その時、九州・三池の地で何が起こっていたのか
1960年に大学に入学したぼくにとって、「三池」と「安保」は何といっても青春の出発点でした。それは、これまで何度か体験した人生の選択の際、いつも立ち戻って考える故郷の「地点」であったような気がしています。よくも悪くも、生きる「動機」のようなものを形成した体験だったのだと思います。
そんなことがあったものですから、1960年当時、三池労組青年行動隊員で指名解雇者の一人であったぼくの友人から、「東京で三池闘争を記録した写真展を開けないだろうか」という相談があったとき、イチもニもなくそのハナシに乗ったわけです。ハナシはアッという間に、まず「60年安保世代」に広がりました。むかし論敵だった人、遠い所にいる人だと思っていた人、そして意外にも(?)団塊の世代以下の若い人などが乗ってきてくれ、実行委員会が結成されたのです。
その中の一人、社会主義協会の山崎耕一郎君はぼくの大学時代の同級生で、ぼくが民青、彼は社青同、よく論争していました。何十年ぶりに旧交をあたため、いま、協力して実行委員会の「拡大運動」に取り組んでいます。現在の労働運動をリードしている人たちが多数加わりました。実行委員会の面々をあえて旧党派で分類すれば6〜7党派ほどの人たちの寄り合い所帯です。それでも委員会は「一人歩き」を始めたわけです。
なんで、いまごろ、そんなことを? 実行委員会ではいろいろな分野のオジサン、オバサン、お兄さんたちが意見を出し合ってます。「70年安保世代にはこんな集まりできねえだろうな」「そんなことないですよ」「三池は現代のリストラ、過労死問題の原点なんだよ」「今の人は石炭なんて見たことないから、コークスなんか飾ったら?」「ホッパーパイプやカンテラの実物も飾ったら」「ホッパーって何ですか」「会場では荒木栄の歌をずっと流し続けようよ」「『三池』をテーマとしたビデオが4種類ある、それを終日上映できないか」「だいいち、今の若い人、ミイケがどこにあるか知ってんのかな」など、けんけんがくがく。意味づけはもうしばらくやっていると見えてくるのかもしれない。今は楽しいのでやっている次第です。興味のある方は同時代社ホームページ http://www.doujidaisya.co.jp/をご覧ください。
写真展は、2002年11月11日〜17日、日本青年館(入場無料)です。展覧会事業の一環として発行される写真集「1960年・三池」は定価(3000 円+税)、2003年カレンダーは定価(1000円+税)。展覧会準備事務局は、以下の三者。社会主義協会・山崎(電話03-3221-7881)、東水労・中野義人(電話03-3814-3795)、同時代社・川上(電話03-3261-3149)