、今回の訪問となった。
  その心残りの美術館、まずは「無言館」。(1997年開館、画業の志半ばで戦没した画学生の絵を展示し話題をよび、来館者がひきもきらず観光コースにもなっている)は厳粛な雰囲気で胸に迫る絵が多い。また、館長でもある前述窪島氏設計の館内のそこかしこに氏の個性が感じられ、「反戦」「夭折」美術館という喧伝されるイメージとは違った、なにかあたたかみがあり少々意外だった。ここの鑑賞料は300円以上の評価制。500円を払って、ついでに窪島氏の『「無言館」の坂道』というエッセイ集(このひとは多作である)も購入。
  さて、もう一つの「信濃デッサン館」。1979年窪島氏が私財を投じてつくりあげた「夭折画家」の素描コレクションが中心だが期待に違わず素晴しく、とりわけ槐太の迸るような才気の奔流には圧倒される。ただ鋭い才気というより、どこか愛嬌、野趣のある画風は槐太ならではのものだろう。ここの入館料は 700円。帰りにまたしても裏手の「槐太庵」というミュージアムショップで信濃デッサン館の画集、安売りしていた別の画集も購入。帰り際、今回は妻のリクエストで前山寺の名物「くるみおはぎ」を縁側で塩田平を遠望しながらいただきコース終了、念願成就と相成った。
 
  この「美術鑑賞物語」の間、私は実に5冊、8000円分も本を購入してしまった。窪島氏の本は確かにおもしろく、買う価値もあり、両館の館長ということもあるがそればかりでなく、美術館という雰囲気、旅、そしてそこに本があったから買ってしまったのだ。
  昨年訪れた馬籠の「藤村記念館」でも『夜明け前』を自宅本棚の奥底に眠っているのを知りながら、『藤村の童話』(だったと思う)と藤村カルタともどもつい買ってしまった。
  美術館ばかりでなくテーマパーク効果というか、映画館、博物館、コンサート会場、ライブ会場、講演会場、学会会場、寄席などは書店よりずっと効率よく本が売れる。好きな人=目的買いに近い人たちが集まるのだから当然である。書店売りに比べ絶対数は少ないのであくまで本道ではないけれど、確実に売れるという実感がある。私は営業も担当しているが、管理的な仕事が多く、特定の担当書店をもたないのでいきおいこうした異種流通、直販を多く扱うことになる。
 
 ●美術館では同じ信州安曇野の「碌山美術館」(文覚上人のブロンズ像がある)で小社の『文覚上人の軌跡』が15年くらい売られ続け500冊を超えている。書店では惨敗だけど…。
 ●3年くらい前上野にプラド美術館展が来たときは『スペイン宮廷画物語』が2ヶ月弱で200冊売れた。これは店頭でもよく売れ2刷目である。レンブラント展は京都と東京で『レンブラント』が計150冊。
 ●映画館では一昨年アイリス・マードックの生涯を描いた「アイリス」が渋い映画館ばかり15館ほどでロードショーをし各館でアイリス・マードックの最後の小説『ジャクソンのジレンマ』が140冊ほどの売上。おもしろいのは銀座で2ヶ月弱で80冊。関内が2週間で12冊売れたのに地方が惨敗でとくに仙台では2週間で1冊も売れなかった。
 ●同じく映画館、渋谷のシネ・アミューズと池袋文芸座ほかで連合赤軍をテーマにした高橋監督の「光の雨」。1ヶ月弱で『あさま山荘1972』のほか関連書含め300冊を超えた。これは小社の特色かつヒットシリーズなので当然なのだが、映画を観にきたのは20代の若い層が多く、新しい読者を開拓できたことがうれしかった。
 ●今年上映されたスペイン映画「女王フアナ」では『狂女王フアナ』を10館ほどで2ヶ月で200冊。
 ●博物館では「発掘された日本列島2004」の巡回展で『関東古墳散歩』が100冊ほど売れて関連書も少し置かせてもらって売れている。
 ●神社で売れた本もある。『卑弥呼と宇佐王国』(品切れ)は宇佐神社で400冊くらい。
 ●著者が路上で売ることもある。昨年末私が編集した新宿の路上書家、大西高広君の『一笑を大切に』は2200冊作って在庫が500冊くらいだが彼が路上で600冊売ってしまった。
 ●そして最近2刷になった
『天下御免の極落語』。寄席の爆笑王の異名を取る芸暦50年、73歳、誰にも文句は言わせない川柳川柳師匠が、爆笑ネタとともに高座で大宣伝するのだから客は買わざるをえない。6月初刷り3000部、寄席の販売500弱、市場でも好調で増刷決定となった。 
 
  と、このほか学会売りなど実例を挙げるとキリがないし、失敗例もこれに輪をかけてキリがないのでこの辺でやめておくが、これらの営業活動は書店にきちんと本があれば本来不要なものも多い。そしてやはり、本は「書店で売ってナンボ」である。ただ小社の本はジャンルにもよるが、「平積みよりも棚差し」が売れると書店員さんに言われることが多い。すると小社の読者のかなりの数が平台には目もくれぬ「棚差し族」ということになる。それはまあいいのだが、店頭における商品生命がますます短くなり、単品管理が可能な店とそうでない店の格差が広がる一方の現在、貴重な「棚差し族」と本の出会いは相対的にどんどん減っているのだ。
  そうした流通事情を鑑みれば異種流通営業は、逆説的にきちんと商売になると思う。また、書店で売れずとも、ほかの場所なら売れるケースはかなり増えているのではないか。生協はもちろん美術館専門の代行屋さんもあったりして、地味だがそれなりの売上を確保する手立てとして有効であろう。
  そして面倒は多いけれど読者の顔が見えるというメリットも大きい。多くの版元さんに通じることだと思うが、小社の商品は多分野にわたるとはいえ専門書に近い。一般書的なものの店頭売上をみるにつけ、今後ますます大量部数販売が厳しくなることが予想される。これらの営業活動とそのノウハウが小出版社として生き延びるヒントのひとつなるのではないかと思う。
 
 さて、窪島氏『「無言館」の坂道』を読了した。氏は1941年生まれで前述の二つの美術館を苦労されながら「個人」で経営しているので、その話が多く出ている。小社社長と同世代でもあり小出版の状況と大変よく似ていて、示唆に富んでいる。以下引用する。(窪島誠一郎著『「無言館」の坂道』平凡社  2003年 より)

「—— どんなに美術文化の向上、芸術至上の理想をうたっていてもやっていることといったら——中略——観光地の門前で店びらきしている土産物屋センターなんかとたいした違いはないのである。——中略——「個性派美術館」を自認し「個性派コレクション」を標榜する美術館であっても、けっきょくは美術館というものが一定の集客を目的とした不特定多数相手のサービス機関であるいじょう、その「個性」の腹八分目化もしくは不完全燃焼化(ああ何と不健康なことよ!)を強いられてしまうという現実だろう。やりたいことをやり、見てもらいたいものだけ見てもらって世の中を渡れるほど美術館業界は甘くない。個性派美術館がその矜持と理念とを投げ棄てることなく、また明日への展望と夢を見うしなことなく、最小限の「個性派」たる自己の理想をつらぬくためにはそれ相応の努力と知恵が必要なのである。——」

小版元そっくりそのままではないか。窪島氏は全国の画学生の遺族から作品を委託されている性質上「無言館」は公益化する意向ということだが、二つの美術館を核にした4年制大学「信濃浪漫大学」を構想しているということだ。そこでは芸術家を育てるのではなく感性豊かな「鑑賞者」を育てるのだという。そして氏の経験を生かした「放浪科」も予定しているとか。なんとも楽しい構想でこれまた知恵である。

版元ドットコムもまた小出版の知恵と努力のひとつのカタチだと思うが、私も「個性派」出版社の端くれとしていずれ、何か知恵とひねりださずばなるまい。

彩流社の本の一覧

隙間の猫

 本とはまったく関係ない、しかも長いお話を一席。
彩流社、俺のデスク、窓の前、40センチほど先は隣のビルの壁である。
そのビルとビルの隙間に猫がやってきたのは去年の11月ごろ。最初、子連れだったせいもあり猫好きの社長が餌をやってしまったのが運の尽き。いつのまにか子猫はいなくなってしまったものの、俺のデスク、猫的には一番来やすいようで以後毎日のように現れ、何かと世話を焼かざるを得なくなった。餌をやらないといつまでも居座り、追っ払ってもしつこくやってくるのだ。もっとも、猫が来てから売上が上がったりしたので半分はゲンかつぎ、半分は趣味として自発的にはじめたのだけれど…。

 餌を買い込み、餌をやりやすいように台を用意したり、雨の日には屋根をしつらえたり、とまあぶつくさ言いつつも面倒を見ていたのだが、入れ替わりでいろんな猫が現れ、——どうやら写真1・2 http://www.sairyuusha.co.jp/sairyuu_cat.htmlの白黒猫をめぐりオス猫どもが争奪戦を繰り広げているらしく—— その様を観察していると妙に人間くさく、とても面白かった。
逆の見方をすれば、メス猫がしょっちゅう違うオス猫をくわえ込んでいるわけで、ほかのメス猫から言わせれば「泥棒猫!」ということになるのかもしれない。
見ていると猫の世界も主導権は圧倒的に女性(メス)側にあるらしく餌も白黒嬢が食べ終わってからその残りをオスが食べ、機嫌の悪いときや、気に入らないオスは引っかいたりとまさに「お嬢」状態なんである。

 お嬢の好みは俺から見ると相当変わっている。結局彼氏というか旦那の座を射止めたのは写真3の白猫。写真がボケてしまうほど汚い、みすぼらしい感じがお分かりであろう。ほかにもお嬢が好意的に接していたのは総じて汚らしいオスばかり。たまに毛並みのきれいな凛々しいやつがきても肘鉄は出来ないが、爪をお見舞いしていたものである。

 ただ「意外と見る目があるのかも」と感心したのは、白猫をはじめ彼女の好いていたオスたちは、餌をやるときも騒ぐようなことはせず大変行儀がよろしい。たまに自分が先に食べるようなタイミングになっても、必ず半分は彼女のために残す。2匹いっしょにいるときに餌をやっても、自発的に譲る等々、なかなか紳士的で、猫らしからぬ美徳を備えているのである。
さて2匹が結ばれ、仲良く餌を分け合う安定期のあとに何が起こるか…。当然の成り行きとして妊娠、出産である。(父親は推定だけど)産みも産んだり全部で 6匹。(写真4.5.6)それまで毎日2回ほぼ決まった時間ににゃあにゃあと餌を強奪に来ていたのに急に白黒だけ来なくなっていたし、明らかに孕み腹だったのでもしやとは思っていた。しかし6匹とは恐れ入った。枕草子にあるごとく「ちいさきものはみなうつくし」で社長以下、社内の猫好き数人は大喜びだったが餌をやる俺はたまらん! この半年あまりで、ペットフードにすっかり精通し、白黒・白に毎日餌をやるとて、安く量の多い、タイ産の缶詰をもっとも安上がりなドライフードに混ぜ、猫のみか己にも飽きが来ぬような工夫を凝らし、月額2000円に押さえていた餌代は、生まれたてのくせに乳だけでは飽き足らずバクバクいく6匹により一気に倍増した……。

 社長が2000円のカンパを申し出て、何をいまさらと思いつつもありがたく頂戴し、しばらくは皆の癒し猫と化していた6匹は10日ほどで姿を消し、5日ほど経って再び現れ、またいなくなった。ちょうど梅雨の最中で、俺のヘナチョコ屋根では雨もろくにしのげず、近所にいい避難所を探し当てたのかもしれぬ。確かによく昼寝はしていたが、ちゃんとしたねぐらは他にあるようだったので、そちらに行ったのか。何かほっとしたような、寂しいような。妙な気分である。

 一度白黒のほうの跡をつけてみたが民家の路地裏に入ってしまい、ねぐらを突き止めることは出来なかった。近所の噂話をそれとなく聞いていたら、自転車屋が写真を貼り出して子猫の里親を探しているというので、見に行ったら違う子猫だった。とんかつ屋のおやじが動物愛護団体に引き取ってもらったらしいとの話もあるが、どうも違うらしい。
このごろは落ち着いたものの、一時餌をやっているのにやたらとにゃあにゃあうるさく鳴いていた。子猫を探していたのかもしれず、ちょっと気の毒な気もするが、またいつ大家族での来襲があるかもしれず、楽しみなような恐ろしいようなやっぱり妙な気分である。

ちなみに売上は対前年比10%強UP。これは猫の恩返しか! 俺はなんと、これでも名目上営業代表なのだ。猫のおかげで面目を保ったことになる。ヌハハハハ。こんな営業成果のあげ方もあるのだぞ!! というためになるお話。  
お粗末でした。