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本づくりは建築現場のように

 年末です。師走もどんどん過ぎていきます。
 今年は初めて、絵本の編集をしました。『ひとり暮らしののぞみさん』という大人の絵本。いろいろなところでご紹介いただいています。で、編集にあたって、新しい経験がどっさり。文字だけの一色モノにはない数々の工程を知ることになりました。「制作現場に立ちあう」といったことも、そのうちのひとつです。
 印刷所では、カバーと本文の印刷をチェック。オフセット4色機(デカっ)から刷り上がってくる試し刷りが校正刷り(本機印刷の見本にするもの)にどんどん近づいていくときの安心感を味わいました。ベテランのオペレーターの方に面と向かって「この部分、濃度が足りないです」なんて言うときには、えもいわれぬ罪悪感が……。(色のプロを前にして、そんなことを言う資格がオレにあるのか? というような。いやいや、この本の責任者はオレだぞっ。)
 図像を裁ち落とす絵本なので、正確に裁ち落とされるかをみるために製本所にも行きました。ラインに並んで、徐々に本が組み立てられていく様をみましたが、これは意外とアナログかも(職人を必要とする感じがする)。機械からポンッと出てきた「第1号」を手にとると、お、熱い。折丁の背を綴じるための接着剤が熱いのでした(糊を熱で溶かしてから付けるので。ちなみにこれを「アジロ綴じ」と言う)。社長さんいわく「昔は編集者もよくここに来て作業を手伝ったもんだ。今は立ちあいにもなかなか来ないね。コストダウンしろとかそんな話しばかりで現場に来ない」。そうか……昔の編集者はエラいなあ。

 今日も、近刊『近代哲学再考』(竹田青嗣=著)のカバー色校のチェックで印刷屋に行ってきたところです。すでに製版からやり直して再校をとったのですが、納得のいく色にはまだ遠い。そこで、装訂家も一緒にスキャニングから立ちあうことに。オペレーターの方と相談しつつ、プルーフ(校正刷りの一歩手前の簡易校正)をいっぱい出していく。あれ?表面になんか傷みたいなものが! いつの間にかポジ写真にスクラッチができていたのです。ガーン……。でもオペレーターの小倉さんが透かさず「データ上で修正できますよ」。ああ、良かった。色具合も、うーん、もうちょい、かな。

 本をつくる工程には「建築現場のような面白さがあった」と『ひとり暮らしの のぞみさん』の作者である蜂飼さんは言っていました。たしかに、本づくりの作業工程は「立体的」だと感じるこのごろです。

身にしみる情報の大切さ

先週(5月23日)、毎年開かれている版元ドットコムの会員集会があった。
その席上、オンライン書店であるamazon.co.jpの佐藤さんと、bk1の尾園さんとお話しすることができた。アマゾンさんとbk1さんには、昨年、小社刊『ベビーサイン』をたくさんお売りいただくなど、たいへんお世話になった。一年以上たってしまったが、その時のお礼を申しあげることができた。おふたりに、『ベビーサイン』の姉妹書である育児絵本を今秋頃に刊行することをお伝えすると、「タイトルや内容がある程度決まったらすぐに連絡してください」というお言葉をいただくことができた。(どうぞ宜しくお願いします!)

bk1の尾園さんからは、ひとつ反省すべきお話しを頂戴した。
尾園さんは顧客と直結する部署(カスタマーセンター)のご担当なのだが、『ベビーサイン』がテレビで紹介されて「爆発的」に売れていたとき、正しい在庫情報が把握できず、サイト上で注文をくださったお客さんに本を予定どおりに発送できずに困った、というお話しであった。原因は、版元である小社が取次(問屋)や書店にお伝えしている「在庫有」「品切れ」「在庫僅少」などの在庫情報が逐一変動していて、「それを正しく知ることができなかった」ということであった。

在庫情報は最新かつ正確なものでなければ意味がない。本が大量に動いていることでパニックになり、正しい在庫情報をお伝えすることができなかった小社の不備をお詫びしなければならない。

本の売上げが弊社のような小出版社に対応できないような伸びをしめしたとき(径書房の場合、20年に一回くらい?)、「豊富」にあったはずの在庫が一瞬で品切れになるという事態は起こりうる。中小出版社には、書店さんからの返品を恐れて、なかなか思いきった重刷をすることができないという事情もある。『ベビーサイン』の時は、かなりがんばって1万部から1万5000部ずつの重刷もした(一か月間に6回も重刷した)のだが、それでも書店さんからの注文には追いつかず、減数出荷や本を指定日に出荷できないなどの事態を招いてしまった。
せめて、最低限やるべきこととして、最新の在庫情報を正しく伝えるように努めなければならないことを改めて思う。

「ウェブサイトに在庫情報を明示しているオンライン書店にとっては最新の在庫情報を把握することは必須、だから版元が集まって情報を管理している版元ドットコムには期待しています」と尾園さんは最後におっしゃってくださった。感謝。
(来週、会員集会のリポートを青弓社の岡部さんが書いてくださいます。お楽しみに!)

—— 話は変わるが、新雑誌「バッカス」(論創社・季刊)が先ごろ刊行された。“パフォーミング・アーツ・マガジン”と銘打ちつつ、「コンテンポラリーダンス」を多角的に取りあげる数少ない媒体のひとつになっている。ダンスといってもいろいろあるが、バレエ、モダンダンス、ヒップホップ、ジャズ等々のどれにも属さないコンテンポラリーダンス、かなり面白いですよ。(径書房でも近々、コンテンポラリーダンスの本を刊行しますので、どうぞよろしくお願いします。)

版元ドットコム繁盛記

月曜の朝、予期せぬことがおきた。
始業前にも関わらず、電話機が3回線ともぜんぶ鳴っている。
メールを開くと、版元ドットコム経由で、お客さまからの注文が殺到している
(といっても、この時点ではまだ15件くらい)。
書店さんから送られてきたFAXが、ゴミの山みたいにうずたかく積みあがっている。

その前の週の土曜日(4月13日)に、日本テレビの「激闘カリスマ先生5人 ダメな子育てを叩き直せるのか!? スペシャル」という特別番組で紹介された『ベビーサイン』(径書房刊)が、激烈ともいえる反響を呼んでいたのだ。

「ベビーサイン」という言葉は、日本では、たぶん、初めて使われる言葉だ。本の詳しい内容は「版元ドットコム」のサイトで検索していただきたいが、ひとことで言うと、親が、赤ちゃんのサイン(=しぐさ、くせ)をあるメッセージとして意識的に受けとれば、まだ話せない赤ちゃんと会話をすることができて、子育てにも良い効果をもたらす、というような本だ。

子育て本がハヤる今の時代、いい加減なものも多いだろうが、これはじっくりと丁寧につくった本で、赤ちゃんを前にして悩むお母さん方にはかならず役にたつ本だと自負している。

とはいえ、今回これほどの反響があるとは、もちろん思いもしなかった。テレビの影響力というのを、実感した(ちなみにそのテレビ番組の視聴率は17%。これは特別番組としては高視聴率だったようだ)。

もうひとつ実感したのが、いわゆる口コミの大きな力だ。
今回、インターネットの掲示板で、『ベビーサイン』を買うには「版元ドットコム」が便利(送料無料!)だという情報を見た多くのお母さん方が、実際に本を買ってくださった。

さて、仕事にイレギュラーはつきものかもしれないが、一冊の本がこれほどのご好評をいただくことは、自分にとっては一生に一度あるかないかのことかもしれない。10日間で4回も重刷するなんてことは、もう二度とないと考えたほうがいいだろう。

テレビ放映のあった二日後の月曜日、それまでの在庫はその一日ですべて無くなった。
いそいで重刷することになった。業者さんが至急で対応してくださり、重刷分は約一週間後に取次(問屋)さんに搬入されることになった。しかし、落ち着く間もなく、まだ出来ていないその重刷分が保留(予約)でいっぱいになってしまった。
そして、それと同じことを3度くり返した。刷っても刷っても、在庫がない。

書店さんからの怒濤のような電話注文は一週間つづいた。
3回線ある電話は朝10時から夕方6時くらいまで、まったく鳴りやまない。
電話応対のために、声がかれてしまった。

私「あの、もう在庫なくなってしまったので、重刷ができるまでお待ちいただけますか?」
書店さん「すごく売れてるよ、これ。倉庫に50冊くらい残ってるんじゃないの?宅急便で送ってよ」
私「いや、本当に全然ないんです。すみません……」
書店さん「10冊でいいからさぁ、送ってよ」
私「ほんとうに、ないんです!」

テレビを見た、というお母さんから直接お電話をいただいたこともけっこうあった。これには対処しきれず、「版元ドットコムで買ってください」などとたいへん失礼な対応をしてしまったこともあった。お詫びしなくてはならない。

版元ドットコムでは、4月15日から30日までで、計299冊の売上げ。
これは、小さな我が社にとって、かなりデカイ数字だ。
ありがたいことである。

4月後半はあっという間に過ぎた。
その間、版元ドットコム事務局の日高さんと岡田さんにおかけしたご苦労はひととおりのものではない。おふたりはご自身の抱える日々の仕事をストップしてまで、処務に専心してくださった。記して、感謝したい。
ありがとうございました。こんどゆっくり飲みましょう。

時間が経過していれば、ちゃんと事後報告もできただろうが、未だ熱はさめないような状況で、しどろもどろの報告になってしまった。
落ち着いたら、またどこかで。

(現在、社員4人のうち、ひとりは痛風になり、歩行困難。
ひとりは四十肩になり、腕が上がらない。残りの若い二人は、まあ元気です。)

最後に、本を買ってくれたお客さま、どうもありがとうございました。
実際に『ベビーサイン』を試された読者の方のご感想をお待ちしています。

まっとうな哲学

わたしは電車のつり革をまともに触ることができない。
電車が揺れて、つかまる必要のあるときは、2本の指をつり革にちょこんと引っかける。

わたしは電車のシートに腰掛けるのをためらうときがある。
温められたシートは雑菌の温床だと聞いたことがある。
とくに、車両の端にある短いシートには腰掛けない。
なぜならあそこは、おおむね浮浪者の特等席だから。

わたしはパンツを一日に2枚以上、はく。
夏場の暑いときは、3度も4度もはき替える。

わたしは公衆トイレの手洗いの蛇口を触ることができない……。

わたしは潔癖なのだろうか。
ああ、わたしは潔癖なのか?
(いつからこうなってしまったんだろう?)

半年ほど前、電車の床に座る高校生を目にして、友だちとこういうやりとりをした。

「よく平気で床に座ることができるな」
「ああ、信じられないよ。汚い汚い」
「俺なんかシートにさえ座れないよ」
「え? ほんとう? 実はぼくも座ることができないんだよ」
「なんだ、おまえもか。ちなみに俺はプラットホームのベンチや、公園のベンチも駄目だ」
「ぼくもだよ!」

調べてみると、わたしのまわりには潔癖な人が何人もいた。
公衆浴場に入れない者。「だって刑務所みたいじゃん」。
吉野屋の牛丼を食べることができない人。
「お皿、きちんと洗ってないでしょ?」

電車シートに座れないくらいはまだ大丈夫なのだろう。

さて、「物」に対する潔癖は、きっと「人」に対する潔癖としても現れる。
人に対する潔癖というのは、ひとが他人の「内面」に関わることを避けることを言う。
若者のコミュニケーション能力の欠如はひろく言われているが、その欠如は、お互いの「表面」をなぞるだけの会話に始まる。

哲学者の東浩紀氏(30)は、「解離」という概念によって若者における「内面」の希薄さを説明している。映画を例にあげ、「千と千尋の神隠し」(宮崎駿監督)の主人公にも、「A.I.」(スピルバーグ監督)の主人公にも、「内面」を見出すことはできないと説く。彼ら主人公は、ある状況のなかで、「意思」において何かを選ぶということをしない。
そこでは、主体の「意(意思、内面)」というのはどこかに隠れてしまっている。

同じく哲学者の竹田青嗣氏(54)によると、私たちはコミュニケーションにおいて必ず“話している人の「意」に思いをめぐらす”。それは会話にとどまらず、ひとの文章を読む際にも言える。

竹田氏は、ひとの「内面」に立ち入ることのできない「潔癖の思想」に寄りそうこと、つまり主体不在の“差異の戯れ”に遊ぶだけが、文学や思想、あるいはもっとひろく生活の場における味わいをもたらすものではないと言っている(のかもしれない)。「立ち止まって深く考えること」をタブー化する(だって考える「内面」がないんだもん)ポストモダニズムから決別しようと言っている(のかもしれない)。

はー、ここまで書いてやっと新刊の宣伝ができる……。

言語的思考へ』(竹田青嗣著・径書房刊)、大著です。
その含意するところは山のごとし。

春には、竹田青嗣氏と東浩紀氏の対談も行われます。